相合い傘

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相合い傘

 今日は退院の日だというのに、誰も迎えに来ていない。 それ自体はおれ自身が望んだことだったが、昨日の夜からずっと降り続いてる冷たい雨は違う。  全然止みそうになくて、正直参った。ウンザリする。 もしかして雪が混じってて、みぞれになってるかも知れない。 わざわざ確かめに外へ出る気なんてならなくて、おれは、受付前のソファーに、ただただ座ってた。  急いで帰る理由も、特にないし。 あれほど、退院するのが待ち遠しかったはずなのに、今ではおれは、まだまだここに居たいだなんて思ってしまってる。 ・・・今日はいない、誰かさんのせいで。  正面玄関の自動ドア越しにその、誰かさんの姿を見つけて、おれは自分の目を疑った。 まだ、走ることは出来ない左脚を引きずりつつ、早歩きで近付く。  その誰かさんはおれを見て、笑った。男と言うにはまだ若い。青年と言った方がピッタリだった。 「あぁ、よかった・・・間に合って」  おれの見間違いなどではなく、やっぱり氷見センセイこと、氷見聡(ひみさとし)だった。 ちゃんと傘は差してきただろうに、柔らかそうな髪が薄っぺらい肩が、雨にぐっしょりと濡れてた。  彼は、おれを含む他の患者たちから「氷見センセイ」と呼ばれてたが、正しくは医者ではない。 昨日まで、おれを担当してくれてた理学療法士の一人だった。  おれは、口先では皆と同じように「氷見センセイ」と呼んでたが、心の中では、聡と呼び捨てにしてた。 ――あの日を境に。  「・・・本当に、誰も迎えに来ていないんだな」  辺りを見回してつぶやく聡は、心の底から意外そうで、当の本人のおれなんかよりも、ずっと寂しそうだった。 「昨日、そう話したじゃん」  確か、おれが母親とLINEしてる時も、その場に居たよね? おれはそう言う代わりに、 「大体の荷物は、この間の日曜に車で持っててもらったから。これだけだし」 と、今は降ろしているリュックを目で示した。  そして、 「独りで帰れるよ」 と、言い放つ。 「・・・・・・」  黙ってしまった聡に、おれは追い打ちをかけた。 「どうして、わざわざ来たの?今日、休みだって言ってたよね?」  聡はリハビリ、つまり仕事以外ではなるべく、おれに近付くことを避けてた。 だから昨日、最後だからいいよね?って迫ったのに、キスはもちろん、触らせてもくれなかった。指一本も、だ。  それが今さら、何の用だっていうんだよ?やっぱり、触らせてくれるわけ? そんな気、さらさらないクセに。 おれは心の中で、聡にありったけの悪態を吐いた。 「それは、その・・・心配だったから」 絞り出すような小さなちいさな声で、聡は言った。しかもうつむいたままだったので、ますます聞こえにくい。  イライラしたが、濡れた髪の間から覗く聡の耳は真っ赤で、おれはそれに触りたくてさわりたくて堪らなくなった。  思わず、手を伸ばしたその時・・・
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