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「そ、うま君……?」
「嫌だったら蹴ってくれて構わない」
小夏は八雲の腕の中でふるふると首を振ると、飛び出してしまいそうな心臓をぎゅっと抑え込み、されるがままそっと体を八雲の方へ寄せた。
今離れたら八雲は壊れてしまうかもしれない。そんな風に思ってしまうほど、八雲の声はか細く、そして小さく震えていた。
「俺には……資格がない。今更になって気づいたんだ。君と並ぶことも、触れることも、ましてやそういった感情を持つことだって許されない。君に隠していることがたくさんある。今までどうやって生きてきたかも、何故日本に来たのかも……君は知らない。俺がどんなに汚くて醜い人間なのか」
いっそ、全部、何もかも言ってしまえたら。
でも言ってしまえば恐らく小夏は自分のもとから離れて行ってしまうだろう。
八雲の奥歯がぎりりと音を立てて鳴いた。
「……それは、このことですか?」
小夏は八雲の傷だらけの右手を取ると、自分の手でそっと包んだ。八雲は突然のことに狼狽え思わず小夏から体を離す。
咄嗟に手を振りほどこうとしたが、小夏はぎゅっと力を込め、それを許さなかった。
八雲は思わず肩を震わせる。戦場でもほとんど感じたことがない恐怖が背中から這い上がってくるのを感じた。
「旭、君は一体、何を知って……」
「いいえ、何も分かりません。なんで相馬君の手も体もあんなに傷だらけで、いつも肌身離さずソレを持ち歩いているのか、私には何一つ分かりません」
小夏の視線は八雲の腰に隠されたホルスターの中に向けられていた。冷静に淡々と話す小夏の声に、八雲の体が更に強張る。
数十秒間の沈黙の後、やっと口から出たものは湿気ひとつ感じられないほどに干からび、辛うじて音になった程度の声だった。
「なぜ、そんなことまで……」
「ごめんなさい。意思とは関係ないんです。目に飛び込んできたもの、人が見せる仕草、音、空気の揺れ、そこから全部分かってしまうんです。登下校中ずっと相馬君が後ろにいらっしゃる事、分かってました。家にたくさんカメラがあることも、全部です。今まで黙っていてごめんなさい」
八雲は理解が全く追いついていなかった。
もし本当にそこまで小夏が理解しているのだとしたら、自分を好きだという彼女の気持ちが分からない。四六時中赤の他人に理由も分からず監視されているだなんて、気持ち悪さと恐怖でいっぱいになるのが当たり前なのではないか、と。
八雲は、不安にも動揺にも揺れることなくじっと見つめてくる小夏の両目をなんとか見返すだけで精一杯だった。
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