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「大変お待たせしました! 相馬君はこれから」
「旭、すまない。今日はこれから用事があって……家まで送る」
一瞬だけ顔を固まらせた小夏だったが、慌てて持っていた紙袋を背後に隠す。そして出来るだけの笑顔を作ると八雲を見上げた。
「そうだったんですね! ごめんなさい……お待たせしてしまって。でも今日は私も用事がありまして、向日葵ちゃんをここで待ってる約束をしてるんです。だから今日はここで大丈夫ですよ」
「そうか、すまない。あぁ、明日は10時に迎えに行く」
「はっ、はい! 紫陽花祭り、とっても楽しみです」
小夏は頬を桜色に染め、くしゃりと微笑んだ。ぽんぽんと小夏の頭を撫でた八雲は店長に一言礼を言うとくるりと踵を返す。そして腕時計を一瞥した後、勢いよく駆けていくのだった。
一瞬にして点になってしまった八雲の背中を見つめながら小夏は振っていた手をそっと下ろす。そして店長に向き直ると申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい店長さん。嘘に巻き込んでしまって……」
「いや、別に構わねぇよ。本当にうちに寄って飯食ってったっていいんだぜ? だって今日はお前の」
「いいえ、大丈夫です! 明日は相馬君とお出かけする予定ですから、お弁当の支度もありますし。向日葵ちゃんも部活頑張ってますから、きっと疲れてます。それに向日葵ちゃんからはもうお祝いいただいてるんですよ」
小夏はニコリと微笑むと、くるりと体を反転させて、髪をハーフアップに結っているヘアゴムを見せた。初夏らしい空色をしたリボンがひらりと揺れ、栗色の髪と溶け合う。
「でも小夏……お前」
「相馬君今日はずっと難しそうなお顔で……きっと今何か大変なことを抱えてらっしゃるんだと思うんです。だから邪魔はしたくないんです、絶対」
小夏は背後に隠していた紙袋を持ち直しそっと視線を落とした。そこには毎年朔太郎が作ってくれる小さなバースデーケーキが納められていた。しかし今年は気を利かせてか一回り大きい。八雲の存在を知っている奈々子の計らいだろう。
その気遣いに眉根を下げて微笑む小夏に店長はそれ以上口をきけなくなってしまった。男女関係とはいつの時代も往々にして複雑で難解だ。そして他人が口を出すものではない。
店長は小さくため息をつくと、小夏がそれでいいならと仕方なく笑ってみせた。
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