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「……わざわざボスの外出時間狙ってやったってぇのに、遅刻なんてすっから……」
「は?」
「もう遅い。ボスのお戻りだ。あとは直でやり合うんだな。In bocca al lupo〜」
八雲が口を挟むまもなく映像がブチンと途切れた。そして別の映像に切り替わる。その瞬間、八雲は背中にすっと冷たい槍でも差し込まれたかのような感覚を覚えた。
滑らかな漆黒の髪がさらりと揺れる。その隙間から覗く琥珀色の瞳が八雲を捉えた。
「基本、回線は全て僕に盗聴されていること、忘れていたのかい? 情報を盗みたいなら今度から首尾よくやることだ、八雲。久しぶりだね。元気だったかな」
ボスは決まりの挨拶を済ませるとにこりと微笑む。しかしモニター越しでも感じとれるほどの圧力を八雲はひしひしと感じていた。これは怒りなのか、蔑みなのか。
八雲は生唾を一つ飲み込むと強くボスの瞳を見返した。こんな所で負けてしまうのなら、その程度の意思ならば、そもそも反抗など企てなかった。
「全て存じ上げた上で、です。オープン回線で話していればいずれボスが来られると予測していました」
「なるほど。僕はうまく乗せられちゃったわけだ」
「乗せられる以前に、俺の考えも思惑も全て、ボスは既に把握済みでは」
八雲は至極冷静に口を開く。
ボスは暫く八雲の両目を見つめた。八雲の瞳の奥には僅かながらに恐怖の色が滲んでいるのに、それを覆い尽くすほどの強い意志で満ちている。
ボスは一口紅茶をすするとゆっくりと口を開いた。
「さっき君が顯龍に言った言葉は全て本心だと捉えていい?」
「……はい。相違ありません」
「僕の命令に異議を唱えるわけだ。偉くなったね、八雲」
八雲はぎゅっと下唇を噛んだ。
こんなこと本来ならあってはならない。組織に属する人間であるということ以前に、命を拾ってもらった飼い主に噛み付くなど以ての外だ。
それでも皮膚がピリピリと痺れるたびに小夏の顔が頭によぎる。絶対に、こんなところで怯むわけにはいかない。
八雲はただ真っ直ぐにボスの目を見つめた。言い訳も弁明も全て飲み込む。小夏を助けたい。その意思だけで頭をいっぱいにした。
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