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八雲はしばらく床に転がったまま放心していた。しかし、首元に転がったヘッドホンからガシャンと金属音がして慌てて起き上がる。
片耳にだけヘッドホンを当てモニターを見ると、台所でボウルをいくつも盛大に転がした小夏が慌ててひとつずつ拾っていた。
しかしよくよく見ると手元がおぼつかない様子で、まとめるのに時間がかかっている。小夏はもう1時間以上も台所に立ったままだった。
夕方は調子が良くないと言っていたことを思い出した八雲は、そんな状態でも弁当を作っている小夏に僅かな怒りと焦燥を感じた。
『ふう、少し疲れました。でももう下ごしらえは終わりですね』
疲れが滲んでいるのにも関わらず、鈴が転がるような心地いい小夏の声がヘッドホンを通して八雲の耳に入る。八雲は盗聴している罪悪感を忘れ思わず聞き入ってしまった。
小夏はふらふらとちゃぶ台の横にへたり込むと、祖母の遺影を前ににこりと微笑む。
独り言のせいでほとんど音が拾えない。八雲は両耳にヘッドホンをつけ直すと、そっと息を潜めた。
『おばあちゃん、今頃相馬君はちゃんとご飯食べてるでしょうか……。今日は特に元気がなくて、私が鈍臭いせいでいっぱい迷惑をかけてしまいました……。お弁当、喜んでくれると嬉しいです。いっぱい食べて元気になってくれたら、私とっても幸せです。明日、楽しみですね、おばあちゃん。
早く、会いたいなぁ……ふふ、なーんて』
小夏は小さく小首を傾けると、照れ臭そうに祖母に微笑む。
刹那、八雲の視界が水底に沈んだようにじわりと歪んだ。意思とは関係なく体の奥底からこみ上げる何か。
それを感じたのとほぼ同時にヘッドホンを外した八雲は、脇目も振らず玄関を飛び出して行ってしまった。
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