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「今日も家に上がっていかれますか? 今日は美味しいコロッケがあるんです。新作ですよ! 店長さんにたくさんオマケをいただいたんです」
「いや……その、今日は……」
秘密裏に行われているミッションのため、本来ターゲットへの不用意な接触は避けるべきである。なのに彼女の笑顔には何か特別な魔力でもあるのだろうか。その笑顔を見てしまえば最後、もう首を縦に振ることしかできなくなってしまう。
小夏は頷いてくれた少年にはち切れんばかりの笑顔を振りまいたあと、少年の手をぎゅっと引いて歩いた。
傷痕やマメで皮がぶ厚くなりゴツゴツとした少年の手を、白魚のように滑らかで傷ひとつない彼女の手が包む。少年はいつもそれを妙にくすぐったく感じていたが、不思議と嫌ではなかった。
家の前に着くと、少年のお腹が思い出したかのようにぐるると鳴く。目をぱちくりとさせた彼女は少年の慌てふためく様を見ながらふわりと微笑み、たくさん食べてくださいねと目を細めた。
少年の頬にさっと熱がさす。しかし少年は彼女に気づかれないよう、そっと視線を泳がせ顔を背けた。少年は彼女の、ふわりと柔らかそうで何もかも溶かしてしまいそうなその笑顔も嫌いではなかった。
そして、自宅の鍵を開けている彼女の小さな後ろ姿を眺め、少年はふと思う。ああ、彼女を秘密裏に護衛し始めてもう1ヶ月が経ったんだと。
随分と学生生活に慣れてしまったものだな、と自嘲気味に笑う少年 、相馬 八雲はふと、護衛を始める前の自分を思い出していた。
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