一夕の静寂

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一夕の静寂

 外の様子は見なくて分かる。雨が降っているのだと。窓に雨が叩きつける音が、私の鼓膜を震わせる。これがトタン屋根に打ち付けているのなら、もっと大きな音で、私に雨の存在を知らしめていただろう。そんな雨音に耳を澄ませられるほど、静寂が私の周りを包んでいた。  静かな夜だ。安定している。夜勤の間にやる業務を一通り終え、リビングに置いてあるソファに座って、ボーっとしていた。時刻は午前2時を少し過ぎた頃だ。丁度、眠気が襲ってくる時間帯だ。今は落ち着いているから、少し横になるかと、瞼を閉じた途端、ガラガラと扉が開く音がした。私は、満員電車から出てきた人を掻き分ける様に、襲って来た睡魔を掻き分け、閉じていた瞼を開いた。1人のおばあちゃんが起きて来た。きっとトイレだ。まぁ、1人では行けないだろな、と思った。でも、1人で行って欲しいな、とも願った。ソファに座ったまま、おばあちゃんの様子を見た。豆電球が等間隔に廊下を照らしてはいるものの、私から見ても、このグループホームの廊下は暗い。そんな心許ない明りでは、トイレの位置を探し当てるのは無理だ。案の定おばあちゃんは、フラフラした足取りで一番近くのトイレを素通りした。でもまだ諦めるのは早い。そのおばあちゃんの部屋から私が座っているソファまでの間に、まだトイレは2つある。そのどれかに入れば御の字だ。フラフラと近づいてくるおばあちゃんに向けて、私の願いを送り続けた。しかし、そなんな願いが通じるはずがなく、おばあちゃんは、虫の様に、唯一電気が煌々と付いていた洗濯室に一直線に向かって行った。これは私のミスだった。電気を消しておけば、と後悔をしながら、眠気で重くなってきていた体を動かし、おばあちゃんをトイレに案内した。高齢者施設ではよく聞くアルアルだ。1人がトイレに行くと、続けて2~3人トイレに起きて来る。この人らの尿道は繋がっているのかと、意味不明な思考に陥ってしまう。今日もそのアルアルが実行された。最初にトイレに行ったおばあちゃんを、トイレから部屋に案内し、再び寝かせると、廊下から、ガラガラと扉が開き、ガーンと勢いよく扉が閉まる音がした。廊下に出ると、今度はおじいちゃんがトイレに向かっていた。このおじいちゃんは、1人でトイレに行け、用を足せるのだが、便器に定まらない。振り回しながら用を足しているのかと思うほど、トイレの床に、黄色い水溜りが出来ている。おじいちゃんはがスッキリした面持ちでトイレから出てきた。私は、先程までおじいちゃんが用を足していたトイレに直行した。今回は比較的便器内には収まってはいたが、やはり、あちらこちらに飛び散っていた。私は、ため息交じりに、洗濯室からモップを持って来て、その飛び散った黄色い液体を拭き取った。掃除が終わり、そのおじいちゃんの様子を確認すると、既にいびきをかいて寝ていた。その様子を見て、憎らしい様な、でもどこか愛らしい様な感情が全身を包んでいった。  そんな事をしていると、巡視の時間になった。ここでは、パット交換も行う。その中の1人に、大庭フキさんがいる。彼女は、後2ヵ月で100歳を迎える。99歳にしては、口から食べているし、比較的元気な方だ。この様子だと無事100歳を迎えられそうだと、家族も百寿のお祝いの準備を始めていた。100歳って凄いなと改めて思いながら、パット交換に入った。元気だとは言っても、99歳だ。手足は骨と皮しかない感じで、その皮も2枚重ねになったティッシュペーパーのもう1枚みたいに薄く、ちょっとした衝撃で破れてしまう。その為、何気にパット交換は、緊張している。無事パット交換も終わり、皮膚状況も確認し、大庭さんの部屋を後にした。  東の空が群青色になってきた。朝食を作らなくてならず、またこの時間帯から徐々に起き始める方がいる。少し前の静寂が嘘の様に、忙しく動き周った。あっという間に早番者が出勤する時間になり、業務終了の時間になった。  
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