パートのマツエク

1/1
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

パートのマツエク

 昼休み、休憩所で弁当を食べていると、パートのおばさんが入ってきた。 一人で食べたかったが、そうもいかないだろう。 世の中をうまく生きるには社交ってやつが必須だ。  私は笑みを浮かべた。 「あら、美恵ちゃん、きょうは総菜コーナーのお弁当? 」 「はい、お弁当作るのは大変で……せっかくスーパーでバイトしてるから楽しようと思って……」  私は苦笑いをして見せる。  おばさんは半年前くらいに入ったばかりで、アルバイトの私のほうが先輩だったが、やはり歳には勝てなかった。いろいろな意味で、おばさんは強い。  おばさんはパート用のエプロンを外し、ロッカーにかけると、この辺では見かけないカフェの紙袋をとりだした。 袋の中にはコーヒーが入っているようなプラスチックのケースにサラダが入っていた。   しゃれたものを食べているなあ……うちの母親とは大違いだ。おそらく年齢は変わらないだろう。 うちの母なんて、カフェとか行かない、たぶん。  私がサラダを見つめていたのがばれたようで、おばさんは、ちょっと慌てた風に、 「ダイエットなのよ」 と笑った。 「もうこの年だと落ちないの。体重がね。それで、カイロに行ってゆがみをとったり、毎日ジムに通ってるんだけどね」 といい、おばさんは「なかなか痩せないの。若いっていいわね」とつぶやいた。 「十分細いじゃないですか」   事実、おばさんは中年太りとまではいかない、普通くらいだった。 「若いっていいわね」 おばさんは私の顔を見る。 「シミもない、つるっとして……しわもない」 「そんなことありませんって、もう20歳過ぎて、日焼けによるシミが……」    おばさんは「大丈夫よ」と言って笑った。 「おばさんね、これでも7キロやせたのよ。ご飯を食べなくしてね。そしたら、肌がガサガサになっちゃった。髪の毛も抜けるしねえ。気をつけてね」 「はあ」  全然肌がガサガサでもボロボロでもなさそうだと思うが、年上の人の顔をじっと見るのも失礼だろう。私は視線を外した。 「私、もう40歳なの。だからこれが人生最後のダイエットになると思うのよ。でね、ジムにはライバルもいるのよ。43歳のおばさんなんだけど」  私はうんうんとうなずいた。 「そのおばさんがね、10キロやせたっていうわけよ。もうやんなっちゃった……。私なんか7キロやせて肌ガサガサ。髪もぼさぼさ。でも、彼女は10キロ痩せて綺麗なの。うらやましくて……。でも、私の体はもう限界だから、一日5食これみたいのを食べてるのよ」   おばさんは悲しそうだった。 「そんな……全然太ってないし、もういいじゃないですか」  私は思わず言う。 「ビキニが着たいのよ。これでもう女としても最後だし、きれいになりたいの」  おばさんは少女のように頬を赤らめて瞬きをする。  ちょっと気持ちが悪かった。  私は 何を言っていいのかわからなかった。 「あ、これ、よかったら使って……若いんだから楽しまないと」  おばさんはネイルとエクステのお店のクーポンをくれた。  おばさんといったい何を話せばいいのか。お母さんみたいな歳の人と、恋バナする勇気はない。  せっかくレンジで温めた白いご飯はもう冷めてきていた。   おばさんがレタスやニンジンを咀嚼するおとがする。  私はどんどん食べる気がなくなっていく。 「トントン」  ドアが開く音がした。  時間差で休憩を取りに来たおばさんがもうひとり来た。 「あら、きょうもそれだけ?」 「うんそうなのよ。がんばってるわ」 「あれ、その目……」 「わかる?マツエクよ」 「何本?わたし100本からやろうかなって思っていて」  遅れてきたおばさんは、ダイエットおばさんに美容の相談をし始めた。  最後に細く切ってあるニンジンを容器から救出し、あとは底にたまっているドレッシングしかないことを恨めしそうにダイエットおばさんは確認した。  ダイエットおばさんはサラダがなくなったのを悲しそうにみていたが、「私は140本よ」といってバサバサと瞬きをした。 「100本って、最低限よ。ナチュラルでいいっていう人もいるけど……やるなら、もう少しやったほうがちゃんとした感でるかもよ」  ダイエットおばさんたちのトークは続いている。  うちの母親もダイエットしたり、マツエクについてママ友と話しているんだろうか。  いったい女の終着はどこなんだろうとふと考えた。  ほどなくして、ダイエットおばさんはパートに来なくなった。  ピンクのジェルネイルに、昔の漫画風のまつ毛をばさばささせながら、商品を出していた姿を見たのがさいごだった。   一緒にお昼を食べた時より痩せていたのは確かだ。それと同時にエプロンの下に隠された服はだんだん派手になっていたような気がする。  それから、しばらくすると失踪したという噂も流れてきた。  おばちゃんたちの噂だから本当かわからないけれど。  彼女が昔を思い出して若返りたかったのか、人生をやり直したかったのか、どうしたかったのかはわからない。  おばさんはだれといっしょにいるんだろう。ビキニを着ているんだろうか。  エプロンのポケットに手をやると、あのときダイエットおばさんがくれたマツエクのクーポンがくちゃっとしたまま入っていた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!