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第二章
今日の会見のことを、実は九郎には話してなかった。言ったら絶対嫌がるからだ。
墓の前にたたずむ人物を見た瞬間、九郎が固まる。
「と、東子……っ」
「一度きちんと会いなさいって言ったでしょ? あたしもついてるから」
「で、でも」
ええい、めんどくさい。
あわあわしてる祀り神様を容赦なくひっつかんだ。
体に巻きついてるのを利用し、無理やり引きずっていく。
「あー、まどろっこしい。来なさい。あ、どうも、初めまして。遠い子孫の加賀地東子です」
うちの神社の初代である女性に挨拶した。
彼女は九郎の異母姉で―――母を奪った八岐大蛇を憎み、それにより生まれた九郎を憎悪し、さらにそこを利用されて九郎を封印した張本人だ。
第一印象は「美人だな」と単純に思った。現代でも「美人」に入る部類。
それも当然か、美しいから生贄として差し出されたんだから。
このDNAがあたしまで伝わらなかったのは残念だ。あたしの容姿は平凡。
彼女はあっけにとられていた。あまりに挨拶が軽すぎたか。
「ん? どうかしました?」
「ど、どうかしたって、あなたそれ平気なの?」
震える指で巻きついてる大蛇を指す。八つあるね。
「いつものことですよ」
「いつものことなのそのヤバい状態?!」
もっともなツッコミ。
「見かけだけなんで。実際には締めつけてないですよ。やったら速攻張り飛ばしますし」
持ってきておいたお饅頭を一つの首の前に出す。条件反射で食べる。もぐもぐ。
おいしかった、というようにスリスリしてきた。
初代が何とも言えない表情でつぶやく。
「……ペットと飼い主……?」
「あ、やっぱそう見えます? まぁ感覚的にはそんな感じです」
「俺は東子の旦那様だよ~!」
ヒト型が後ろから抱きついてくる上に、八つの大蛇がぐるぐると。
「うっとうしい」
しっしっと追い払う仕草。とても祀り神にするものじゃない。
「これをうっとうしいで片付けるあなたすごいわね?!」
まぁ小さい頃から色々あったし、大概のホラーや衝撃シーンは慣れてるんで。
初代と九郎はそこでようやくお互いを見た。
目が合った瞬間、サッと背ける。
沈黙。
「…………」×∞
どっちも真逆の方角を見たまましゃべらない。それどころか、九郎なぞさりげなくあたしの後ろに隠れようとする。
ねえ、いつまで「……」ばっか続くの。
もう五分くらい経ったよ?
―――ええい、話が進まん!
あたしは両手を上げ、先祖と祀り神にデコピンかました。
ズビシ。いい音。
「二人とも、いい加減に会話しなさい。何のためにセッティングしたと思ってるの」
「うおお、痛い……さすが東子」
おでこ押さえてうめく九郎。
え、何、「かかあ天下」「尻に敷いてる」って? 敷いてないよ。
「い、いた……ほんとに痛いっ。え、私とっくに死んでて霊体なのによくできたわね」
「それくらい普通に触れますよ。先祖のかなりが人間じゃなく、人間でも普通じゃなかったせいで、霊くらい。なにせ『邪神の監視人』でしたからねぇ」
初代がザッと青ざめた。
うつむいて拳を握りしめ、
「……ごめんね」
「何がです?」
「私があんな遺言をしたから……子孫代々縛りつけてしまった。罪を重ねさせてしまった」
「そうですね」
あたしはあっさり肯定した。
普通なら「そんなことない」とか慰めるんだろうが、あたしはやらない。それをやったら駄目だと分かっている。
慌てたのは九郎だ。
「東子」
「キツイ? そうね。でも事実でしょ。本当のことを捻じ曲げたら意味がないのよ。何のためにこの場があるのか分かりゃしない」
誰かが事実を明言しなければいけない。真実を認めることを避け続けたためにこうなったんだ。
……この役はあたしがやらなければならない。
九郎が口ごもる。
「……それは」
「ていうか初代。名前知らないし便宜上そう呼びますけど、一番謝らなきゃならない相手はあたしじゃないですよね?」
あまりに昔のことで、彼女の名前は残っていない。墓石に刻まれてるんじゃないかって? 当時は土葬で墓石なんかないのが一般的だった。現在の墓は後世、子孫が新たに先祖をまとめて供養する目的で建てたもの。全部の先祖の名前が残ってるわけじゃない。
「…………」
初代はやっと顔を上げ、九郎を見た。
でもまたすぐ顔をそらしてしまう。
「またそれ?」
わざときつい口調で言う。
「だ、だって……」
あたしはとうとう敬語を外した。
「だってじゃない! 自分が一体何をしたのか、ちゃんと認めるべきよ。そうやって逃げてていいと思ってるの? 黄泉で自主的に罰を受けてたっていうけど、あたしに言わせてみればそれが何ってとこよ。だってやり方間違ってるもの」
「な……っ」
初代の顔に朱が走る。
「東子!」
あたしは構わず例え話を持ち出した。
「じゃあ、訊くわよ。例えばここに盗みで捕まった兄がいるとするわね。理由は困窮した妹のため。妹は兄をかばって、自分のためにしたことだから自分が罰を受けると言う。兄は罰せず釈放してくれと。さあどうする?」
二人とも即座に答えた。
「それは駄目よ、犯人自身が相応の罰を受けるべきだわ」
「理由はなんであれ、実際に罪を犯したのはそいつだからな」
あたしはため息をついた。
「ほら。人のことだとすぐ答えられるのに、どうして自分たちだと違うふうに考えるの?」
「う……」
二人とも言葉に詰まる。
「いい? 情状酌量したとしても、やったことに対して責任を取るのは本人であるべきなの。九郎がかばったんじゃ意味がない。何してもあんたが代わりに受けるから、初代が増長したところもあるのよ。自分のやったことが悪いという自覚すらなく、全てあんたが悪いと押しつけた。それが当然だった。自分は悪くないと思い込めた。そうやって、ずっと逃げたのよ」
「わ、私はちゃんと罰を受けてたわ! 逃げてなんかない!」
「じゃあどうして九郎を解放しなかったの」
初代はうろたえた。
「封印した張本人なら解けたんじゃない? 罰を受けると言っときながら、過ちを正しもせず、処罰を理由に黄泉に引きこもってたんじゃない。本当に悪かったと思ってるなら、まず封印解いてから刑に服したはずよね?」
「い、いえ、そんな方法知らな……」
「あたしも知らなかったけど解けたわよ。たぶん同じように血を接触させながら念じれば解けたんだと思う。そうでないにせよ、解く方法を探せばよかっただけ。時間はたっぷりあったんだからできたでしょ?」
かなりの力を持つ神様にやってもらうっていう最終手段もあったし。実際須佐之男命は破ろうとしてた。神様レベルなら人間の封印術式くらい破れただろう。
そうしなかったのは九郎本人が止めたからだ。もし初代が誰か神に頼んでやってもらい、謝罪すれば仲直りできたはず。
あんな暗い牢獄に気の遠くなるような歳月いることはなかった。
あらゆる憎悪を一心に受け続けて。
……九郎がつぶやく。
「……東子。いいんだよ」
「よくない! あのね、あんたが怒らないっていうか怒れないからあたしが代わりに怒ってるのよ?」
「分かってる。でもさ、本当にもういいんだ。もっと早く出れてたら、東子には会えなかった」
あたしはまばたきした。
九郎は静かに微笑んで、
「東子に会うことができたから、だから、もういいんだよ」
「…………」
……まったく、こいつは……っ。
深―くため息をつく。
神がかったイケメン(本物の神)にこういうキザなセリフ言われたら、普通の女子ならときめくんだろうな。あたしはまったく思わないけど。
あきれて祭神の髪をくしゃくしゃっとやる。
「優しさと甘やかすことは違うのよ?」
「東子のほうが優しいと思うよ」
「どこが。自覚はあるわ。って、さりげなく何しようとしてんの」
ぎゅうぎゅうスリスリしてくる大蛇を二つ素手でひっつかんでおく。
まったく油断も隙も無い。
「えー、やだ、東子に巻きついてないと落ち着かない」
「人に巻きついて精神安定するって相当おかしい」
「蛇の性質上仕方ないじゃん」
「嘘つけ。あんたの性格だって知ってるんーーー」
「ごめんなさいっ!」
見れば、彼女が深々と頭を下げていた。
びっくり。
最後まで言わずじまいかと思ったよ。
失礼かもしれないが、事実なんでそんな感想を真っ先に抱いてしまった。
「そもそも、最初から間違ってたのよ。分かってた、私が悪いって。でも認めたくなかったの」
彼女は震える声でまくしたてた。
「お母さんを差し出したのは、お父さんや村人たち。恨むなら彼らを恨むべきだった。あんただって好きでこんな出生になったんじゃないって分かってて、みんながやってるからと迎合したの。子どもっていう圧倒的弱者を集団で虐待してるって知ってて。……だって、そうじゃなきゃ私が迫害されるもの」
目の当たりにしているだけにその恐ろしさを痛感し、自分がやられたくないあまりに同調した。
集団いじめと同じ理屈だ。
あたしは腕を組み、冷静に聞き返す。
「それで? 自衛のためだから仕方ないっていうの? 加担してたんだから同罪でしょ」
集団いじめで言っても責任取るのは主犯格や中心人物だけでいい?
違うよね。たとえ恐怖が理由でも加担した人物は加害者になるんだよ。
「……ええ。私はずっとそう言い訳してた。そこをあいつにつけこまれ、利用されたのよ」
自称『生き神』のことか。
「あんなおかしい男に操られたのも、自業自得。プライドとかなんとか言わずにきちんと自分の行いを認めてれば、あいつの異常性に気付けたはずなの。そうすれば、あなたをあんな死よりもつらい目に遭わせることもなかった……っ」
彼女の目から涙がこぼれ落ちる。
しかし霊体の流す涙は物質ではない。地面を濡らすことはなく、途中で消えていく。
「名前すらつけてもらえず、監禁され虐待されてた弟に、私はひどいことをした。―――許してなんて言えない。何度も何度も罪を重ねたんだもの。その子の言う通りよ、本当に罪を償うならまず真っ先に過ちを正し、あなたを解放すべきだった。それをせず、会ったら責められるのが恐くて刑罰を言い訳に牢にいた。罰を受けてるから会いに行けないんだって言うために。逃げ続けて……ここまで来ても、子孫にハッパをかけられなければ謝ることすらできなかった。なんて愚かな……っ」
彼女は頭を下げ続けた。
「ごめんなさい。謝ったって遅いのは分かってる。取り返しがつかないことも。でも言わせて。ごめんなさい……っ」
ただひたすら繰り返した。
「…………」
あたしは黙って九郎を見た。
彼は無表情で彼女を見ていたが、やおら、
「……俺を弟だと思ってくれるのか」
まずそこか。
最初にそこを訊くのが悲しいっつっちゃ悲しい。
九郎は親にも周囲にも疎まれ、名すらつけてもらえなかった。『九郎』と名づけたのはあたし。
異母姉も九郎を弟ではないと公言していたと聞く。それゆえ九郎も彼女を『姉さん』と直接呼んだことはない。
彼女は弾かれたように顔を上げ、その意味するところに気付いて苦し気に表情をゆがめた。
「もちろんよ。……だって、そうでしょう? ごめんね。本当にごめん。それすら認めなくて……っ」
「姉さん」
九郎は初めて異母姉を『姉』だと口にした。
「俺のほうこそごめん。俺が悪いのは何もかも俺のせいだって黙って引き受けてたから、みんなどんどんエスカレートしておかしくなっていったんだよな。どこかではっきり過ちを正すべきだった。東子の言う通りだよ。本当に姉さんの幸せを願うなら、やるべきことはどんな仕打ちにも耐えることじゃなかった。間違っていることは間違っていると言って、奴を真っ先に排除すべきだったんだ」
「あんたは悪くない! 私たちのせいよ、何もかもあんたに押しつけて逃げてた。私たちが……っ」
「―――どっちにも非があった、ってことでお相子にしたら? これじゃいつまで経っても謝罪合戦よ」
あたしは冷静に落としどころを言った。九郎が苦笑する。
「そうだな。……もう終わりにしよう。姉さんには全て忘れて転生して、新しい生を送ってほしい」
彼女の性格では、覚えたままだといつまでも自分を責めるばかりで進めないのが分かってるんだろう。事実、牢にひきこもってたわけだしね。だから姉を楽にしてあげるためにも、あえて「忘れていいんだ」と明言した。
……まったく、甘いんだから。
そうは思いつつも、あたしは黙っていた。
九郎は穏やかに微笑んだ。
「俺は昔からずっと、姉さんの幸せを祈ってる。それは変わらないんだよ」
彼女は顔を覆って号泣した。
あたしはそっと視線を外し、空を見上げた。
☆
……しばらくしてやっと泣き止んだ彼女はぎこちないながらもようやく笑みを浮かべた。
悪意に歪んだものではなく、すっきりとしたものだった。
「……これで安らかに行けるわね」
今回特別にこの場を設けてくれた、黄泉の責任者イザナミノミコトによれば、この後彼女はどこかに転生するという。転生は誰しもランダムで、どこの誰になるのか、それ以前に人間以外の場合もある。
イザナミノミコトには分かっていて、教えてあげようかと言われたけど断った。きっと知らないほうがいい。九郎は知れば関わりたくなってしまうだろう。
それじゃ駄目だ。リセットして、まったく別の生を全うするためには、以前の関係者が関わるべきじゃない。
あたしたちは遠くから幸せを祈るんでいい。
初代はあたしに目を向け、
「東子さん、あなたにも謝らなければ。ああいうことを言う役をやらせてしまってごめんなさい」
「別に。あたしが勝手にやったことなんで」
わざとそっけなく返した。
「優しいのね。……いいお嫁さんを見つけたわね」
「うん。東子の誕生って点では姉さんに大いに感謝してる。姉さんが子孫生んでくれなきゃ東子も生まれてないもんな。東子、大好きー」
ぐるぐる八つの大蛇が巻きついてきた上に本体が抱きついてきた。
「物理的に邪魔。あとうっとうしい」
遠慮なく本体の脳天にチョップを入れておく。
「離れなさい」
「やだ。一生どころか死んでも離れない」
相変わらず頭の痛いストーカー発言をかましてくる祀り神。
「しつこい」
「蛇は元来執念深い生き物だから~」
「やかましい」
耳をギリギリ引っ張ってやってもはがれない。かなり強くやってるんだけどな。
真顔で先祖に心配された。
「……改めて訊くけど東子さん、この子で本当にいいの? まさかここまで執着強いとは……」
それは何にも思い入れ持てなかっただけじゃないかな。『好きなもの』を作れなかったというか。疎まれ蔑まれ、独りぼっちだった。初めから何もかも諦めてた。
好きなものができてしまったら手放したくなくなってしまう。自分にそんなことは許されていないと思ってたか、それとも大切なものまで狙われてしまうと思ったか。事実、助けた者達が配下になりたいと集まってきても決して認めようとしなかったわけだし。
「絵面が……よくこれやられてるって、精神的に大丈夫?」
「あたしメンタル強いんで、これくらいじゃダメージ受けません。ていうかこいつ意外と甘えたがりで、これも甘えてるだけよ」
「いやいや、見た目が……」
まぁ、大蛇が娘惨殺一歩手前みたいな絵面よね。
「……でも、よかったわ。あなたは今、幸せなのね」
彼女の視線は、おそらく九郎に向けては初めてだろう慈愛に満ちていた。
本人が納得したからか、ゆっくり姿が薄れていく。黄泉に戻るんだろう。
「―――さよなら。……九郎。ごめんね、そして、ありがとう」
「……ああ。さよなら、姉さん」
最初で最後。名前すらなかった異母弟の名を呼び、彼女は消えた。
いた場所には、かつてはなかった花々が綺麗に咲いていた。
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