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溺愛×平凡
自分はいたって普通の人間だと自認している。
ただ、生まれ育った環境がちょっとばかり普通じゃなかったというだけだ。
「若、おかえりなさい。」
顧問の中林さんに声をかけられて「ただいま帰りました。」と返す。
顧問と言っても中林さんは学校の先生では無い。
家が、ヤクザ家業をしているというだけだ。
中林さんは俺が幼い時からうちにいて、面倒を見てもらっている。
昔は一緒に風呂にも入ったし、中林さんの背中には夜叉と牡丹が描かれていることも知っている。
一見冷たく見える顔が、笑うと可愛いことも知っている。
だけど、今はお互いにどこかぎこちない。
天性のカリスマ性というものを持ち合わせていない平凡な俺は、運動神経の面でも勉強の面でも特に秀でた部分は無い。
豪胆というのには程遠い性格ではあるし、ヤクザに向いていないのは自分自身良く分かっていた。
だから、父の本妻である姐さんが男児を生んだと聞いた時には心底ほっとしたのだ。
すでに、アル中がかなり進行していた母は、現実がよく理解ができなくなっていたし、母への庇護がありさえすればそれでいいと思っていた。
けれども、それが、甘々の甘ちゃんの考えだったことには直ぐに気が付いた。勿論、組長である父の子であることは変わりないし、俺が跡継ぎから正式に外された訳では無い。
けれど、成長するにつれ、そのカリスマ性と能力をいかんなく発揮する腹違いの弟と、俺。その差を目の当たりにした周囲は露骨に俺への対応を変えた。
母は相変わらず父の援助で生活できていたし、俺の学費等もきちんと支払われていた。
それでも、俺が耐えられなかったのだ。
まるで家族の様に、兄の様に、接していてくれた人達が、よそよそしくなって、まるで、小さな一つの会社の社員とアルバイトの様な関係になる。
そもそも、会社の様なものだったのだからそちらの方が普通なのだろう。
そうなったのは高校生になった頃で、その頃、中林さんへの恋心に気が付いた。
それがなければ、もしかしたら俺はがむしゃらに頑張って、跡目を狙ったかもしれない。
それ位それまでの生活は幸せだったから。
けれど、跡目になることイコール、子供を残さないといけないということだ。
中林さんへの恋心を自覚して、自分がゲイかもしれないと思っている中でその道を選択することは俺にはできなかった。
結局は、逃げたのだ。
中林さん含め数人は、組の中での地位もすでに盤石であったのであろう。
そこまで態度もそれ以外も変わらなかった。
上手く今まで通りができなくなってしまったのは俺の所為だった。
ギクシャクとしていても、所謂思春期だと勘違いされたのだろうか。
中林さんは一歩引いて関わってきてくれるものの、それ以外はあまり変わらなかった。
◆
3学期の期末テストが終わった日に、久しぶりに中林さんに出かけないかと誘われた。
小さいころはそれこそ遊園地等にも連れていってもらったことはあったが、最近では医者に行く際にもタクシーで一人で行っていた。
一緒に行きたい気持ちと、それが怖いのと、ゲイだとは認めたく無い気持ちが胸の中で戦っている。
けれど、直ぐに自分の中で結論が出る。
「はい、出かけたいです。」
結局、中林さんと一緒に居られる方を取ってしまうのだ。
家の用事かそれとも買い物かと思っていたが、運転手に何か指示をして二人で後部座席に乗り込んだ後、車はしばらく知らない道を走った。
着いたのは、植物園だった。
小学生の頃中林さんと来たことのある場所だと、大きなガラス張りの温室を見て思い出した。
組長で忙しい父に代わって、中林さんにあちこち連れていってもらっていたのだ。
無言のまま車から降りた中林さんの後を追いかける。
平日の所為だろうか、人気は無く、俺と中林さんの二人きりだった。
日差しが、ガラスの天井を通してキラキラと輝いている。
熱帯の植物なのだろうか、ツタが絡まり、緑の葉がまぶしい。
地面からは大きな葉の植物が揺れている。
そこを二人で無言で歩く。
元々共通の会話なんて無かったし、何を話せばいいか分からなかった。
テスト後にこうしてどこかに連れていってもらうことも無かった。
気まぐれなのかもしれない。友人は家族でレストランに食事に行くと言っていた。そういった普通の家族のすることをさせようと思ったのかもしれない。
横を歩く中林さんの顔を見る。
既婚者でもないし、女を囲っているという話も聞いたことは無い。
この人は、どんな人を愛するんだろう?どんな愛し方をするんだろう。
それが自分であるはずもなく、その様子を見ることもきっとできない。
組の子供であれば家族として、共にいられると信じていたけれど、それもすぐに終わってしまうだろう。
こうやって、二人で出かけることも、きっと無い。
彼の横顔を焼き付けておきたいと願う。
中林さんは一本のスラリとした木の前で立ち止まった。
根元をみて、それからその横にある植物の説明パネルを見て、それがタコノキだと思いだす。
小さい時も同じ場所で、同じ様に二人でこのタコノキを見ていた。
変な名前の変な木を、タコに似てると笑いながら話した。
その木の前で中林さんは足を止め、それから今日初めてちゃんと俺のことを見た。
「親父がお前を俺に売った。」
簡潔に言われた言葉の意味が良く分からなかった。
不要と思われているであろうことは察していた。けれど、売るということの意味が分からなかった。
「それは……。」
内臓でも売られるということだろうか。それともどこかに稼ぎに行けと言われるのだろうか。
どちらも嫌だった。
指先が小刻みに震えていることに気が付く。
ふっと息を吐く音だけで中林さんに笑われた。
「何か、勘違いしてるだろう?」
「内臓を売られるんじゃないんですか?」
俺が返すと声を立てて笑われた。
中林さんの笑い声を聞いたのはいつぶりだろう。
よく思いだせない位久しぶりな気がした。
「そんなもんのために、大河をもらい受けたと思ってもらっちゃ困る。」
中林さんは双眸を下げたまま言う。
「俺の女として、もらい受けるという話が決まったと言ったんだ。」
その時の俺の顔はきっと酷くぽかんとしたものだっただろう。
何故とかそんなことを考える前にあまりにも中林さんの言葉が重くて、何も考えられなかった。
「俺、男ですよ?」
最初に出たのがそんな言葉で我ながら笑えた。
そもそも、跡目から外すための方便なだけなのかもしれないのに、最初に出たのがそんな期待しているみたいな言葉で、馬鹿みたいだった。
「知っている。」
こんな小さい頃、風呂にいれてやったろう。手で腰の下あたりの高さを指す。
一緒に風呂には入ったが、今はそういう意味では言っていない。
そんな事は中林さんも分かっているはずだ。
何故、と聞きたいことばかりなのに口は上手く動かないし、中林さんの真意も測り切れなかった。
「それでもずっと欲しいと思っていた。」
前に、二人でここに来たときには、もう、そう思っていた。そんなことを言われ驚きで目を見開く。
「母はどうなりますか?」
「どうもならないだろう。今まで通りだ。
お前が跡目から外れて、俺が裏切らなくなる。組にとってそれが最善だからお前は売られた。それだけだ。」
淡々と話す内容は恐らく事実でだからこそ、ああ、自分は父親に切り捨てられたと理解できた。
「俺には選択権は……。」
「無いな。」
普通に好きだと言って、好きだと返される関係が良かった。
「ずっと、好きでした。
多分、そんなことすらあなたには関係ないのかもしれないですが……。」
欲しいと言われたが、それが自分と同じ暖かな気持ちなのかそれとも単に彼の足元を固めるためなのかは分からない。
分からないと思っていたのに、中林さんの顔を見たら全部伝わった。
手で口もをを覆った中林さんはそれでも目元も頬も上気していて、耳まで真っ赤になっていた。
今まで、そんなことを思ったことは無かったけれど、その表情を見てああ、中林さんも同じなんだと思った。
俺と同じ気持ちでいてくれたのだろうか。
だから、俺が欲しいと思ってくれたのだろうか。
中林さんの手が俺の頭をそっと撫でた。
それから、今まで見たことのない熱っぽい目で俺のことを見る。
「大河、愛してるんだ。」
一言それだけだった。
でも、その一言で俺の胸は締め付けられたみたいにギュッとなって腰が抜けた様になってしまった。
足元がふらつく俺を中林さんが支ええくれる。
一気に近くなった距離からは、中林さんの香水の香りがする。
何から話せばいいのか困って笑顔を浮かべると、俺の腰を支える手の力が強くなった気がした。
「俺の家……、これから二人で暮らす家に帰ろうか。」
中林さんが言う。
まだ、何も実感がわかないし、これから先のこともよく分からないけれど、とりあえず彼の家に行ったら、久しぶりに背中にある牡丹と夜叉を見せてもらいたいと思った。
了
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