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透は謝って項垂れた体勢のまま、次の言葉を紡がない。
ついさっきまで、あんなに話していたのに、水を打ったように静まり返った私たちのテーブル。
流れる沈黙を破る様に、周囲の視線とひそひそ声が入ってくる。
「え、何、あそこ別れ話?」
「女、超強そう」
「確かに!」
「男の浮気?」
「けどあの女の人、綺麗だけどさ、怖そう」
無責任な憶測。面と向かって語り掛けられてるわけでもないから、いちいち反論も出来ないのがうざったい。
何なの? どうして今、私、ここにいるの?
何で、こんなことになったの?
惨め。
「もう、いいよ、謝られても困るし、顔上げてよ」
透の首筋眺めてても、何も始まらない。
私はそっけなく透に言う。
「…咲良!」
別れてくれるのか。と透の瞳が輝いた。
心を真っ黒に塗りつぶされた私には、その光が眩しくて、無性にムカついた。
「咲良にはさ、俺なんかより、絶対いい奴がいるって。俺が保証するから」
今の今まで付き合ってた男に、そんな保証されて、喜んだり安心する女がいると思うか?
はぁ~。仕事は熱心な割には空回る人だと思っていたけれど、ここまで無神経なばかだったとは…。
泣いて「お願い、捨てないで」と縋り付くのも、私のキャラじゃない。
どうしてくれようかと3秒程考えてから。
「バイバイ」
一言言うと、飲みかけのホットコーヒーを透の顔にぶちまけた。
髪や顔、スーツの襟元に琥珀色の液体が掛かって、独特の匂いが私と透の間に立ち込めた。
「咲良…ぁ」
情けない透の声を背中に聞きながら、私はカフェを出た。
今度は周囲の興味と好奇心は透に一気に注がれてるだろう。
そう思って少し離れた場所で、中の様子を窺う。すると、これ見よがしな白いハンカチを持って、誰かが透に駆け寄った。
…美雪だ。
近くで待ってたんだ。話の流れによっては、美雪も私の前に出てくるつもりだったのかも。
美雪は透の髪の汚れをハンカチで拭きとる。どーせ、私は白いハンカチとか似合わないタイプですよ。
「いいよ、そんなことしなくて」
「大丈夫」
2人のやりとりまで聞こえてきそう。
溜飲を下げるつもりで、コーヒーぶちかまして来たのに、2人の仲の良さを見せつけられてるみたいで、却ってもやもやした。
「…のに」
ぽつりと呟いた言葉と一緒に、涙が落ちた。
そう、好きだった。仕事出来なくても、人がよくて、穏やかな透が、私は好きだったのに。
声をあげて泣きたい。欲しいおもちゃを買ってもらえなかった子どもみたいに、わーわーって。
けど。ここは会社の近くで、まだ人通りも多い。
私は眦に溜まった涙が零れ落ちないように、必死に目を見開いて歩くことしか出来ない。
どうして透は私を選ばなかったのかな。
胸に沸いてくるのは、そんな疑問とあの時ああしていれば…って言う後悔ばかり。
家に帰ってやけ酒するか、親友の菜津子に連絡して、愚痴を盛大に聞いてもらうか、どうしようか悩んでいたら。
「御園さん」
甘くて低い声が、控えめに私の名を呼んだ。
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