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令和元年9月19日
久々の更新である。
こんなにも長い間執筆をサボって筆者は今まで何をしていたか。主に
・論文作成
・花火の観賞
・失せ物探し
の三つである。
そう、筆者はタナカくんと同じくらい大切なものを、先日元婚約者と訪れた花火大会で紛失してしまったのだ。嘆かわしい。何を失くしたか。元婚約者がくれた桜の髪留めである。泣きそうだ。
どこをどんなに探しても見つからず、憔悴しきって元婚約者に謝罪したら、
「え、帰るときはあったよね? まあまた別のやつ買ってあげるから元気出して」
と言われたが、筆者はあの髪留めでないとだめなのである。量産品で、全国の土産物屋に小学生でも買える値段で売られているような髪留めであるが、まだあの人が婚約者であったときに
「五百蔵さんによく似合うから」
と清水坂で髪に添えてくれた髪留めだから愛おしいのである。
そんな大切すぎるものを失くしてしまうなんて、筆者はとんでもない大馬鹿者である。いっそ死んでしまいたいくらいであるが、元婚約者の言う通り、帰りの電車に乗る直前まではその存在が確認されている。首を括るのは聊か早計といえよう。生憎電車に乗った後の記憶は眠すぎて無いが、失くしたのは電車の中か最寄り駅、あるいは帰り道か家の中だと思われる。
というわけで、ここ数日は駅に電話を掛けたり帰り道を鵜の目鷹の目で辿ったり、家の中を大捜索していたのだが見つからない。普段まったく信じていない神に祈ってみたり、ネットで"探し物を見つける方法"を検索して実践してみたりもしたが見つからない。藁にも縋る思いでアホくさい"無くし物が見つかるおまじない"までしたのに、愛しい髪留めの行方は杳として知れない。
そして、「こんなにまでしても見つからないなんて、もはや死ぬしかないのだろうか」と世を儚んで今に至る。
失くし物をした人に対してかける言葉として、「きっとこれからあなたに降りかかるはずだった災いの身代わりになってくれたんだよ」というような内容の言葉がある。だが、筆者はそう思うことによって心が安らかになったりなどしない。たとえ死に至るほどの災厄が降りかかろうとも、大切な髪留めを犠牲にして生き延びるのでなく、筆者は髪留めとともに死ぬ方を選ぶ。
……書いたら冷静になれるかと思ったけどむしろ落ち着かないよう! こんな死ぬほど大事なもの失くす自分に自己嫌悪だようう!! となったので筆を置き、もう一度捜索を開始することにする。乱筆乱文を失礼。
p.s.
あの日見た花火は、語彙力が追いつかないくらいとっても綺麗でした。こんな感じ。
思いっきりブレてて美しさが上手く伝わらないけれど、実物はこの1億倍美しかったのです。花火師さんすごい。超尊敬。それにしても花火撮るのって難しい(´・ω・`)
カメラ越しに花火を見ていたら、消えゆかんとするものを私の勝手な都合で永久に消えない写真にするなんてなんだか冒瀆のように思えたので(上手く撮れない言い訳だろ)、それからはずっとカメラを置いて愛しすぎるあまり一緒にはいられない人の隣であえかな花火を見ていました。
花火の煙に隠れていた中秋の名月は、最後の花火が紺青の空へ消えたあとのうつくしい余韻として、私達の帰り路を照らしました。初めて月が顔を出したとき、彼は「月が綺麗」と言いました。それはちょうど一年前と同じ口調で、でも含む感情も私達の関係も違って、私はなんだか泣きたくなりました。
きっとすべては、なくなるからうつくしいのですね。終わりがあるから愛しいのですね。私はうつくしいものや、愛しいものを永遠にしようとしたから、その報いを受けたのかもしれません。自分が求めすぎていたことを、やっとはっきり自覚しました。愛著や妄執からの解脱をせねば。
……使い古された陳腐な修飾で満ちた決意を記し、今度こそ筆を置く。
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