1037人が本棚に入れています
本棚に追加
/55ページ
人前なのに、机の下で……
*****
週明けの月曜日。
「あ。それ、見つかったんだぁ」
ひな子の首元を指差しながら、優奈が明るい声で言った。
四つ葉のクローバーをモチーフにしたシルバーのチャームに、アクアブルーの小さな石が付いたネックレス。教室の窓から差し込む朝の光を反射して、石がキラリと光った。
「よかったねぇ、見つかって。水島くんからのプレゼントだもんね~」
「……うん」
消え入りそうな声で返事をしたひな子が気まずそうに目を伏せた。
「え、どうしたの? なんかあった?」
いつもと様子の違うひな子を不審に思った優奈が、心配して彼女の顔を覗きこんだ。いつものひな子であれば、龍一郎との関係を冷やかされたらムキになって否定するはずなのに。
「ううん、大丈……」
ひな子が最後まで言う前に一限目の開始を告げるチャイムが鳴って、先生が入ってきた。
「先週やった小テストを返します。二十点以下の者は補習を行うので、放課後、化学室に来るように」
一限目はよりにもよって化学だった。
教壇には涼しい顔をした火神先生が立っている。今日も白衣がよく似合う。
「羽澄さん」
「……はい」
火神に呼ばれたひな子は小さな声で返事をしてから立ち上がると、なるべく火神と目が合わないように下を向いたまま答案用紙を受け取った。
そそくさと席に戻って点数を確認すると――
「げっ……!」
ひな子は顔を歪めて机に突っ伏した。
「うぅ~……泣きそう」
「ひな、大丈夫? ……うわぁ、これはヤバいわ」
ひな子の答案を覗きこんだ優奈が哀れみの目を向けた。「よしよし」と慰めるようにひな子の頭を撫でてくれる。
――十二点。
チラリと顔を上げ、改めて確認してみるけれど、もちろん点数が変わるわけはない。
ひな子はガクリとうなだれて、ふたたび顔を伏せた。
*****
「あれ?」
化学室にはひな子以外、誰もいなかった。
「おぉ、来たか。こっちだ」
化学室と繋がる準備室のドアから顔を出した火神が、大きな手をひらひらと揺らして手招きしている。
「あの、他の人たちは……?」
ひな子がきょろきょろと辺りを見回して訊ねると、火神が呆れたように溜息をついた。
「今回のテストは基本的なことばっかりだったからな。お前だけだよ……二十点なかったのは」
「えっ……ウソ!?」
準備室には化学の先生たちが使用する仕事机と、ビーカーやフラスコといった実験用具がところ狭しと並んでいる。
部屋には火神のほかにもう一人、須藤という男性教諭がいた。小太りで温厚そうな須藤先生は、ひな子の父親と同じくらいの年頃だろう。
「あれ? 羽澄さん、居残り?」
書きものをしていた須藤が顔を上げて、ひな子に声をかけた。
「はい……」
「火神くんを独り占めだなんて贅沢だねぇ。しっかり教えてもらいなさいよ」
「はぁ」
浮かない顔のひな子を火神は自分の隣に座らせた。
二人の正面では須藤先生が机に向かって黙々と自分の仕事に取り組んでいる。
「この時期にこの点数はちょっとなぁ……。受験までもう半年もないのに」
「…………」
返す言葉もなく、ひな子はしゅんと肩を落とした。
「元素記号くらいは覚えとけよ。受験生なんだから」
「はい……。でもなかなか覚えられないんですよね」
「簡単だろ。ほら、アレで覚えるんだよ、アレ」
アレアレ、と言いながら火神は元素周期表を机に広げると、定番の語呂合わせを唱えはじめた。
「ほら、水素から……水兵 リーベ 僕の舟、」
「すいません」
ひな子が小さく手を挙げる。
「どうした?」
「その『水兵』と『僕の舟』っていうのは、まぁわかるんですけど……『リーベ』って何なんですか?」
「お前なぁ、語呂合わせに意味なんか求めるなよ」
生真面目なひな子の質問に、頬杖をついた火神が呆れたように答える。
「でも気になっちゃって、なかなか先に進めないんですよね」
「『リーベ』っていうのはなぁ……アレだよ、アレ。ドイツ語」
「ドイツ語?」
「そうだ。たしかドイツ語では……『愛』って意味だ」
「……ほんとですか?」
ひな子は疑わしげな目で火神を見やった。
『リーベ』が『愛』を意味するということは、『水兵 リーベ 僕の舟』とは『水平は僕の舟を愛している』ということ?
――ますます意味がわからない。
「とりあえず、意味とか考えずに言ってみな」
火神に促されて、ひな子はしぶしぶ口を開く。
「えっと……すい へー リー べ ぼ く の ふ…………ひゃあっ!」
突然奇声を発したひな子に、正面に座っている須藤先生が訝しげな視線を向ける。
「ん? どうかした?」
「あ、いえ、あの……なんでも、ないです」
ひな子は何食わぬ顔でそっぽを向く火神の顔を恨めしげに睨んだ。
なぜなら――
机の下で、火神の手がひな子のスカートの中に侵入し、太腿をすべすべと撫でまわしているのだ!
最初のコメントを投稿しよう!