山賊に雇われた傭兵

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山賊に雇われた傭兵

 月明かりに照らされる山道を、殆ど休憩無しで歩き続ける。  オブシディアン・ベアとの戦闘以降、モンスターにも遭遇せず、至って順調な道のりだった。このまま無事に首都に着くといいんだけど……。  そう思ったのも束の間、旅の神様はそれを許してはくれなかった。  私の少し前を歩いていたティアーネが急に立ち止まり、右手で私の動きを制した。  何か異変を感じ取ったのだろう。  私もなるべく冷静に勤め、彼女の指示に従い足を止めた。 「……どうしたの?」  ティアーネにだけ聞こえるように、声を絞って彼女が何に警戒しているのかを問う。 「近くで戦闘音です。恐らく人間同士」  戦闘音? 何も聞こえなかった気がしたが、彼女がそう言うからには、そうなのだろう。  直後。  大きな爆発音と共に山林の向こう側で炎が上がり、そして消えた。 「なに!?」 「爆弾でしょうか」  続いて聞こえてくるのは男の叫び声と、金属同士がぶつかり合う音。 「……盗賊が何者かと戦闘していますね。盗賊は十名以上、相手は一人」  私が山の奥から聞こえる、僅かな音を聞き取っている間に、ティアーネは更に分析を進めていた。  この暗い山道の奥で姿は見えない。さらに音も僅かにしか聞こえないというのに、戦闘の詳細を彼女は把握しようとしていた。  あらゆる状況で、五感を十全に使うことが出来る魔術や、偵察兵の技能が存在するという。彼女は魔術師や偵察兵としての能力も持ち合わせている。ならば、このようなことも可能だということか。 「オブシディアン・ベアが殺気立っていた理由が分かりました。縄張り近くに賊が住み着いているせいだったんです」  通りで。そりゃあ自分の住処の近くにこんな荒くれ者達が居たんじゃ、落ち着く訳がない。  更にティアーネは状況の読み取りを続ける。そして重々しく口を開く。 「……どうやら女性一人が山賊に追われているようです」 「そうなの?」 「間違いないでしょう。剣を振るう際の息遣い、僅かに発する叫び声が女性のものです。一方相手も、これぞ山賊と言いたくなる様な、口汚い言葉を投げつけています」  私には全くそのようなことは聞き取れないが、ティアーネが私に対して嘘をつく理由もない。したがってティアーネが語っている内容は真実なのだろう。 「じゃあ助けないと」 「よろしいのですか? やり過ごす事も出来ますし、追われている女性を助ける義理もない。何より私が語っているのは、嘘や間違いという可能性もありますよ」 「ティアーネちゃんは、こんな嘘はつかないし、自信がない分析なら口に出したりはしない」  私の言葉を聞き、ティアーネが小さく笑う。それは少し不適な笑みにも見えた。 「それに、貴女自身も追われている女性を助けたい。そうでしょう?」  次第に近くなる戦闘音と、叫び声。どうやらこちらに近づいてきているようだ。 「ティアーネちゃん。山賊を蹴散らし、女性の救助を」  私の指示を聞き、ティアーネが不適に笑う。 「かしこまりました。やはり、レーネスさんは良い人ですね」  言い終わると同時に、ティアーネは加速を始める。  最初は歩く程度の速さ、そこから徐々に歩みを速め、やがて走り出し、最後には一陣の風になった。私も慌てて後を追う。  夜の闇の中、戦闘中の集団を私の目が捉える。ティアーネの分析通り、一対多数の戦闘。一人の方は体格や赤い髪を一纏めにしていることから、女性だと分かる。  対する集団の方も粗暴な態度や身なりから、山賊だということが分かった。  女性は逃げつつ山賊達の剣や斧による攻撃をかわし、手に持った長剣で受け流し、弾き返していた。返す刃で一人の山賊を斬り倒す。  しかし、相当疲労が溜まっているのだろう。両手で持った長剣を持ち上げるのも、もう精一杯だという状態なのが見て取れた。 「散々逃げ回りやがって、覚悟しやがれ!」  山賊の男が剣を片手に飛び掛る。  危ない!  思わず、赤髪の女剣士が血に塗れる未来を想像してしまう。  だが。  山賊の粗末な剣が女剣士を血に染めるよりも、ティアーネの剛脚の方が早かった。  夜の闇に、鈍い音が響く。  ティアーネのスピードが乗ったハイキックが山賊の腕を砕き、剣を遥か彼方へ蹴り飛ばしていた。  赤髪の女剣士も山賊も、突然現れた乱入者に意識が止まる。  ティアーネは構わず、拳打を鳩尾に打ち込む。山賊の男は自身が何をされたのかも、目の前に現れた少女が何者なのかも、自身の右腕が砕かれていたことすら知らず、数メートルほど宙を舞い地面に叩きつけられ気絶した。 「レーネスさん、彼女をお願いします」  ティアーネが私に女剣士をフォローするように伝えると、次の山賊からの攻撃に備える。女剣士を庇うように立つティアーネに対し、敵であると漸く認識した山賊たちは、一斉に攻撃を開始する。人数はやはり十人以上いて数えきれない。しかしその人数にティアーネは一切臆さない。冷静に一番近い山賊を見据え、振り下ろされた剣をガントレットで払い、顎を拳で打ち抜く。  軽く触れただけのように見えたが、男の顎が変形している。少女の拳の威力とは思えない。  顎が砕かれた男が地面に倒れるより早く、ティアーネの姿が掻き消える。オブシディアン・ベアとの戦闘で見せた彼女のスピード。あまりの加速に目が追いつかず、その場で消えてしまったように見えるほどの瞬発力。  次にティアーネに狙われた山賊の目に、彼女の姿は映っただろうか。もしくは特徴的な白いフレアスカートだけでも、目にすることが出来ただろうか。金属装甲を装着したブーツによる回し蹴りは、男の肋骨を数本纏めて砕く。あまりの激痛に男は顔を歪つつ、受身も取れずに地面を跳ねて転がる。 「この女、強いぞ! くそっ、囲め、囲め!」  山賊たちが声を上げ、人数の有利でティアーネを取り囲もうと、彼女を中心に包囲網を形成しようとする。しかし、ティアーネが包囲など許す筈も無い。  背後を取られるよりも速く、山賊の一人に接近し、勢いそのままに腹部に強烈な拳の一撃をお見舞いする。山賊の男は白目を剥き、血の混じった胃の内容物を吐き出す。ティアーネはその吐瀉物すら華麗な回転でかわし、そのまま裏拳で山賊の側頭部を強打して意識を奪い取る。  その次の山賊に対しては牽制すら行わない。数歩分の距離を一瞬で縮め、懐に踏み込むとアッパーで大の大人を吹っ飛ばす。宙を舞う山賊は、今日見たグレムリンと同じくらいの飛距離が出ていた。  小柄な少女にしか見えないティアーネ。しかしその攻撃一発一発の威力は、大柄な重騎士を思わせるほどの破壊力だ。  そして私はようやく、傷ついた女戦士の元へたどり着く。 「大丈夫?」  山賊に注意を向けつつ、彼女を安心させようと話しかけた。   疲労と出血が見られるが、深い傷はなさそうだ。  とりあえずは一安心。 「……お前達は何者だ」  女剣士は油断なく私を睨みつける。 「通りすがりの商人と、その護衛です」  なるべく落ち着かせるよう、優しい言葉で話しかける。 「商人だと? なぜこんな時間に、こんな場所で」 「首都へ急いで向かう途中で、偶然に」 「何故私を助ける?」 「山賊に追われていたから」 「悪いのは私かもしれんぞ?」 「そう? 明らかにあいつらの方が悪者顔だけど」  そういってティアーネが戦う男達を見る。  なんというか、典型的な山賊、といった感じの男達だ。浅黒く焼けた肌、手入れの行き届いていない不潔な髭。手に持っているのは碌なメンテナンスもしていない、剣や斧。  商人の私の目利きだと、もう売値も付けられないようなガラクタばかりだ。  クズ鉄としてなら二束三文にはなるかもしれないけど。  それでも一応は武器として機能するので、この彼女も傷を負っている。  ティアーネだって当たれば怪我、最悪命の危険もある。  だが、そんな心配は必要なさそうだ。ティアーネは傷一つ負うことなく山賊を打ち負かせていく。  振り下ろされる斧をガントレットで防ぎ、即座に反撃し斧の持ち主を蹴りでぶっ飛ばす。  戦闘力を失った男には目もくれず、次の山賊に向き直る。横薙ぎの剣撃は僅かに身体を引いて、何もない空間を空振りさせる。すかさず踏み込み、剣を構え直されるより速くフックパンチで脇腹を強打する。今のは確実に肋骨が折れた。  鎧を着た山賊すらティアーネの相手にならない。殴られ、蹴られた鎧は凹み、ひび割れ、砕かれている。山賊が使っているものなので、鎧の質は良いとは言えない。だとしても一発一発が戦鎚(ウォーハンマー)に相当する威力なのではないだろうか。 「もう終わっちゃいそう」  ティアーネの圧倒的な戦闘を見守る。山賊の人数も、指を折って数えることが出来る程までに減っていた。なんにせよ、彼女が怪我無く終わりそうでよかったと、ホッと胸を撫で下ろしていると、息を整えて活力を取り戻しつつある女剣士が口を開いた。 「いや、こいつらは只の雑魚だ。気をつけろ、一人強い傭兵がいる」 「傭兵? 山賊の中に?」  先ほど山賊から逃げているところを見ていたが、この女剣士はかなりの腕前の筈だ。それがなぜここまで追い詰められていたか疑問だった。  そうか、山賊の中にも実力者がいるのか。彼女を追い詰める程の。  だとしたら、ティアーネが危ない! 「くそっ……。先生! 傭兵の先生! お願いします!」  山賊の一人が大声を上げる。  遅かった……。  その叫びにも似た大声に呼ばれ、夜の闇から一人の男が現れる。 「なんだまだ手こずっているのか。女一人に情けない」  男がめんどくさそうに喋る。  夜闇に鈍く光る鎧、右手には肉厚な刃を持った戦斧、左腕には小型の円形盾を装備している。こいつも傭兵。金で山賊に雇われるなんてプライドはないのか。 「残念ですね、相手は女三人です」  傭兵の男に言い返したのはティアーネだ。  三人……。どうやら私も頭数に入れられているようだ。 「うん? なんだてめぇは。さっきの女剣士とは別人のようだが」 「名乗るほどの者ではありません。山賊に味方して小銭を稼ぐ、小物の傭兵さん」  傭兵の下品な笑顔が引きつる。ティアーネに言われたことがよほどカンに触ったのだろう。 「口の利き方に気をつけろよ、小娘。今謝れば三人纏めて山賊の性欲処理係として生かしてやらんこともない」  再び傭兵はいやらしい笑みを浮かべ、ティアーネと私、そして女剣士の顔と身体を順番に、武器屋に並んでいる剣を品定めするように見回す。  最低だ。荒んだ男というのは皆考えることが一緒なのか。 「自分達の顔の良さに感謝しろよ。ここまで暴れたら殺されて当然なんだからな」 「あんたたちなんて、私のティアーネちゃんが全員まとめてぼっこぼこにしてやるわよ」  つい口をついて言葉が出てしまった。こいつらの慰み者になるなんて死んでもイヤだった。 「だ、そうです。ですので、あなたをぼっこぼこにします」  一切臆することなくティアーネは言い放つ。夜風に黒い髪と白いフレアスカートが揺れた。  先に動いたのはティアーネ。これまでの戦闘と一切変わらないスピードで傭兵に仕掛ける。街を出て半日以上歩きっぱなし、それに戦闘も二回こなしている。にも拘らず、その脚力は一切鈍っていない。  これだけの運動量、そうとうな修練を積んでいる筈。才能があったとしても、これだけの持久力は修練でしか得られない。  このスピードには傭兵も驚いたようで、咄嗟に盾で蹴りを受けるのが精一杯だった。ティアーネはハイキックが受けられた事を気にも留めず、更に次の攻撃へと移行する。  戦斧による反撃が来るより早く、左右の拳を打ち込む。傭兵は再び盾とガントレットで防御。なんとかティアーネの攻撃を捌ききった。  慌てて傭兵が距離を取り、舌打ちをする。 「チッ、こんな小娘がいるとはな」  傭兵が私をちらりと見た後、戦斧を構えたままティアーネに向かい、大声を上げる。 「何が目的だ? その女剣士の仲間か、それともただの通りすがりか」 「目的? 女性が山賊に襲われている。なら助けるのが当然でしょう」 「ふざけるな。目的も無く山賊を倒して何の得になる」 「損得の問題じゃありません」 「テメェ、舐めてんのか。ただの山賊じゃ相手にならねぇその強さ、どうせ傭兵だろう。山賊討伐の依頼でも受けたか? ギルドの飼い犬が」 「ギルドで碌な仕事を受けれない、仲介料を取られるのに嫌気が差した。だから山賊に雇われてお山の大将気取りですか? ダサいですね」 「お前……。俺のことを知っているのか?」 「いいえ知りません。あなたみたいな雑魚、興味ありません」 「じゃあ何故……」  俺がギルドから離れて、山賊に雇われているのを知っている? そう聞きたいようだった。  ギルドは山賊等、犯罪者だと分かる相手からの依頼は仲介しない。だからこの山賊に雇われているこの傭兵は、ギルドに登録していない。それは推理できなくはない。  しかし、その事情まで推測し言い当てるのは、ティアーネだから出来る芸当だろうか。図星を突かれ、傭兵は押し黙る。 「いい仕事を受けたいのでしたら、その傲慢な性格を矯正するか、誰にも文句を言われないくらい圧倒的な実力を身につけて下さい」  言い放ち、ティアーネは地面を蹴って加速する。傭兵も思考を振り払い、ティアーネの相手に専念しようと腰を落とし身構える。  高速で突っ込むティアーネは傭兵の目の前で突進の方向を変え、盾を装備していない右に回りこむ。しかし傭兵も然る者で、眼で追い防御の体勢を取る。頭部を右腕、脇腹を左腕の盾で覆いティアーネが狙いそうな急所を隠す。速度を増した頭部狙いの回し蹴りが右腕を叩く。蹴りはガントレットによって阻まれたが、その衝撃が傭兵の身体を揺らす。 「ぐっ……」  予想以上の威力に傭兵の顔が歪む。ティアーネは蹴りが防がれた事を気に留めていないようだ。予測の範疇だということだろうか。 「フンッ、女の癖に中々重い蹴りだな。だがその程度じゃ俺の首は獲れないぜ」  今度は傭兵から動く。低く戦斧を構え、盾を前にしてティアーネに突っ込む。  戦士の基本的な構え、盾を構えることで突撃に対するカウンターを防ぎ、自身の身体を守る。そしてティアーネが格闘術の使い手なので、一撃で致命傷は無いと判断したのだろう。強気な突撃を行う。  低所から振り払われる戦斧。それはティアーネの脚を狙った一閃。頭や身体を最初に狙わないのは、この後彼女の身体を弄ぶ際に興が削がれるので避けた。そんな考えが見え隠れして、私は不快感が更に増す。しかし、不安はない。不思議と安心して戦いを見守ることが出来る。  一歩後退してティアーネが戦斧をかわす。さらに一撃、二撃と戦斧は振るわれるが、全て空を斬った。  掠らせもしないティアーネの見切り。更に戦斧による斬撃に混ぜて、フェイントで蹴りも繰り出してくるが、それも余裕を持ってかわす。左腕に固定された盾での殴り、そして掴みもティアーネには届かない。 「くそっ、その長いスカートでよくもまぁひらひらと逃げ回れるもんだ。そんなに男の気を惹きたいのか。踊り子志望なら街の酒場にでも行きな」  悔し紛れに傭兵が挑発する。しかしティアーネはその挑発を返す様に微笑む。今度は見せびらかすように両手で僅かにフレアスカートを摘んで揺らし、傭兵に攻撃を仕掛ける。  回りこまずに正面から踏み込む。戦斧が振り下ろされるより速く、盾で防御されるよりも更に速く。拳の間合いまで踏み込むと、傭兵の腹部にストレートパンチをお見舞いした。  ガントレットと鎧が激突して金属音が響く。その衝撃に傭兵は二歩、三歩後ずさり、殴られた腹部を左手で押さえる。 「ぐっ……」  痛みで傭兵の表情が歪む。鎧に阻まれたといえ、その威力は鎧越しでも相当なようだ。 「なんなんだこのガキ……。こんな重いパンチ……」  ティアーネは一撃が致命傷でないことも、傭兵が苦しんでいる事も気に留めていないような、平然とした顔で油断無く構える。二人の距離は十数歩分はあるだろうか。距離を開け少し夜の山に静寂が訪れる。  どうやら優勢はティアーネのようだ。よし、これなら勝てる。  だが。  傭兵が、笑う。 「くっくっくっ……。日に二度も使うことになるとは」  先ほどまでの苦悶の表情、だが顔を伏せて間違いなく傭兵は笑っていた。それを見て静かに戦いを見守っていた女剣士が突然声を張り上げた。 「だめだ! アレを使わせるな!」  その声にはありったけの危機感が詰め込まれている。  傭兵が動く。左手で腰の鞄から何か丸い塊を取り出し、身体の魔力が徐々に大きくなる。まさか……魔術!? 「もう、遅い! 『我が魔力、全てを焼き尽くす炎。我の掌で混ざり融合し、眼前の敵を吹き飛ばせ』」  魔術詠唱、それを唱え終わると同時に、手に持った球のようなものをティアーネに投げつける。そうか、さっきの炎はこいつの魔術だったんだ。  まずい、ティアーネちゃんでも魔術を受けたら一たまりも……。お願い、避けて!  しかし。  ティアーネはその場を動いていなかった。真っ直ぐ爆弾のようなものを見据えている。  その光景に。  私は戦慄した。  ティアーネが危ないからではない。  そう、あえて言うのなら。  彼女の異常さに。  次の瞬間、傭兵の投げた魔力を込められた爆弾は赤い炎を上げて大爆発を起こした。爆風と熱と轟音が私の元まで届く。  腕を上げて顔を覆い、その余波に耐える。これだけ距離があるというのに、晒された肌は熱に煽られてヒリヒリとしていた。  私も商人としてそれなりに修羅場はくぐったし、魔術の知識がない訳でない。  あれは、手投げ爆弾の火薬に魔力石を砕いて混ぜ、魔術で反応させることによって爆発の威力を飛躍的に向上させている。  専用の爆弾を準備さえしたら、魔術の知識、技量はそれほど求められない。手軽かつ堅実な魔術の一種だ。  しかし手軽でも威力は十二分。直撃の殺傷能力は人を殺して有り余る。 「……ティアーネちゃん」  顔を上げ、爆発の中心を見る。草は焦げ、地面は抉れて周りの木々も折れたり傾いたりしている。  ティアーネの姿はそこになかった。 「くそっ、遅かった……」  女剣士が己の忠告が遅かったと、後悔するように声を漏らす。 「ははっ、吹き飛んじまったか。上玉だったのに勿体無いことをしちまったかな」  傭兵が安堵するように笑う。案外とあっさり片付いた事に対する喜びが、口元から溢れていた。  それでも私は鳥肌が止まらなかった。この後山賊たちに乱暴される事を想像して、ではなく。ティアーネは魔術爆弾を、あえて避けなかったように見えた。その投擲された軌道を確認するように、じっと見つめていた。  それは目標が自分か、それとも後ろにいる私たちなのかを確かめている様でもあったし、もしくは……。  どこまでなら、自分は避けきれるか。  それを確かめようとしているように見えた。  命のやり取りの最中、自分の力を確かめようとしているように、見えてしまった。 「思ったより、爆発は小さいんですね」  透き通るような、小鳥のような美しくかわいい声が聞こえた。 「は?」  その声は傭兵の背後から。  慌てて傭兵が振り返る。  夜風に揺れる白いフレアスカート、黒いジャケットに黒い髪。宝石のような蒼い瞳は間違いなくティアーネ・エルメルトだった。  あの爆風を至近距離で受けた筈なのに、怪我はおろか服に焦げ跡一つ付いていなかった。  傭兵が唖然として、一歩二歩後ろに後退する。  確実に魔術爆弾に巻き込んだ手ごたえを感じていたのに、その対象が自分の後ろに立っている。本人からしたら信じ難いことだろう。しかし、現実としてティアーネは無傷。完璧に回避されていた。 「そんな、馬鹿な……」 「馬鹿もなにも、私は無傷ですよ。避けましたので」  しれっと、ティアーネが語る。避けた? あのタイミングで?  信じられないけど、本人がそう言っているから、そうなんでしょう。  隣の女剣士を見る。  彼女もまた、驚きの余り口が開きっぱなしになっていた。  周囲の驚きを他所に、リラックスした表情のままティアーネが両拳を軽く上げて構え、地面を蹴った。傭兵との数歩分の距離は一瞬で縮まり、その勢いのまま突き蹴りを繰り出す。傭兵は盾で防御、その衝撃を殺しきれず身体が浮き、後退を余儀なくされた。  再び二人の距離が開き、十メートル前後離れる。  これも私にはワザと距離を開いたように感じる。魔術がある以上、距離を詰めて畳み掛けた方がティアーネにとって有利な筈だ。なのにそうはせず、逆に距離が開くような攻撃を仕掛けた。  距離が開き、ティアーネは構えを解く。身体から余分な力を抜き、リラックスしているようにも見え、隙だらけのようにも見えた。  私は一つの考えに至り、再び冷や汗が流れ出す。  間違いない、ティアーネはもう一度魔術爆弾を使わせようとしていると。でも、何の為に?  だが傭兵は距離が開いたことに疑問を感じず、寧ろ油断している今が好機と思ったようで再び爆弾を取り出し魔術を発動させようとする。 「今度こそ確実に殺してやる! 『我が魔力……』」  詠唱を始めた瞬間、それまで構えを取っていなかったティアーネが動いた。ゼロからトップスピードへ、予備動作のない加速は、その場に残像が残って見える程の高速。  音も無く、構えも無い。そして姿が見えない。私の動体視力を超越したスピード。  成る程。確かにこれだけの速さがあれば、魔術爆弾も引き付けて避けることが可能だ。  その動きは傭兵ですら反応ができなかった。傭兵は魔術の詠唱中、左腕に感じた痛みで異常を察する。  十メートル近く離れていた距離は一瞬で縮まり、爆弾を持つ左腕を掴み捻り上げていた。関節が軋む激痛に声も出せず、傭兵は爆弾を取り落とす。 「遅いですね、詠唱」  一言、呟く。そして掴んだ左腕を更に捻りながら、自身より体格の勝る傭兵を脚をかけて投げ飛ばし、地面に叩きつけた。その際に骨が折れる嫌な音が聞こえた。 「ぐはっ」  腕が、人間の腕が本来曲がらない方向に曲がっている。さらに背中から地面に叩きつけられた傭兵は星空を、そしてティアーネを見上げる形となった。  ティアーネが傍に落ちていた爆弾を拾い上げる。 「これ、詠唱はなんでしたっけ? 『炎よ、爆弾と共に、爆発しろ』」  ティアーネの魔力が魔術爆弾を起動させた。 「……マジ?」  思わず声が出た。  詠唱が違う。かなり短くなってる。でも、間違いなく発動してる。 「ひっ……」  ティアーネの足元の傭兵が情けない声を出して、身を捩る。どうにか爆発から逃れようとしているのか。  だが、爆発は傭兵を吹き飛ばしはしなかった。  その爆発は私達の遥か頭上、夜空を彩る花火のように、中々美しい一輪の花を咲かせる。ティアーネが爆発する前に、天空へと投げていたのだ。 「詠唱削っても発動しましたね」  そう簡単に言う。いや、言うほど簡単なことではない。  魔術の詠唱というのはその流派などによって異なるが、その魔術の本質というものを理解しないと、詠唱を削るなんてことは出来ない。  イメージ式、グリモワール式、スクロール式、スペル式……。魔術発動方法は多種多様にあるが、詠唱を伴うスペル式は比較的簡単だと言われている。  とはいえ魔力の生成など、修行は必要で私があの爆弾を持って詠唱を真似ても、発動できるものではない。  あの傭兵だって、魔術爆弾を習得するのに相応の苦労を払っている筈だ。それを目の前であっさり、それもより高度な短縮詠唱で発動してしまった。  ティアーネは魔術の知識も少しある、と言っていたが『少し』程度で出来ることじゃない。  そして、私よりも心穏やかでないのは傭兵だ。  折られたのは左腕、そしてプライド。それも目の前の少女にだ。体術だって、今までの戦闘を見る限りティアーネの方が上回っている。  魔術爆弾を奪われ、自分に使われると思った傭兵は恐怖で脚が震えていた。しかしそれを知ってか知らずか、ティアーネは慈悲深く、もしくは無慈悲に囁く。 「さあまだ終わっていませんよ。立ってください。あなたの相手は少女一人。動かないのは左腕だけ、破られたのは魔術爆弾だけ」  そして、月を背後にして微笑む。 「立って戦いなさい。愚かな傭兵」  ティアーネ・エルメルトが、その蒼い瞳に暗い炎を燈す。  その姿は、傭兵にとって天使に見えたか、それとも悪魔に見えたか。 「う、うわぁあああぁあぁ……!」  泣き叫ぶように悲鳴をあげ、起き上がった傭兵が戦斧を片手に飛び掛る。  振り下ろされる鉄の凶器。しかし、それはあまりに力が無く、技も無く、工夫のない一撃だった。  戦斧がティアーネの黒髪に届くより早く、横からの衝撃で根元から折れ、分厚い刃は近くの大木に回転しながら突き刺さった。それは正確無比なハイキックで砕かれていた。  振り下ろされる斧に蹴りを合わせ、更に柄を砕く蹴りの威力と精度。そして呆れるほどの度胸だ。もし失敗したら自分の頭がカチ割られるというのに。  刃が無くなり、只の棒になった自身の得物を、傭兵は無言で見つめていた。  すっーと、ティアーネが小さく息を吸う。  身体に力を溜め、一気に解き放つ。  まず一発、渾身のボディーブローが傭兵の身体をくの字に折り曲げる。さらにそこから左右の拳の連打、連打、連打。  頭、顎、胸、鳩尾、腹部。一瞬で身体のあらゆる場所にティアーネの拳がめり込む。鎧があろうがなかろうがお構いなし。兎に角殴って殴って殴り続ける。  最後の一撃は右拳が左頬に突き刺さり、顔を更に変形させながら、血を噴出し傭兵の身体は草木の間へと飛んでいった。  最早意識は無いだろう、それ以前に生きているのだろうか。  でも、まあ、自業自得。あの傭兵が選んだ人生の末路だ。気にする必要はない。  構えを解き、ティアーネが深く息を吐く。 「レーネスさん、ぼっこぼこにしました」  私に向き直ったティアーネが笑顔で報告する。 「あはは……。ありがとう」  充分強さを認識しているつもりだったけど、ここまでなんて。最後とかちょっと怖かったし……。でも、ティアーネは約束を、そしてなにより私達を守ってくれた。  だから、もう一度ありがとう、と伝えよう。そう思った矢先、すっかり居なくなったと思っていたヤツ等があらわれた。 「くそ、先生がやられた! でも人質を取っちまえばこっちのもんだ!」  そんな声を上げて飛び出してきたのは、山賊の残党達。中には今の戦闘のうちに気絶から復帰したらしき山賊の姿も見えた。数にして五人。  その人数で勝てるとは到底思えない。  そこで合点がいった。  何故、ティアーネがオブシディアン・ベアに対して「賢い」と言ったのか。  山賊達が力の差を見せ付けられても尚、挑んでくるその愚かさ。さっきのオブシディアン・ベアは力の差を認めた時点で撤退した。賢さがあれば、そのような選択も出来るというのに。まだ、こいつらは痛い目を見ないと分からないのか。  人数はティアーネの周りに二人、私達の周りに三人だった。  意外な人物が最初に動いた。女剣士だ。  剣を持って立ち上がりつつ、まず一番近くに居た山賊を一刀。驚きで動きが止まった山賊の剣を弾き、返す刃で二人目。さらに振り上げた斧を振り下ろすより早く、横薙ぎの一閃で斬り伏せ、瞬く間に三人の山賊を倒した。  ここまで一人で逃げていた女剣士。やはり、その実力はかなりのものだった。  一方のティアーネに目を向けると、左右を囲んだ山賊に対し、左の山賊は目にも留まらぬ裏拳で顔面を破壊し、もう片方の山賊には鳩尾に肘打ちを叩き込み、さらに背負い投げで先ほど顔面を破壊した山賊に叩きつけて、包囲を突破していた。  お見事。 「ふぅ、これでもう山賊の心配はないかな?」  安堵の声が漏れる。流石にこれ以上はないでしょう。山賊も動けそうなヤツはいないし。  私がよかったよかった、と頬を緩ませていると、ティアーネが女剣士を指差し、何やら心配そうな表情で口を開いた。 「彼女、大丈夫ですか? 顔色が良くないですが……」 「えっ」  慌てて女剣士を向き直る。  確かに顔色が悪い。  すると、膝から崩れるようにその場にへたり込んでしまった。 「だ、大丈夫?」  まさかどこか大きな怪我をしているとか。  だが、返って来た返答は意外なものだった。 「お、お腹が……減った」 「はい?」  思わず間抜けな声が出てしまった。  ついでに彼女のお腹も、ぐぅと鳴っていた。
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