20

1/1
71人が本棚に入れています
本棚に追加
/20

20

 そして、翌日。  新千歳空港に到着するに至っても、もっと遅い便にしてくれれば札幌の街を案内することくらい出来たのにと、七生はグズグズと言っていた。それに対し、もう北の大地には飽きたわと、八重の方は冷たい。 「だいたいね、見送りになんて来なくていいのに」  たかだか、東京まで一時間と少しじゃないと八重は肩を竦める。大きな荷物は既に預けてしまったので、小さなバッグひとつの身軽な姿だ。 「でも、迎えには来られなかったから」  だから、せめて見送りくらいさせてくれと七生は言う。幸いと言おうか、クソご紹介の会社の面接を受ける関係で、試食販売などのデイリーな仕事は調整してあった。 「そんな甘いことを言っていると、『おひとついかが』の方も仕事を失くすわよ」  八重は素っ気ない風を装っているが、形の良い唇は笑む形に綻んでいる。  本当は嬉しいくせに強がっちゃって。可愛いものだ。 「まあ、そっちのお(かた)はボールを蹴ることくらいしか、やることがなさそうだけど」  一矢がくすっと笑ったのを見咎めたのか、くいと顎を上げ、八重は皮肉な眼差しを向けて来た。どうして、あんたまで付いて来るのよ、といったところだろうか。 「八重」  だが、その言葉に反応したのは七生の方だ。  あ、これは来ちまうヤツだなと思っていたら、案の定だ。こういう時だけは反応が速い。 「あら、怖い顔」  ふふっと微笑む八重に、七生はむっと眉を寄せた。 「八重。冗談にもそんな言い方をするな」  一矢がご無体などをした時に叱り付ける時よりは口調がやわらかいが、その声は同じように真剣だ。 「プロの選手は自らを鍛え上げ、節制し……おまえが考えているより、ずっと大変なんだ」  かつて、自らもその一員に加わることを夢見ていた七生は、ボールを蹴ることを生業(なりわい)としている選手たちを愛し、そのプレイを尊敬している。フェローチェのしょぼい舞台裏を見てしまった今も、その想いは変わっていなかった。 「そもそも練習っていうのは、ボールを蹴ることだけじゃないんだぞ」  筋トレだって欠かさないし、メンタル面だって鍛えなきゃだし、栄養面もと、七生はひとつひとつ挙げて行く。八重はそんなの知ったことかという顔をしているが、その耳は七生の声を追っていたに違いない。  八重は、それが七生を一番怒らせることだと知っていたのだろう。  叱られながら、以前と変わらない七生にほっとしているのではないだろうか。  Sな性格してMな奴だ。  一矢も似たようなところはあるけれど。 「だから、サッカー選手っていうのは……」 「七生、そんなに褒めんなよ」  放って置くと延々と演説を始めてしまいそうな七生に、照れちまうじゃないかと一矢は笑って見せる。そして、返す目で、もう充分だろうと八重を見た。  そうしたら──あろうことか、つんと、そっぽを向きやがった。  前言撤回。やっぱ、可愛かない。 「ああ、そうだ。これ」  七生は七生で、もう直ぐ搭乗時間なのだから、こんなことをしている場合じゃないと思い出したようで、手にしていた土産の詰まった紙袋を八重へと差し出す。八重が搭乗手続きに行っていた間に買い込んだものだ。  前もって用意しておきたかったに、などと、この時も土産の品を選びながら七生はグズグズと言っていた。  結局のところ、まだ妹に帰って欲しくないのだろう。  シスコンというか、ブラコンというか──家族コンな奴だ。 「何よ、これ」  せっかく荷物を預けて来たのに今更寄越すなと、八重は紙袋を押し返す。それを、七生がまた、押し付け返した。 「この大きさなら手荷物で持ち込めるだろ」  一応、その辺は七生も計算していた。 「こんなものを持っていたら、いかにも観光客じゃない」 「し、仕方ないだろ。買う暇がなかったんだから」 「私は、北海道旅行して来ました、なんて触れて回る気はないの」  八重のよく回る口に、どう見ても押され気味だったが、それでも七生は言い返している。  かつての兄妹喧嘩も、きっと、こんな感じだったのだろう。制服姿で言い合っている光景が見えるかのようだ。  結局のところ、お願いだからと七生が頼み込み、仕方ないわねと八重が偉そうに引き受ける形で事は収った。いつもこのパターンだったに違いない。 「えっと、こっちのがおふくろたち。これが隣のウチの分と……」  七生は早速のように、紙袋の中身の説明をし始めた。何とか了解してもらえたのが嬉しいらしく、その声は弾んでいる。  それにしても、隣のウチだ、奥だ、角だと、まるで暗号のようだ。  それで話が通じるのだから、すげえよなと思う。 「角のおじさん、糖尿の気があるから甘いものは駄目だって言ってたわよ」 「えっ、そうなのか?」  じゃあ、角のウチにはこっちを土産にして、と二人は真面目な顔で話し込んでいる。  この調子だと、近所中に土産を配ることになるのだろう。  以前、七生が観光客として北海道を訪れた時もそうだった。あの頃は会社関係の土産もあったから、土産代の方が航空運賃より高かったのではないだろうか。  そこらに疑問を抱いている素振りが見えない辺り、クールなフリをしていても、八重もしっかりと真山家の一員だ。 「で、これはおまえに」  最後に七生は、ポケットから取り出した小振りな包みを八重の手に載せた。 「ちょっと、これ、まさか……」  箱入りではなかったので、形状でそれが何か、八重には判ったようだ。一緒に土産物屋に付いて行った一矢も知っている。熊が鮭をくわえている木彫りの置物だ。  冗談じゃないと拒否る素振りの八重に、これが一番北海道らしいんだと七生は言い張った。  たぶん、七生としては何でも良かったのだろう。それは、いい加減に選んだという意味ではない。何でもいいから形となるものを八重に渡したいという気持ちの表れだ。 「ま、割りと可愛いじゃない」  包みを開けた八重は、木彫りの熊を掌に載せ、ふんと言った。それだけで、七生の顔にぱあっと笑みが浮かぶ。  やっぱ、兄妹ってズルい。  搭乗アナウンスが流れ、そろそろ行かなきゃと八重が言い出す。  その言葉に、目を細めた七生の想いが胸に痛い。うんとうんと東京に通い詰めていても、一矢も北海道に戻る飛行機に乗る時は、いつの時も切なかった。 「今度は、そっちが訪ねて来なさいよ」 「たまには、おふくろや親父の顔も見ないとな」  八重の言葉に、七生は大きく頷いた。 「それは、ぜひとも、してやって」  八重はふっと、やわらかく微笑む。つい先程まで、七生をやり込めていたキツい顔とは別人のようだ。 「でも、そこに私はいないから」  優しい表情のまま、八重は続けた。 「えっ、八重……?」 「たぶん、来月からニューヨーク勤務」  事情の呑み込めない七生に、八重は重ねて言う。  これが、八重の隠していたことだ。一矢もそこまでは読めていなかった。  そうだったのか。  そう──なのか。 「だから、いないの」  ふふっと笑った顔は、もう、意地悪臭い。 「八重、ニューヨークって……」 「アメリカよ」  決まってるじゃないと、八重は笑った。ふふっ、が、ふふんになっている。 「おまえ、英語、喋れるのか?」  驚き過ぎると、七生はボケたことしか言えなくなる。今もまさに、その症状が現れていた。 「ええと、あっちは物騒だから、戸締まりに気をつけて、夜は遅くならないようにして……」  ニューヨークという言葉から真っ先に思い浮かべたのが、そうした防犯上のことだったのだろう。どう見ても、八重が海外勤務になるということに対しての実感が湧いていそうにはないのに、七生はしどろもどろの口振りで注意事項を並べ立てて行く。妹に対する想いが窺えた。 「七兄」  そんな七生に、八重は抱き付いて行く。これには、さすがの一矢もぎょっとした。 「や、八重」 「いいじゃない。兄妹なんだから」  驚きのあまりに体を硬直させた七生の胸元に、八重は顔を埋める。  いったいどうしちゃったんだろう。もう直ぐニューヨークに行っちゃうからなんだろうか。  そうしたら、当分、会えないんだよな。  様々な想いが七生の顔に表れては消えて行く。 「八重……」  きゅっと目を細めたかと思うと、七生はその手を八重の背中へと回した。  まるで、別れを惜しむ恋人同士のようだった。  この俺が、これじゃあお邪魔虫じゃんと、一矢は口をへの字に曲げた。  そうして、その後、仕方ないなと口元を緩める。今だけ、許してやんよと。  でも、今だけだから、とも。  再び、羽田行きの搭乗案内がロビーに流れた。  八重はすっと身を離す。 「じゃあね」  くるりと身を翻し、八重はゲートへと向かった。 「八重」  堪らないように、七生の声が追い掛ける。 「また来いよ」  大きく手を上げて振り回す七生に、八重は格好悪いと眉を顰める。でも、それも、きっとポーズだ。 「俺も行くから」  七生の声は震えていた。 「東京だけじゃなく、その……」  ニューヨークにも──七生のそんな声無き声を聞き取ったのだろう。八重はふふっと綺麗に笑った。 「もっと大きい木彫りの熊を持ってってやんよ」  脇から声を張り上げた一矢に、八重は唇だけで『馬鹿』と言う。情けの欠片もない顔をしていた。  最後に七生に小さく手を振り、八重はそれきり振り返らずにゲートの向こうに消えて行った。  その姿が見えなくなってからも、七生はじっとその場に立ち尽くしていた。 「七生」  様子を窺いながら、一矢はそっと声を掛ける。 「あ、あいつ、何なんだよな、いきなり」  怒ったように言いながらも、七生の目は潤んでいた。 「七生。胸ポケット」  七生のシャツの胸ポケットからは、封筒が覗いている。本当はもっと前から気づいていたが、今初めて見つけた顔をして教えてやった。 「えっ、あっ」  いつの間にと、七生は慌てて封筒を手に取る。抱き付いた時に、八重が忍ばせたものだ。 「ちょっと早いけど、誕生日おめでとう……って……」  かさと取り出した便箋の文字を、七生は声を詰まらせながら読み上げる。五月は七生の誕生月だ。 「再就職出来た奇跡に感謝しなさい……ってさ」  全く何を言っているんだかといった口振りだったが、声の震えは隠せない。 「今度はクビにならないように、って、俺、別にクビになったんじゃないのにな」  笑い飛ばすつもりだったのだろうが、どう見てもそれは無理そうだ。 「八重の奴……」  便箋を手にしたまま、七生はしばしの間、肩を震わせていた。その肩を抱き寄せてしまいたかったけれど、しなかった。今の七生は『おにいちゃん』だ。 「あれ……?」  不思議そうな声が上がったのは、どうにか気持ちが落ち着いて、便箋を封筒に戻そうとした時だ。他にも何か入っていると、七生は封筒を逆さにする。 「配達注文票……?」  何だこれ? な七生の声に、一矢はその手元を覗き込んだ。 「何か……今日届くみたい」  七生がほけっと呟く間に、一矢はその紙切れが家電屋のもので、デジタルカメラと書いてあることを見取っている。 「ったく、やってくれるぜ」  思わず、そう呟いていた。 「えっ……デジタルカメラって……」 「これから必要だからだろ」  遅れて、またほけっと言う七生に、八重の意図を教えてやる。  昨日の取材の話を聞いて、一矢もカメラを誕生日と就職祝いを兼ねて買ってやるかなあと思っていた。  なのに、すっかり先を越されてしまった。何だって、考えることが似てやがるのか。 「そうなんだ……」  じわっと来たのか、七生の声が濡れている。  本当にヤな女だ。  七生を泣かせやがって。  けれど、七生は『来い』と言った。  『行くから』と言った。  だからまあ、馬鹿と言われるくらいは許してやる。  何せ、あの女は七生の妹だから。 「七生、行こうぜ」  結局、あっと言う間だったなと思いながら、一矢は七生の腕を引いた。  八重は、あっと思う間にやって来て、あれれと思う間に去って行く。 「えっ、どこに?」 「展望デッキ」  七生を引き摺るようにして歩きながら、一矢は質問に答えてやった。 「最後のお見送り」  高らかに一矢は言った。七生は、その言葉に、また、ぐすっと鼻を鳴らす。  展望デッキからは飛び立つ飛行機が見える。  そこで、桜前線と共にやって来た嵐が去るのを見送ろう。  もちろん、七生がまた涙ぐんだりしたら、キスしちゃる。  だから、心置きなく泣いちゃいな。 《 END 》
/20

最初のコメントを投稿しよう!