03

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 新千歳空港のロビーに突っ立った一矢は深々と息をついた。  七生に『お願い』されたのでなければ、こんなところにいはしない。  朝の一発どころか、あの後、トーストを齧りながら空港まで車を飛ばして、今、ここにいる。  いきなりの妹からの電話は、結論から言うと空港まで迎えに来いというものだったようだ。  でも、俺、仕事が入っているんだと、困りきった顔で見つめられたら、なら俺さまがと、ばんと胸を叩かなければ男じゃない。  ようするに、縋るような七生の上目遣いの目にやられちまっただけだけれど。  幸いと言うか、生憎と言うか、一矢は今日一日オフだった。  トーストごときでは朝食には足りずに、ターミナルビルにある店で買ったおにぎりをパクついていると、七生の妹の乗った便の到着がアナウンスされた。  迎えには来たが、実を言うと、七生の妹の顔は知らない。  急遽会社を辞めてアパートを引き払った七生は、アルバムの類いを実家に預けたままだった。  それでも、スマホに写真くらいあるだろうと思って尋ねると、流出したら嫌だからと保存させてもらえないとのことだった。  仕方がないので七生に尋問したが、これがまた頼りにならない。  髪型を聞けば、この間は結っていたけど、その前はふにゃふにゃだったしと、当てにならないことを言うばかりだ。  美人だと力説していたが、身内の意見だという点を差し引いて考えるべきだろう。  ただ、気が短いと言っていたから、降りて来るなら最初の方だろうと踏んで待ち構えていた。  すると、確かに美女が先頭切って到着ゲートに姿を見せた。へえと思わず声を漏らしてしまったほどの上玉だ。しかも、その女は一矢を見て、ストレートの黒髪を揺らして歩み寄って来る。  一瞬、俺に惚れたか──と思ったが、にこりともしない表情を見る限りにおいては違うようだ。兄貴がサッカー選手と暮らしていることくらいは知っているだろうから、向こうがこちらを見つけてくれたということらしい。  それにしても、見事なほどに七生とは似ていない。  全体の造りどころか、瑣末なパーツのひとつに至るまで、どこをどう改造したら七生からこの女になるんだ、ってなほどに違っている。  ホントに兄妹なのかと、三番目を見ていなかったなら、そう疑ったに違いない。  だが、さりとて、あの得体の知れない男と似ているわけでもなかった。  くっきり二重に睫毛ばさばさ。見事な形の鼻の下には口紅のモデルも出来そうなきゅっとした唇がある。  美人は美人だが、ものすごく気が強そうだ。そこらが、見掛けだけはやわらかい印象の三番目とは違うところだ。  それにしても、八人も子供を産むと遺伝子が変異しちゃったりするのだろうか。  そうでなければ、いくら産んでも女の子が産まれないからと、どこか違うトコからタネをもらって来たとか。  なんて失礼なことを考えたと知られたなら、七生にどつかれるに違いない。  ちなみに、七生の両親は初恋同士の熱愛夫婦だそうだ。 「お兄ちゃんは?」  一矢の前で足を止めた女──八重は、高飛車な口調で尋ねる。  『お兄ちゃん』という聞き慣れない言葉を聞いて、一矢はぷっと思わず笑ってしまった。  何、この男、とばかりに、綺麗に描かれた眉が吊り上がる。 「七兄(ななにい)はどこ?」  言葉を変えて、つんと八重は尋き直す。可愛いっちゃ可愛いもんだとニヤついていたら、ものすごい目で睨まれた。ひええ、こえぇの──ってな素振りをすると、今度は呆れた顔をされてしまった。 「七生は仕事」 「どういうこと? まだ失業中なんでしょ」  教えてやると、遠慮会釈なしに、ばっさりと切り捨てた。 「バイトだよ」  七生の名誉のためにもと、一矢はきちんと言った。一時雇用かもしれないが、それでもちゃんと働いている。 「もう三十近いのに何やってんのよ」  なのに、まあ、バイト、と八重は今度は眉を寄せる。 「それ、あんたもだろ」  それとは、『三十近い』のことだ。五月生まれと三月生まれ。今は誕生日前の七生と同じ年齢のはずだ。 「青臭いサッカー小僧が何を言ってるのかしら」  年齢のことを言われて腹を立てたのか、八重はふふんと言い放ち、艶めいた髪を掻き上げた。この手の髪型をした女がよくやる仕草だ。だが、美形なだけに決まっている。 「まったく、七兄もこんな子供を迎えに来させて。ちゃんと連絡したのに」 「七生は仕事だっつってんだろ」  まるでサボってでも来いとばかりの言い方にむっと来た。どんな仕事だろうと、仕事は仕事だ。七生はデパ地下の試食販売を、今も必死こいてやっている。  一矢は見に行ったので知っている。一日中立ち仕事で、愛想を振りまいて。結構大変な仕事だ。  いきなりやって来て、好きなことを言ってんじゃねえよと、一矢も負けずに眉を寄せてやった。 「あなた、七兄より年下なんでしょ。なのに、何で呼び捨てなわけ?」  言葉にしなかった分も読み取ったのか、八重の眉はむむっとさっきまでより寄っている。 「わりぃかよ」 「悪いわよ」  俺の勝手だろうとむかついて言い返したら、向こうもムキになったように言って来る。 「いい? ちゃんと、七生さんって呼びなさい」  挙げ句の果てに、そう決め付けた。冗談じゃない。 「でないと、お尻に触られちゃったって言いつけるわよ」  って、七生にか。何てことを言い出す女だ。 「七生が信じるかよ」  俺らはそうした信頼関係にあるんだもんねーと言ってやる。すると八重は、いきなり一矢の手首を掴み、その手を自分の尻に持って行った。 「何しやがるっ」  慌てて手を引いたけれど、指先にはやわらかい感触が残っていた。 「やだぁ、触られちゃった」  八重はわざとらしい声を上げる。  それは触らせたの間違いだろう。  即ち、一矢にとっては触らさせられた、だ。  ふざけんなと、一矢は八重を睨む。  誰が好き好んで妹のケツになんざ触るものか。兄貴本人の方がいいに決まってる。  だが、八重は全く怯む様子もなく、余裕顔で微笑んでいる。  ったく、何て女だ。
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