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4.5話 浴衣を纏う夕べ
庭の向こうから、祭囃子が聞こえる。
立て切った障子越しに聞くその音色は、甘やかな哀愁に満ちている。
「起きとるかえ」
廊下から、祖母の声と足音が聞こえる。返事をするのが億劫だけれど、
「うん、起きとる」
と答える。
「入ってもええかね」
真っ白い障子紙に、祖母の小さなシルエットが浮かぶ。
「うん、どうぞ」
言いながら、立ち上がって障子を開ける。流れ込む夕方の空気、陽射し、龍笛の音色。祖母は涼し気な白い浴衣を持って立っている。
「じいさんが、一緒にお祭り行かへんかって。行くなら浴衣着せたげるえ」
人混みは嫌いだ。でも、祖父の気遣いを無碍にはしたくない。しばし悩んで首肯する。
「うん、行ってくる」
私の答えに、祖母はふくふく笑って頷いた。
「ほな、浴衣着せたろな。服脱いでこっちおいでや」
下着一枚になった私の肩に、薄水色の襦袢が着せ掛けられる。樟脳の匂いが躰を包む。
「久しぶりに出してきたから、樟脳の匂いが染みとるねえ。陰干しにして風を通しといたらよかったなあ」
祖母の言葉にかぶりを振る。
「ええよ、このままで。この匂い、好きやもの」
「そうかえ、そうかえ。あんたは樟脳の匂いが好きなんやねえ」
軽やかに祖母が笑う。
「うん。大きな樹の下におるような気がする」
「そうやねえ。樟脳は楠の匂いやもんなあ。あの樹の葉っぱ、千切ってみ。これと同じ匂いがするさかい」
「ほんまに?」
「ほんまやで。でも、木登りしたらあかんよ。落ちたら大変やもの。あんたはべべの似合う女の子やから」
他愛のないお喋りをしながら、祖母の手はよどみなく動き、浴衣を着せつけてくれている。絹の腰紐が軽やかな音を立てて締まってゆく。その感触も音も楽しくて、私はつい笑い声を上げてしまう。
「さ、どうや。今度は帯を結んであげよ。蝶々みたいに可愛らしゅう結んだるさかいな」
「うん、ありがとう」
「お姫様みたいやねえ」
姿見に映った、白地に淡い朝顔の浴衣を着た自分を見つめる。お姫様だ。祖母が私をお姫様にしてくれる。
頬が上気する。また笑いが込み上げてくる。きゅっと帯を結び終えた祖母の腕に縋って笑ってみる。くっくっと小鳥が鳴くような、軽い笑い声が出た。祖母が目を細める。
「嬉しいかえ?」
「うん、嬉しい。ほんまにありがとう」
姿見の前で、くるっと一回りしてみる。白い袖がふわりと広がり、白鷺の羽根のように舞う。楽しい、楽しい。今なら、私はどこへでも飛んで行ける気がした。
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