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第二話ㅤ万華鏡
そのひとは、なにやら望遠鏡のようなものを覗いています。漆塗りの黒い筒に朱い金魚が一匹描かれ、先端には水晶玉のようなレンズが付いた、不思議なかたちの望遠鏡です。
そのひとは随分と長い間青い畳の上に座っているので、腰が痛くならないのだろうかと心配になりました。なにか敷くものが無いかと部屋を見回すと、隅に円座があるのを見付けました。早速手に取り、そのひとに声をかけます。
「どうぞ、お敷きなさい」
望遠鏡を左目にあてたまま、そのひとがこちらを向きました。そしてそのまま、筒を時計回りに回しました。くつくつ笑って、なにやら楽しそうな様子です。筒を回す動作から、どうやらこの筒は万華鏡のようだと気付きました。
「何を見ていらっしゃるの」
問いかけると、
「難しいことを聞く」
そう云って、彼はやっと万華鏡を離しました。そして、私の敷いた円座に座り、
「見てみるといい」
と私に万華鏡を差し出します。両手で受け取ったそれは思った以上に重く、近くで見るとより漆の艶が際立って見えます。そして、筒の中ほどに描かれた金魚は、今にも泳ぎだしそうなほど精巧に描かれていることを知りました。
「この金魚、生きているようね」
「ああ、生きているとも」
冗談とも本気ともつかないことを云って、そのひとは静かに笑います。
「死んでいるように見えるかい?」
「いいえ、そうは見えないわ」
「なら、生きているさ」
なにか腑に落ちない気がしますが、一旦置いておいて万華鏡を覗きます。曼荼羅のように織り成された世界は、でもなにやら通常の万華鏡とは違う、不可思議な感じの見え方がいたします。
「何が見えたかね」
私が万華鏡を返すと、そのひとは筒の金魚を見て問いました。私ではなく金魚の方に問いかけているようで、答えてよいのかわかりません。黙っていると、
「また何も見えなかったかね」
今度は私の方を向いて訊き直します。
「見えたことは見えたのですけれど。あれは何だったのかしら」
「世界さ」
世界。意味を解しかねていると、そのひとは万華鏡の先に付いた水晶玉を眺めて講釈を始めました。
「この水晶玉が魚眼レンズの代わりになっているんだよ。──僕達は水晶玉を通して世界を見ていたんだ」
云い終えて、そのひとは愛しげに万華鏡を撫でました。水晶玉のほど近くに描かれた金魚は、彼に背鰭を撫でられて、嬉しげに身をくねらせているのでした。
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