第三話ㅤ祭囃子

1/1
45人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ

第三話ㅤ祭囃子

 遠くから、祭囃子が聞こえます。お囃子の音を聞くと、焦燥感に駆られるのはなぜでしょう。私だけ、置いていかれてしまうかのような焦燥感です。 「ねえ、行きましょう」  軒先で夕涼みをしているそのひとを誘います。 「いや、止そう」  そのひとは、金魚玉を見つめながら言いました。相変わらず、水が満たされたガラス球の中にはなにも見えません。 「どうして」 「行ったら帰れなくなる」  帰れなく。きわめて穏やかな表情のそのひとは、でもはっきりとそう云いました。 「なぜ帰れなくなるの」  問い直すと同時に夕風が吹き、揺らいだ金魚玉からは水が溢れそうになります。そして、表面張力がやぶれるように、そのひとが口を開きます。 「祭りに呑み込まれるからさ」  私は、お祭りの屋台が徐々に町を侵食してゆく様を想像します。見慣れた家々が林檎飴やたこ焼きの屋台に姿を変え、街灯は赤い提灯に変わります。時間はいつまでも宵で止まったまま、明日を迎えることはありません。 「ねえ行きましょう。直ぐに引き返せば大丈夫よ」  本当はお祭りに呑み込まれてもよいと思っていましたが、そのひとを引っ張り出すにはこう言うべきだと思いました。 「直ぐに引き返す気があるのかい」  苦笑とともに、そのひとは私の方を振り向きます。どうやら、お祭りに行く気になったようです。 「ええ、直ぐに帰ってもいいわ」 「それなら行こう。決して手を離さないで」
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!