3、妖怪ばあさんと孫

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3、妖怪ばあさんと孫

「ふわっ、それでどうなったんですか」 「数分間、完全に落ちた。何時間も寝たみたいな感覚がした。朦朧としながらも金払って、その日はなんとか家に帰った。だが、恐ろしいことに……」 「は、はい」  次田は固唾をのんで田中の次の言葉を待つ。 「ずっと、ずっと身体の調子がいいんだよ!」  次田は律儀にずっこけつつ、「田中さん! もうっ」と肩をゆらして笑った。  ランチタイム、エレベーターに乗ったところ偶然次田と乗り合わせ、じゃあ一緒にとなり、「なんか散髪してすっきりしました~?」からの地獄のヘアサロンの話題である。 「へえええ、どっかで聞いたみたいな話ですね。もう一度行ってみたら、廃屋があって誰もいなかった、なんてオチだったらどうします?」  次田の言葉に田中のしっぽは垂れ下がる。  廃屋……いや、魔窟と言っても過言ではない。  童話などの場合、このような奇妙な場所へ迷いこんだ旅人は、だいたいが快楽と引き換えに精気を奪われ、最後は殺されると相場が決まっている。鬼のような形相で背中にへばりついたばあさんと、鏡ごしに意味不明に睨んでくる長髪の男を思い出し、田中はぶるっと震えた。  うららかな日差しの中、吹き抜けになった駅ビルの広場に設置されたカフェテーブルで、黒コショウのきいたパストラミビーフのサンドイッチを次田と向かい合って食べながら、田中は思い返す。  あの日、帰宅するなり爆睡した。翌朝目が覚めて、こざっぱりした胸元を確認し、一連の出来事は夢ではなかったんだと思った。  田中は日々のランニングのせいか、デスクワークが続いても肩も腰も凝ることはない。そのためマッサージを受けた経験がない。  不調を知らない田中にとって、地獄みたいなサロンで不愛想な男から受けたマッサージは、100%が120%になったような感覚があった。エナジードリンクを飲んだ時、いやそれ以上に効いたのだった。  パストラミの方を三口でたいらげ、二つ目の照り焼きチキンサンドの方にとりかかろうとした時だった。 ーーいいかげんにしろ ーーはなせ ーーその前に謝れ  諍うような声を、耳が感知した。  声の方向に注意をむけると、田中たちのいる広場の、エスカレータ横にある階段の途上で、男二人が何やらもめている様子だった。  片方の男がもう一人の手首をつかんで、興奮気味になにやら言っている。大声を出しているわけではないので、田中以外でそのことに気づいている者はいない様子だ。  手首を掴まれている方の男は田中に背を向けていたが、わかった。地獄の美容院で田中に天国行きのマッサージをした男、えん、だ。  田中はサル種の人間の判別が苦手だったが、茶色い長い髪と身体つきで気がついた。今日は髪を小さくまとめて結んでいる。  いやな予感がして、次田と話しながらも二人を常に視界にいれておく。ちらちら気にしていたが、不穏な感触はなくなるどころかふくらみ続け、田中はとうとう席を立った。  その頃には、田中以外の人間も気づきだしていた。ケンカをしている二人を振り返る者もいる。  と、えんが、階段の二、三段上にいた男につかまれている手首を強く振り払った。反動でよろける。  瞬間、時間が止まったように見えた。  思わず後ろにあとずさったえんの足は、ステップを踏みしめることなくバランスをくずす。  田中はえんが倒れる数秒前に、野生の勘で危険を察知し、走りだした。そして落ちてきた身体を受けとめた。  そのため周囲の人間が固唾をのんだのは一瞬で、えんが助けられたとわかるとすぐ、ほっとした様子でおのおのの日常へ戻っていく。  田中はなんとか間に合ったことに安堵し、腕の中のえんに声をかけた。 「……おい、大丈夫か?」  田中が尋ねると、えんは何も言わず、自分の身体をしっかりとホールドしている太い腕から逃れるように身を起こした。  立ち上がる様子からは、大きなケガをしているようにはみえない。それでも田中はもう一度尋ねた。 「なあ、平気……」  何気なく肩に手をかけようとした。その手をぴしゃりと振り払われて、田中は何をされたのか、一瞬理解できなかった。  こちらを向いたえんが、こっちを睨んでいる。自分が睨まれている理由がわからない。 「……また、あんたか」  えんは「ちっ」と舌打ちし、ふいっと背を向けると、スタスタと何もなかったように去っていってしまった。  えんがもめていた相手は、とうにいない。田中一人が、まるで加害者のような扱いでその場に取り残されてしまった。  いつの間にか次田がそばに来ており、えんの態度に憤慨していた。 「ななななんですか? 助けてもらっておいて、お礼もなしですか!?」 「……はは、さっき話した地獄サロンの美容師だよ。どうやら俺がしたことは大きなお世話だったみたいだな……」 「田中さんが助けなかったら大けがしたかもしれないのに、ひどくないっすか!? 俺、一言言ってやりたいっす。自分がかっこいいから調子のってんじゃねえぞって!」 「へえっ、かっこいいんだ、あいつ」 「えっ、田中さんわかんないです? 一回みたら忘れられないようなきれいなモテ顔してますよ。背も高くてシュッとしてますし」 「うーん、俺にはサル種の人たちの見た目、そういうの、ぜんぜんだからなあ」  田中は、しっぽをふよんふよんさせながら言った。  親しくならないとサル種の人々をなかなか個別認識できない。同じ顔に見えてしまう。そのレベルで美醜なんてわかるはずがない。 「え、じゃあ俺はどうですか? さっきの彼には負けますが、皆からかわいいって言われたりするんですよ、これでも」 「よくわからんが、仔犬みたいではある」 「仔犬……えー、なんすかそれ、ふふ」  次田はまんざらでもなさそうだ。そんな次田を見ながら田中は本音をもらす。 「君らサル種って、ほんと感情読めないよね」 「え、そうですかね?」 「難しい。なんというか、顔で笑いながら、実は怒っていたりするじゃない。まあ、次田はそうじゃないだろうけど」  イヌ種の場合、気持ちはすぐしっぽにあらわれる。  うれしいとぶんぶんしっぽをぶんまわしてしまうし、緊張するとかたまる。リラックスしたり軽快な音楽が流れると自然にリズムをとってしまうのが常である。それらはすべて無意識下だった。  次田は田中の説明に「確かにそうかも。田中さん、返事してくれないなって時、しっぽ見たら、そっちでうなずいてたりしますもんね」と感心している。 「しっぽは基本、嘘つけない。訓練でコントロールできるって人もいるけど」 「え、じゃあ自分が相手を嫌ってる、とかもばれるんですか。やばいですねそれ」 「まあな。でも嫌ってるというのが早い段階でわかれば、無駄がない。お互いそれ前提で動くし」 「へー!」  そう、イヌ種同士なら。  問題なのは種を越えてコミュニケーションする時だ。対サル種となると、イヌ種に不利なことこのうえない。なにしろこちらの感情が筒抜けなのに、相手の感情はよみとれないのだ。  二種類の人間は、違いゆえ、歴史上さまざまな争いもあった。  現代では政治的にも経済的にも共存の道を選び、ともに歩んでいる。違いに目を向ければ軋轢が起こるのは当然だ。しかし共通点の方が山ほどある。  だって同じ人間なのだから。  転勤した当初サル種の人々の見分けも難しかった。同じ顔つき、表情が乏しく、感情がよみとれない。  しかし次田をはじめ、転勤先の職場の連中と付き合っているうちに、だんだんそれぞれの特徴をとらえられるようになってきた。  裏表があるときく感情表現も、慣れてくるとちょっとしたしぐさや表情で類推できるようになった。 「ぼくも正直、イヌ種の人たちの区別できなかったんですけど、田中さんが来てからなんとなくわかるようになりました」 「同じ同じ」  そうやってイヌ種の田中は、サル種の人々の暮らす都市で、それなりにうまくやっている気になっていたのだった。  なのに、あの男を見るとわからなさにムカムカする。 「それにしても田中さん、なんという運動神経! あの距離で助けちゃえるとか、『ヒーローかよ』、です。俺まだドキドキしてます」 「はは、まあ走るの得意だから」  次田はというと、ショックを受けた田中になりかわって、怒ってくれる。  慣れない土地で今日までやってこれたのも、次田の存在が大きいということを、改めて実感する。そうして次田への感謝の気持ちでしみじみしながら、やっぱり憤りがわいてくる。  なんだあれ。あの態度。次田と出会ってなければ、サル種に対する悪感情や偏見を持ってしまうところじゃないか。  なんであいつ、あんなに人をムカつかせるんだ。  次田みたいになれ、とまでいわない。いい人間であろうがなかろうが、トラブっていようがいまいがどうでもいい。普通の受け答えをしてもらいたいだけだ。  悪かったらごめんなさい。  助けてもらえばありがとう。  顔をあわせたらおはようこんにちは。  あいさつの一つや二つ、どんな状況でもできて当たり前ではないか。  助けなければよかった。  そんなことをちらっと思うが、仮に、少し前の過去に戻ってもう一度あの状況に居合わせたとして、やはり田中はえんを助ける。相手が誰であれ、ただ傍観するなんてこと、できない。 「田中さん、怖いっす」  考えているうちに、喉がグルグルいっていたようで、次田にドン引きされてしまった。  数週間がたった。 「あーー、なんかすっきりしねえな」  田中は思わず誰もいない社内のエレベーターで独り言を言ってしまう。  思い出せば腹が立ってしょうがないのに、あの無礼者によるマッサージを身体が忘れてくれない。  マッサージなど本来必要としない健康体の田中だ。  それはまるで至高の一品を口にしてしまったがゆえ、普段食べているものを物足りなく感じてしまうような、めくるめく恋愛に溺れたがゆえ、特に何も考えてなかった日常が味気なくなるような、後戻りのできない切なさだ。  官能的、なんていうと大げさだが、それ以外の言葉、思い浮かばない。  田中は、自分の首元胸元の毛をチェックする。  普段の田中なら、まだ美容院に行くレベルではない。しかし世のサラリーマンが、月一くらいリフレッシュに理髪店や美容院に行くことは珍しくない。  あの虹色のばあさんの腕は悪くなかった。別にあの男のマッサージを受けたいわけじゃない。そう自分に言い訳してみるが、だいぶ苦しい……。  そうやって田中は、再び「地獄」で「自業自得」なヘアサロンの扉の前に立ったのだった。夜風の気持ちいい金曜日の夜のことだった。 「……うっわ、なに、だれ、……え、イヌ種のイケメンリーマンがお客さん? うける」  扉を開くと、ケープの下で赤ん坊を抱いた女が、はげちらかしたおっさんが爆睡する横で、棒アイスを食べながら田中を見て笑った。ケープの隙間からむっちりよく太った赤ん坊の足がとびだしている。田中は憮然として椅子に座った。 「お兄さん、こんな場末のサロンによく来たね」 「場末ゆうな。早く決めろ、ミホ」  えんのするどい声がとぶ。客に向かってその口のきき方はなんだ、と田中はさっそくむっとする。  田中にとって目下顔を見たくない男ナンバーワン、しかしその指に触れてもらいたいナンバーワンである男が、こちらをしらっと見てすぐ目をそらした。  今日は長い髪を一つにゆるく編んでいる。おくれ毛や無造作な感じがさすが美容師という感じで、オシャレ全開で結構なことである。  当のミホは、えんの罵倒を特に気にする様子もなく、田中に興味津々だ。 「ふーん、転勤で引っ越してきたばかりなんだ? この辺りの美味しいカレー屋教えたげよっか」  えんはミホから赤ん坊を受け取った。抱き方が慣れていた。さばさばした様子から、夫婦か? と思って田中は、ぽろっと言ってしまった。 「子どもがいたのか」  間髪入れずミホが言う。 「ぶっ、やだ、冗談やめて? えんちゃんの子じゃないよ!? 子どもが子ども作ってどうするんだよ~」  ミホは笑うがえんは田中をしらっとした目で見るのみで、器用に赤ん坊を片手であやしながら床の掃除をする。ミホは簡単なファイルをぺらぺらめくる。 「お、新作『ユニコーン』! 最高。これに決めた。ばーちゃーーん、おねがーーい」  ミホが大声で叫ぶと、店の奥からくだんの妖怪ばあさんが出てきた。 「あらあ~田中さんじゃないの! いらっしゃいませ!」  今日も人工着色料を想起させる色の服を身につけている。頭はオレンジ色のおかっぱのウイッグだ。  田中に向かって「すごくよくない?」と見せられたのはファイルの手前のページで、そこには、一角獣の角のように高く垂直に髪を結い上げたえんがいた。いいのかわるいのか、笑うところなのかどうなのか、田中には全く判断がつかない。ほかにも作りこんだ髪をしているえんの写真が複数あった。  えんはヘアスタイルに合わせサル種の女性がやっているような、目元や頬、唇に色をのせる化粧をしている。にこりともしていない。 「ミホ! ばばあ! 何してんだ!」  えんはミホに怒ってファイルを奪ったが、なぜか田中を睨みつける。  田中は「はいはいよくわからないけれど、俺のことが嫌いで全部俺が悪いんですね」といった気持ちで、なるべくえんの方を見ないようにした。階段からの転落を助けたというのにあんな態度をとられて、こっちだって相当おもしろくないのだ。  ばあさんの技術により、ミホはみるみるうちに先ほどファイルにあったえんと同じ頭になってゆく。えんもドライヤーをあてたり、スプレーしたりと忙しくアシスタントを務めている。 「……仮装パーティーかなんかですか」 「ううん、お店。『盛り髪 ミホ』で検索してね~☆」  部屋着みたいな服に、ばっちりメイクとへんてこな盛り髪、ミホは裏ピースで舌をペロっとだす。  えんはベビーカーをかつぎ、もう片方の腕に赤ん坊を抱くと、「ミホ、行くぞ」と言って、先に階段をおりてゆく。尖った言い方に怒るでもなくミホは、「はあい」と言って盛った髪を気づかいつつ、店を出て行った。 「バリアフリー、託児OK、どんなご事情のあるお客様もご相談ください」看板に偽りはないんだな、と思った。 「車に気をつけるんだよ」  ばあさんは、小学生に言うようなことを何度も繰り返し言った。二人と赤ん坊が行ってしまうと、おもむろにきりだした。 「田中さん、先日はえんを助けていただいたそうで、ありがとうございました」  神妙な顔で礼を言い頭を下げる。  田中がまず思ったのは「お礼、言えるんだ」ということ、次に「えんがあの出来事をばあさんに話したのか」ということだった。  えんは、その日あったことを家族にべらべらしゃべるようなタイプに見えないので意外に思った。 「いえね、あの子は言いやしません」  田中の思考を見透かしたかのようにばあさんは続ける。 「ただ、狭い街なんでね、すぐ伝わるんです」  田中は「はあ」と間抜けな声をだしつつ、妖怪の力かな、と思った。 「『痴情のもつれ』、ですわ……」 「……へっ? 『痴情』?」 「あの子、本っ当に引き寄せる性質たちで……」 「はあ」 「あの見てくれでしょ? 昔っからろくでもないのが寄ってくるんですわ。ストーカーホイホイですわ。そのたびにわたしが成敗して」  成敗と言う言葉で、鬼の形相で田中に食らいついてきたばあさんを思い出し、田中はぞっとする。そこでフアンフアーンと音が鳴った。  オレンジ色のばあさんは、すっと話をやめた。えんが戻ってきたのだ。  えんはばあさんと田中をじろりと見た。田中の耳はぴくぴくしてしまうが、ばあさんは、平然と田中の毛にブラシをあてている。  前回カットからまだそれほど日がたっていないので、カットもすぐ済んでしまう。するとえんと鏡ごしに目が合った。  思わず耳もしっぽも緊張する。 「痴情のもつれ」がこちらを見ている。  妖怪の孫なのだ。マッサージして欲しくてたまらないこちらの気持ちはつつぬけかもしれない。こんなに嫌っていて、相手からも嫌われているというのに、その指を、マッサージを期待してしまうなんて、自分の身体がうらめしい。  えんは田中の背後に立った。前回同様「失礼します」というようなことを呪文のように口の中で唱える。指が田中の背筋をすすすとはいのぼってくる。  施術後のすべての客に対するサービスなのだろう。田中のことがどんなに嫌いでも、ばあさんの手前、やりたくないとは言えないに違いない。それを思うと、胸がちくっとした。  そう思っているうちに、えんの指は肩甲骨の下に異動する。えんの指にいろんなものをつまびらかにされる。ぐわっと開かれてヨダレがでそうになる。首の皮を揉まれ伸ばされ、気を失いそうになる。  だが、今回どうにか意識を総動員させ、落ちずにすんだ。しかし全身が温泉に入ったみたいになって、心地よい疲労と倦怠感に包まれ、ぼーっとなった田中は、つい素直に言ってしまった。 「……ありがとう」  えんは聞こえていたはずなのに、聞こえなかったようにスルーした。  慣れてきつつあるが、その態度にはやっぱりカチンとくる。なんだかよくわからん事情があるのかもしれないが、そんなことこっちの知ったこっちゃない。えんがもし自分の部下ならめちゃくちゃ怒って指導する。  礼を言われたら笑顔で「どういたしまして」だろう。それができずして、接客業をするな。  身体はすっきりしながらも、えんの態度には毎度イライラさせられる。なぜこんな男があんなにすばらしい指と技術を持っているのか。  いや、まてよ。  田中は思った。ひょっとしてこれまで、マッサージをちゃんと受けたことがないからそう思うんじゃないか。  自分が知らないだけで、実はもっと愛想よく気持ちよく接客してくれて、天国へ連れてってくれるプロがいるんじゃないか。なんだ、解決じゃないか。  田中のしっぽはわかりやすく期待でふくらんだ。
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