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駅を降りて、少し歩く。
最初のお目当て、立石寺・根本中堂(国指定重要文化財)だ。
しかし、坂と階段が多い。
一気に上ると(そうしないと勢いがつかなくて登れないのだ)正面にお堂が見えた。
お参りをし、お堂の中に入る(有料)。
中は薄暗く、木の床はひんやりしている。
正面に安置されているのは、薬師如来像。金箔が施されている。周りの装飾も非常に美しい。
暗い中で、まるでそこだけがぼんやり光っている。確かにこれは、余計な照明はいらない。
ちなみにお堂内の撮影は禁止であるので、写真は残していない。
もう1つ、薄暗くてこそ映えるものがある。
『不滅の法灯』と呼ばれる灯りだ。
大きなぼんぼりの中に、火が灯っている。
私含め、他の参拝客がぼうっと眺めていると、作務衣を来た僧侶の方が寄ってきて、説明をしてくれた。
~*~*~
この灯りは1200年間、ずっと絶やさず燃え続けているのだそうだ。
歴史が苦手、という方には少し小難しい話になってしまうが、同じ宗派(天台宗)の京都にある比叡山延暦寺が開山したときに、まず灯りがつけられた。
その灯りをこちらにも、と立石寺にも分燈したのである。それが1200年前のこと。
比叡山延暦寺とは、かの織田信長が焼き討ちにしてしまったことは、何となく覚えていらっしゃるだろうか。
延暦寺の灯りは、その際に絶えてしまった。
しかし、立石寺に同じ灯りがあるではないか。これを持ってこよう。
そういうわけで、延暦寺の灯りは、立石寺の灯りをもらって復活したのだ。
しかし、電車も車もない時代で、風に吹けば消えてしまう火を持って、山形から京都までよく運んできたな、という思いもするが、そうだと言うのだからそうなのだろう。
案外、灯りと言えば火しかない時代だったから、扱いには慣れていたかもしれない。あるいは、4つか5つくらい予備を取って、運んだのかもしれない。
~*~*~
「ここの灯りは1200年、ずっと燃え続けているんです。戦中もそのまま、乗り切ってきました」
とお坊様は語る。
「毎日毎日、菜種油をさして、大事にしてきました。――あ、もちろん、奥の方にもう1つ取ってありますよ。これ、1つだけではないです」
『油断大敵』の語源、実はここからきているそうだ。
気を抜くことなく、常に油を断たぬように、か。なるほど、なるほど。
「皆さん、今日は法灯を拝されて、少し明るくなられました。お帰りになって、職場などに行きますと、またその明るさが他の方にも移るんです。そうして少しずつ広がっていくものなのです」
ほほう、と周りが納得している。
私もついつい、なるほどなあと思ってしまう。
そんなわけないかもしれないが、そう思えばそうなる気もする。
ただ、私はその明るさを、職場に向けるには思い至らなかった。
――多くの人が、これからも楽しく実りの多い暮らしができますよう。
好きなことをやり続け、少しでも幸せだと思う時間が増えますよう。
ご説明が終わったところで、私はそう念じながら法灯に向かって、拝したのだった。
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お堂での参拝を終え、無事御朱印帳を購入し、印を頂いた私はいよいよ奥の院、山頂を目指すことにした。
ここからは、主に写真で様子をご紹介していこう。
文章で書けることと言ったら、私が途中上着を脱いだとか、汗が止まらなくなってハンカチがびしょびしょになっただとか、そんなどうでもいい話ばかりになってしまう。
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