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しかし、あたりにトイレらしきものはない。
そうだろう。こんな無人の山の頂上に上水・下水設備など引っ張っては来れまい。
そう言えば、1日目に行った山寺は、頂上にトイレがなかった。
(となると、あそこに勤めているお坊さんたちは一体どうしているのかという疑問も残るが……)
きっと、ここもそのパターンだろう。
大丈夫だ。
自分の体の度合いとこれまでのウン10年の経験から考えるに、我慢はきく。というか、しなければならないのだが。
ざっと1時間はどうにかなりそうだ。
トイレのことはいったん頭から離そう。
こういう場合、トイレのことを考えれば考えるほど、ドツボにはまっていくというものである。
トイレのことを考えないのであれば、トイレに行きたいがためにせっかく苦労してここまでやってきたのを、ものの5分程度で引き返すのは、ちょっと癪である。
今、この場所もこの雨音も、私が一人占めしているのだ。
もう少し、この辺でのんびりしていたい。
とは言っても、じっとしているとさすがに脳内の思考がまずい方向に行きそうな気がする。
私は写真を撮りつつ、草むらの上をウロウロし――ふと、木の看板に目を留めた。
階段下に、大仰寺本堂あり(大意)。
ほう。せっかくなら行ってみよう。
人が1人、通れるくらいの細い階段が続いている。
筋肉痛は、完全に私のふくらはぎに来訪しているので、慎重に歩く。
少し下ると、左手にこじんまりとしたお寺が見えてくる。
そして、右手に視線を移すと――。
「トイレ、あった!」
何と、公衆トイレがあったのだ。
そう言えば、カーナビで指定した公衆トイレがこれなのかはよくわからないが、確かにトイレがそこにあった。
これを、御仏の導きと言わずして何と言おう。
やはり、日ごろの行いというのは大事である。
きっと、右折したい対向車のクロネコヤマトのトラックを譲っていたのを見てくださっていたのだ。私の前が渋滞していたので、まあいいだろうと思って止まって先に行かせてあげた、あれだ。
普段、パッシングなんてし慣れていないから、操作を間違えてうっかりウォッシャーを炸裂してしまったことなど、取るに足らないことだ。
ヤマトのお兄さんには伝わった、それが最も重要なことなのだ。
しかも、よく山中にありそうなボロいトイレではない。最近つくったのだろう、とてもきれいだ。
私は迷わず、中に飛びこんだ。フル洋式である。完璧だ。
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