ドジの考察

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 私は右利きである。左で柄を持ち、右で持ったスポンジで刃の部分を洗っていた。  後から考えるに、あせって左手を変に動かし、右手に向かって突き出してしまったようだ。  刃は見事に、右人差し指の第一関節の側部を、真横に切りさいた。  とにかく血が止まらない。まるで沼の底からゴボゴボ湧き上がってくるようだ。流しがどんどん赤くなっていく。  切ったそばから患部が腫れあがって、まるで地震で割れた断層みたいに傷口がずれている。  歴代の怪我のデータと照合するに、これは熊野史上最も深い怪我をしてしまった可能性がある。  さすがにパニックになった私はずっと、心の中で「Ctrl+Z! Ctrl+Z!」と叫んでいた。  どう考えてもPCのやりすぎである。  右の手首を強く握りしめ、痛みに耐えること5分くらいだろうか。  ようやく外気に触れた血が乾き始めたころを見計らって、私は流しから離れて応急処置を行った。  これではさすがに仕事には行けない。というか、仕事にならない。  私は左手で、近くの外科を調べ、職場に遅刻の連絡を入れた。 「すみません、ちょっと指を切って怪我をしてしまったので、病院行ってから遅れていきます」 「わかりました。お大事にしてください。――あ、それ……通勤途中、とかじゃないですか? 労災ではなく?」 「あ、いや、あの……自分ちの台所で、包丁で切っちゃったんです。自分ちです」 「あ……そうですか……」  電話越しにも、困惑しているのがわかる。 「わかりました。お気をつけて」 「すみません……失礼します……」  そりゃ、そうだろう。  朝っぱらから『包丁で指を切ったので遅れます』なんて連絡が来るとは普通思うまい。  病院に行って、処置をしてもらった。  ちょうど関節の、曲げ伸ばしをする箇所をけがしてしまったこともあり、全治1か月。3針縫った。  幸いにも、骨と神経には異常なし。  一昨年(’17)のことだが、今でも縫った部分を引っ張ってみると、白っぽく縫い痕が見える。  これからは、包丁を扱うときは十分に注意しなければ、と熊野は今さらながら心に強く決めたのだった。
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