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楽しい時間は、あっという間に終わる。
「まあ、また来ればいいね」
「今度はスパゲッティ食べよう」
母にごちそうになり、店を後にした。
車に乗りこむ。
母は必ず後部座席に座る。助手席には服の入った大きな袋と、私のリュックが鎮座している。
ズボンの後ろポケットに入れていたスマホをその上に放り出して、運転席に座った。さすがに、尻の下敷きにするのは気が引ける。
家に近づくにつれて、後ろの母のテンションがどんどん落ちていくのがわかった。完全にセンチメンタルと化している。
「はああ……終わっちゃう……」
「また、誘うから」
「絶対ね。待ってるよ」
「はいはい」
家の少し手前で、母を下ろした。
「――楽しかった?」
「楽しかったよ~」
ちょっと泣きそうな母の声。普通、逆でしょうが。
「弟にリュック渡してあげて」
と私は言った。
「渡しておく。でも、菜名ちゃんからもLINE送っておいてね」
「それはもちろん」
助手席に置いてあった袋と合わせて2つ、戦利品を両手にぶら下げて、母は私を見送ってくれた。
「じゃあね、本当にありがとうね、楽しかったよ」
「うん、また連絡するから」
「じゃあね、気をつけて帰るんだよ」
こういうセリフを聞くと、ああ母親なんだなあと改めて思う。
「バイバイ」
「バイバイ」
私が先に車を出発させた。母が笑顔で見送る。
もう、親と別れることが寂しいなどとは思わないが、ああまで楽しんでくれて、名残惜しそうな顔されたら、何だかこちらまで泣けてきそうだ。
まあ、また会えばいい。
私も楽しかったし、服も買ってもらってしまったし、ご飯も食べさせてくれたし。
たまにはね、こういうのもね。
夏至をすぎたばかりの夕方はまだ明るい。ライトを点けている車は、まだいなかった。
明日からの活力を得たような思いの私は、自宅に帰るべく車を走らせたのだった。
――ここで終われば丸くきれいに収まったのだが、そうはさせてくれないのが私、熊野菜名である。
まさか、1時間も立たぬ間に、あんな素敵な(?)さよならをした母とまた会うとは。
事態は、思わぬ方向へ急展開することになる。
否、この時点ですでに事件は起こっていたのだが……。
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