お姉ちゃんの茶色い封筒

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お姉ちゃんの茶色い封筒

 ここは星埜守(ほしのもり)高校の生徒会室――――  東京六大学への合格率で一、二位を争う名門私立高校の生徒会室ともなると部屋も広くて設備も一級品……ということもなく、普通教室の半分の広さに事務机を島のように並べ、奥のお誕生日席に会長席があるごく普通の生徒会室なの。 「じゃあ、来週は入学者選抜試験の関係で私たち生徒会の活動も一時休止となりますから、各自青春を謳歌(おうか)しちゃってください!」  生徒会長の私が冗談半分で閉会を告げる挨拶をすると、皆は『はーい』と笑いながら返事をした。  生徒会のメンバーは名門星埜守(ほしのもり)高校の中でもトップクラスの成績保持者ぞろい。だから来春の新入生候補を決める試験のために学校が休みになるとはいえ、空いた時間を勉強に活用するのが星埜守(ほしのもり)クオリティー。でも、勉強ばかりしていたらスランプに陥るときもある。そんな時には息抜きもしないとね。  帰り支度をしていると、書記の美紀さんが寄ってきた。 「ねえ(かえで)、私たちこれから図書館に寄っていくんだけどさ、たまには付き合わない?」  彼女は私のクラスメートであり、去年の学園祭のミス星埜守コンテストでは決勝まで残った和風な感じの美人顔の女の子。ちなみに、そのときの優勝者は私なのだけれど。 「ごめーん美紀、今日も早く帰って弟の応援をしてあげたいの!」  私は手を合せて片目をつぶって誘いを断った。すると美紀の背後でチラチラ私たちを観察していた一年男子がなぜか肩を落としているけれど。  それにしても美紀さん、学校帰りに寄るところがミスドとかじゃなくて図書館ってとこがステキよ。まさしくこれが星埜守(ほしのもり)クオリティー。 「あっ、そうかー! 弟君、うちの高校を受けるんだっけ。姉弟そろって星埜守(ほしのもり)生かぁー。まるで絵に描いたような理想的な姉弟ね」 「そ、そうからしら……ホホホ。まあその為にも絶対合格してもらわないとならない訳だけれど、姉の私にできることなんて応援することぐらいですもの、ホホホ」  私は(しょう)ちゃんのことになると残念な感じになってしまう自覚はある。だからこそ、外ではそれを出さないように心に蓋を閉めるテクニックを私は完璧に習得しているのである。  生徒会のメンバーは完璧な私の偽装に気付くことなく三々五々、生徒会室を後にする。皆一様に私の顔をチラチラ見ながらというのが気になるところだけれど。     駅から家までは徒歩十分程の距離なのだけれど、途中に公園があってそこだけは薄暗くてちょっと怖い。けれど、私が暴漢に襲われる心配はないの。なぜならば…… 「喜多(きた)、そこにいるんでしょう?」 「外出先でお嬢さまからお声がけになるとは珍しいことですね」  ケヤキの木の陰からすっと横顔を見せる家政婦の喜多(きた)。  彼女には私が通るルートを先回りして危険人物を排除する任務を与えている。 「例のアレ、用意できたかしら?」 「はい、こちらにあります、お嬢さま」  喜多(きた)が差し出した茶色い封筒。  それは(しょう)ちゃんの合格を勝ち取るための最終兵器。  自然と口の端が上がるのを自制しつつ、私は静かにそれを受け取った――  ▽  いよいよ来週から私立入試が始まる。とは言ってもボクの第一希望は県立K高校だから私立入試はその予行演習的な意味合いに過ぎないんだ。  最初の受験校は滑り止めのH高校。この学校は偏差値も足りているし、事前相談で合格間違いなしという確約のような約束をもらっているから大丈夫だと思う。  次の受験校は名門星埜守(ほしのもり)高校。姉も通うこの学校は学力レベルが高くてボクにとっては超難関校である。十二月に受けた学力テストの結果では合格可能性5%未満という厳しい判定だった。  本来ならそんな無謀な挑戦は受験料の無駄遣いなんだけれど、親がどうしても受けなさいって言うから仕方なく受けることにしたのだ。 「一応、H高校の過去問をおさらいしておこうかな……」  合格間違いなしとはいうものの、いざ直前になるとやはり不安になるのが受験生の(さが)というもの。とりわけボクのように慎重に物事を進めていくタイプの人間にとっては尚更のことなのだ。  姉の刺繍入りの特製ハチマキをギュッと締め、気合いを入れて勉強机に向かうと、ふと美味しそうな香りがボクの鼻孔をくすぐった。 「今夜はスープカレーかぁー……」  カレーライスとは違うスパイシーなカレーの香り。連日泊まり込みの母に代わって家政婦の喜多(きた)が用意してくれる食事は、どのメニューも銀座の名店並のおいしさなんだ。  口元から垂れるよだれをじゅるりと吸ったとき、ノックの音がした。  ドアを開けると制服姿の姉が両手を後ろに回して少し前屈みになって立っていた。  星埜守高校の制服はカーキ色のブラウスにリボン。スカートはチェック柄。肩の部分に金色の校章が刺繍されているカッコいいデザインなのだ。 「(しょう)ちゃん、お勉強の邪魔してごめんなさい」 「お姉ちゃんお帰りなさい。ううん、ボクは大丈夫だよ。お姉ちゃんの方こそ生徒会のお仕事大変だね!」 「いえいえ、(しょう)ちゃんのお勉強の頑張りに比べたら、生徒会のお仕事なんてぜんぜん大したことじゃないんだからー、うふふ……。ところで今、何のお勉強していたの?」 「ああ、これだよ。H高校の過去問をおさらいしようと――」  机に広げていた過去問集を手に取ってボクがそう答えようとすると、突然後ろからびっくりするほどの大きさの声で口を挟んでくる。 「ななな、な、なんでぇぇぇ――っ!? 何でH高校なのぉぉぉ――っ!?」 「えっ、ええっ!? どど、どうしたのお姉ちゃん?」 「(しょう)ちゃんは星埜守高校(うち)を受けるんだよねぇ?」  ムンクの叫びのごとく、頬に手を当ててこの世の終わりを見たような感じで口をあんぐりと開けている姉。 「受けるよ! 星埜守高校(お姉ちゃんの学校)も受けるけど! ……ボクには受かる自信がないんだ。だから確実に受かるH高校の対策をして、星埜守(ほしのもり)は思い出受験なんだと割り切るしかないよ……」  それに、ボクの第一志望は県立K高校。男子校に行ってボクは一人前の男の子になりたいんだ! でも、この決意はまだ姉には言えない。余計な心配はかけたくない。  これはボク一人だけの孤独な闘い――静かなる独立宣言なんだ! 「うふふふふ……」  姉が含み笑いをし始めた。ちょっと怖い。 「うっふふぅー!」  そして何か自慢げな感じの声を上げて、ボクをイスに座らせた。  目の前に近寄ってきた姉は、背筋を伸ばしてお腹を突き出す様な姿勢で腰に手を当てている。  ボクがキョトンとした顔で見上げると、姉はとろんとした表情で制服の裾をゆっくりと持ち上げ始めた。 「お姉ちゃん…………?」  ボクはどうしたらいいのかまるで分からない。  カーキ色の制服の下から白いブラウスが現れ、そして白い肌着が見えてくる。 「(しょう)ちゃん……これ、引っ張ってみて……」 「はうっ!?」  思わず変な声が出てしまった。  だって、姉のブラウスと肌着の間から茶色い封筒のようなものが出てきたのだから。  えっと……これを下に引っ張ればいいのかな?  何だろう?  姉のお腹の中に隠れていたこれは何だろう?  ボクはイスから降りて膝立ちになり、両手でそれを摘んだ。  制服の下から漂う薔薇の花のような姉の香りに、ボクはお花畑にトリップしそうになるも、何とかゆっくり引き抜くことに成功した。  ほんのり湿った茶色い封筒は姉の香りがした。 「それはね……(しょう)ちゃんとお姉ちゃん、二人にとって大事なものが入っているの。うふっ、それがお姉ちゃんのお腹の中に入っていたなんて、不思議でしょう?」 「二人にとって大事なもの……う、うん、それがお姉ちゃんのお腹の中に隠れていたなんて不思議だね。で、これは何なんだろう?」   「中を開けるのはー、うふっ、夕食を食べてからのお・た・の・し・み・よ?」  姉は着崩れた制服を直しながらボクの部屋から出て行った。   
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