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馬鞍戸の章
今日も今日とて日本晴れ。
鼻もくすぐったくなるようなお天道様の下、薄ら汚れた男がひとり足下も覚束ずに往来を駆けていく。
歳の頃は五十を過ぎたくらいであろうか。
こ汚い召し物ははだけ、薄くなった頭髪をばらばらに振り乱し、履物は半分脱げて、どこかに飛んでいきそうだ。
穏やかな日常を暮らしていた町娘なぞ、思わずぎょっと振り返るほどである。
この男が、昔、国元の剣術指南役であった面影など、もはや何処にもない。
顔に深く刻まれた皺と、乱れに乱れた呼吸に混じる乾いた咳は、男の艱難辛苦を如実に示していた。
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