過去

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過去

遡ること十年前、高校三年生。 当時も、自身の容姿の良さを理由に女子から声を掛けられる事が多かった。思春期にモテるとなると多少は自慢になったが、毎日ハイエナのような女子に追われるともなると多少面倒だ。女子にキツい言葉をかけるわけにもいかず、避難場所として図書室へ逃げ込んでいた。窓際の奥が俺の指定席だった。そこは出入り口から見ても本棚で死角になっている唯一の場所で、隠れながら宿題や書物を読み時間を潰していた。部屋が一階ということもあり、外から気づかれるかと思ったがメインから外れた箇所ということもあり杞憂に終わり、天気が良い日には、窓を全開にして心地よい風を背で感じていた。 とある日、その日も天気が良かった。窓を全開にして読書に耽っていると、突如大きな音が聞こえた。前方の本棚が揺れて本が数冊崩れ落ちた。何事かと立ち上がってみると、床には落ちた本とサッカーボールが転がっていた。 「すみません! 怪我しませんでしたかっ」 窓の方から声が聞こえ、振り向くとそこにはスポーツ少年が立っていた。部屋の中に入ってきたボールを拾うと窓の外にいる少年へと近づき手渡した。眩しい外を覗き見ると、部活中なのだろう、少年と同じユニフォームを着たチームメイトがコート内でパス練習する姿が見えた。意外にグランドから結構距離が近かったのかと思っていると、少年からの熱い視線に気づいた。 視線が合うと少年は頬を赤らめた。 「一目惚れしました。俺と、付き合って貰えないですか?」 「え?」 耳を疑った。意外な言葉に固まってしまった。唐突すぎる同性の告白に驚きつつ、この図書室に誰も居なくて良かったと胸を撫で下ろした。 何と返せばいいか内心で迷っていると、少年は、今はまだ部活中だから後で改めて来る、とチームメイトがいる所へ急いで戻ってしまった。一方的に去った嵐のような少年の言葉は、ひょっとしたら聞き間違いなのではないかと思いつつも散らばった本を片付けた。 「――改めて。俺は畔海斗。2年です!」 「……3年の久芳晴です」 「それじゃ、手始めに駅まで一緒に帰りませんか?」 下校時刻、嵐が戻ってきた。先程の汗だくのユニフォーム姿ではなく制服を纏う嵐は女の子かと思った。 天然パーマがかかったショートヘアの黒髪、目許がぱっちりとした二重の女の子に見間違えるほどの可愛さを持つ男の子だった。身長も低く、スカートを穿いていたら確実間違えた。声もクリアな声で声変わりしていないような中性的な声だった。かろうじて、歩き方が大股で小柄でも男の子らしいその姿に、少し安心した。こんなところで判断するのは失礼な話だが。 急な誘いに本来ならば丁重にお断りをするつもりだったが、一人で帰ると必ず途中で女子に囲まれ少々困ることがあるので、利害一致ということで共に下校することに決めた。 畔はその可愛らしい見た目とは違い、かなりのやんちゃであることが分かった。顔や手足などサッカーでの傷が絶えず、頼んでもいないのに服を捲りその勲章を見せてくれたりした。思わず、可愛い肌が見えドキドキしてしまったのは暑さのせいにした。ボールが飛んで来なければ、関わることもなかったタイプだと思った。何もかも自分とは真逆に思えた。 何故同性に告白できたのかと疑問に思ったことを、帰り道を歩きながら尋ねた。もちろん、俺が車道側。逆だとなんだか落ち着かなかった。 「先輩って優しいですね」 「え? 何処が?」 「だって嫌がらずに俺を知ろうとしてくれる。キモいとか暴言吐いて逃げる奴だっているのに。俺は同性とか関係なく好きになったら言っちゃうタイプだから」 「素直に好意を持ってくれるのは嬉しいよ」 「じゃあ、何で女の子から逃げてるんですか?」 図星を突かれ言葉が出なかった。確かに女子からの好意は嬉しいが苦手意識がある。 それは初めての彼女が出来た時がきっかけだった。彼女に対する周りの女子からの妬みや嫌悪など様々なことが彼女を襲い、それに対して彼女が耐えられなかった。そして、俺自身も彼女を守ってやれなかったことを悔やんだ。それ以来、恋愛に対して臆病になっていた。恋愛感情に蓋をして何事も一人でいるほうが楽だった。だから、全てに距離を置いていた。 それなのに、初めて会った畔に全てを話してしまった。一人が楽だったはずなのについ話してしまった。 「やっぱり、そういう理由あったんですね」 「俺のこと知ってたの?」  その言葉に思わず歩いていた足を止めて畔の方を見た。いつから、と思っていた視線を感じ取ったのか、畔は少し照れたような笑みを浮かべて言葉を続けた。 「あの場所、人通り少ないから気づかれないと思うんですけど、俺らの活動場所からは良く見えるんですよ。いつも一人で居るから気になってました」 「そう、だったのか……」 「まだ先輩のこと知らないけど、これから知って好きになるから。周りのことなんて気にせず俺だけ見てよ。守られるだけじゃなくて、俺、先輩のこと守るから」 畔の好意は俺の臆病で出来た殻へ衝撃を与える。  だからと言って、付き合おうなんて、簡単に言えるはずもない。男女のように付き合うのは抵抗があった。いや、それ以前に男同士というのはあり得ないだろう。 だが、帰り道の数分のことではあるが、畔の隣は心地よいものだと感じていた。それはきっと久々に出来た友人に対する気持ちと思いたい。 「まずは、友達として仲良くしましょう」 視界に入ってきたのは、握手を求める畔の手だった。 畔の率直な意見や気持ちを無下にすることは出来なかった。そして、この手を取れば、俺の中で何かが変われる気がした。 よく見れば、緊張で震えている畔の手は小さく、どれだけ勇気を出しているのだろう。この小さな嵐は体全体でアピールしてくれている。俺は、それに答えてあげたいと思った。明るく力強い畔の手を握り返した。畔はぶんぶんと握った手を振って嬉しそうに笑い、俺も釣られて頬が緩んだ。 次の日から、学校の休憩時間などは畔が会いに来てくれたり、部活がある日は、こそっと抜け出して図書室へ来てくれたり、俺も部活中の畔の姿を眺めたり、部活がない日は一緒に帰ったり、休みの日は遊びに行ったりもした。心配していた女子絡みの問題は、初めのうちは噂を嗅ぎ付けた女子から畔に対して口を出したこともあったらしいが、畔は平然としておりすぐに騒ぎは収まった。ただただ、友達として楽しい時間が過ぎていった。 転機が訪れたのは夏休みのことだった。両親が転勤になり、夏休み最終日この街を発つ。 それを告げられた時、すぐに畔の姿が浮かんだ。そして胸に痛みが走った。 一番仲良くしていた畔と離れるという理由だけでこんなにも胸が締め付けられるものだろうか。他にも理由があるのではないか、だとすれば何か……――好きだから、畔が。 その言葉を口にして、自覚したら最後。俺は部屋で一人笑った。そして、泣いた。鈍った恋愛感情を覆っていた殻は完全に割れていたのだった。そして、溢れる気持ちは止まらなかった。 友達として心地よい関係が、いつの間にか恋愛感情を含むようになっていた。男同士とか関係ない、好きになったのがたまたま男だった。仕方がない。どうしようもない。ああ、畔の言った通りだ。 会いたい。 畔に連絡を取った。 「話したいことがある。明日、会えないか?」
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