疑いなき恋の手本

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私なんかよりあの子のほうが二年三組の学級委員長にふさわしい、ずっとそう思っていました。  みんなの頭の中にあるステレオタイプの委員長に私が最も近かったというだけで、リーダーシップがあるかどうかなんて誰も考えていなかったはずです。どうせみんなの目に映るのは、眼鏡をかけ、黒髪のおかっぱ頭をした、ただの文学少女なのでしょう。真面目そうだから委員長にしとけ、と。  どうして私がいきなり愚痴を垂れ流しているのかというと、もっと委員長に相応しい人がいるから、そしてその人のせいで悶々とした日々が続いたからです。 彼女の名前は栗島妙。私は彼女を委員長にしたかったのです。  栗島妙は外面も内面もとても魅力的な人でした。栗色の髪はレースカーテンのようで、彼女の元気な挨拶に乗せられた煌々たる雰囲気が教室全体に行き渡ると、朝の憂鬱気な曇り空はたちまち晴れてしまう、彼女はそんな力をもった子です。  彼女の周りにはいつも人が集まるので、「本当に太陽みたいな人だ。いや、彼女こそが太陽そのものなのかもしれない」なんてあほなことをしょっちゅう考えていました。  みんなから「たえちん」というあだ名で親しまれる彼女は、持ち前の明るさ以外に聡明さも兼ね備えていました。 彼女は自然と他人を魅了させる話力を振り撒いていましたが、この話力の根源に賢さがあります。 「かわいい」や「マジやばい」などという時好の言葉は便利ですが、栗島妙はその言葉の乱雑さを逆手に取り、物事に対する感想を具体的に伝えることで、周囲の人々を魅了していったように思います。  たとえば、彼女の友達が髪型やアクセサリーを変えると、つらつらと可愛くなった点を挙げ、その友達が赤面するまで涼しい顔で褒め続けます。私はそんな光景を教室でよく見かけました。 具体的な言葉というのはやはり心に響きやすいもので、栗島妙はみんなからとても好かれました。 彼女が男だったら好色漢だったに違いありません。もしかしたら彼女は女の子が好きで、本当に女たらしなのかもしれない、そう考えることも多々ありました。  そんな彼女に比べたら私なんて陽光の残映に過ぎません。  どうして栗島妙ではなく私が学級委員長になったのか、それは皮肉にも彼女が私を推薦したからなのですが、私は納得いきませんでした。それまで大して仲良くなかったクラスの中心人物、それも私より委員長に相応しい人物に突然指名されたわけですから。突然のことで言い返せなかったのは反省しています。  この面白くない感情は日々次第に強くなっていきました。  私を推薦できるほど彼女は私のことを見ているのか、そもそもどうして私を指名したのか、こういった疑問を理由に私は栗島妙のことを目で追うようになっていました。  その後は、どうも彼女が視界に入ると落ち着かなくなり、面と向かって話してみたいと思うも勇気が出ず、目が合ったら合ったでそっぽを向いてしまう、そんな切歯扼腕な日々がしばらく続きました。心には原因不明の霧がかかり、ただでさえ乏しい私の表情は曇りのち曇り。学校自体も嫌いになっていきました。  転機が訪れたのは今からちょうど三か月ほど前でしょうか。  私が放課後に学級委員長の仕事として教室の掲示物を貼り換えていたときでした。 黙々と仕事をしていると、先に仲良い子たちと帰ってしまったはずの栗島妙が教室に戻ってきました。 「どうしたの」と聞くと、「手伝うよ!」と元気に言ってくれました。  どうやら、私を学級委員長に推薦したことに責任を感じているようでした。 「私がなってもよかったんだけど、私は千佳さんがふさわしいと本当に思ってたから口走っちゃった。そうしたらみんなも千佳さんがいいって口をそろえて……ごめん、半ば強制だったね」 「全然気にしてないよ。むしろ感謝してる、私なんかを推薦してくれて」 そう当たり障りのないことを言うと、「私なんかだなんて、そんなこと言わないで。千佳さんが直向きな努力家だってことはみんな知ってるから、もっと自信もって! 人一倍勉強を頑張ってることとか、無遅刻無欠席のこととか、いつも言われずとも花壇に水遣りしてることとか、挙げたら限りがないけど、見てる人はちゃんと見てるよ」と励ましてくれました。  見てる人というのは栗島妙自身のことなのでしょう。  素直で具体的で偽りが一切ない……これが栗島妙の褒め方。褒められることがあまり好きではない私でも「あ、ありがとう」とぶっきらぼうに気恥ずかしく応えることしかできませんでした。おそらく顔は赤かったと思います。でも、全然不快ではありませんでした。  こうして初めて二人きりで話せたわけですが、転機というのはここからです。  貼っている掲示物の中に『鯖江市役所JK課』という市民協働推進プロジェクトのポスターがありました。この活動は鯖江市内の女子高生を主役にまちづくりを推進する斬新なプロジェクトのことですが、ちょうどその女子高生メンバーを募集していました。 私はこういった活動に興味こそあったものの、なかなか踏み出す勇気がありませんでした。 しかし、栗島妙にはぴったりです。彼女の積極さ、明るさ、賢さは絶対に役立つ。『盛れる、一年。』というキャッチコピーが大きく書かれたポスターを見た瞬間にそう感じ、言葉より先に手が伸び、横で作業している彼女の肩をコンコンと優しくノックしました。彼女ともっと話したい、そういった感情の後押しもあったと今は思います。 「どうしたの?」 「これ、栗島さんにぴったりだと思うの」  私がポスターを差し出すと彼女は微笑み、 「こういうのは私じゃなくて千佳さんがやるべきだよ! 千佳さんなら絶対にここで活躍できる!」  彼女はまた私を持ち上げます。 「いや、私より栗島さんのほうが」「千佳さんに似合ってる!」  意外と往生際が悪い。私は少し腹が立ち、溜まった煙霧を晴らす一言を思わず呟きました。 「……一緒にやろ」  栗島妙は少し驚いていました。突然の誘いですから当然です。私もすぐに後悔しました。 「あ、あの、一人じゃ勇気がでないし、本当に栗島さんに向いてると思って、つい……気にしな」 「ほんと!?」  私が言い切る前に、栗島妙が嬉しそうに言いました。 「千佳さんと一緒ならやりたい!」  この言葉と彼女の笑顔は今でもはっきりと覚えています。  彼女がどういうわけで快諾してくれたのかはわかりませんが、勇気がない私にとっては大きな支えでした。  こうして私と栗島妙のJK課勤めが始まります。  仕事の内容は非常に幅広く、まちを盛り上げるために様々なイベントに参加、時にはイベント自体の企画も行い、ブログなどのネット活動も同時に進行していました。  JK課での活動は非常に楽しく、一回一回の活動がどれも充実したもので、参加してよかったと心から思います。栗島妙がいるからこそ、私にとってはさらに実のある活動になりました。  栗島妙とは日に日に仲良くなり、JK課の活動の後にご飯に行くこともあれば、休日に一緒に出掛けることもありました。嬉しい限りです。  しかし、心の中でうねるある情感をはっきりと自覚したのも、ちょうどこの頃でした。  毎日が楽しかったのは事実です。それは疑いようがありません。それなのに、布団の中で目を瞑っているとき、鏡を見ながら寝ぼけ眼で歯磨きしているとき、通学途中に高校生とすれ違ったとき、そして教室で栗島妙の後姿を眺めているとき、日常の様々な場面で私は一人の自分を強く意識するようになりました。  一人ぼっちが寂しい、誰かとおしゃべりしたい、そういった刹那の孤独感が苦しかったわけではありません。誰か友達を隣におけば済む簡単なパズルとは違います。  明らかに彼女が、栗島妙ただ一人が隣にいないことに、身勝手な空虚感を抱いていました。  JK課の活動を通して、一緒に出掛けるほど仲良くなった私たちですが、私はその関係に満足できなかったのです。もっとずっと一緒にいたい、離れていても私のことを想っていてほしい、そう願うようになりました。  私は栗島妙を愛していたのです。  この感情を自覚してからの日々は真綿で首が締められるような思いが続きました。 彼女と一緒に出掛けても、彼女が隣にいても、互いの肩が触れても、それだけでは足りません。 彼女の手を優しく包み、重なった手を通じて心と心が一つになると、溢れる想いが一本の赤い糸を生む、私はその糸を望んでいたのです。その糸をお互いの小指に巻きつけたかったのです。 だから、私の言葉は唇から零れました。 それは、悩んだ末に都内の大学に進学すると決意した高三の夏。 栗島妙は隣にいない、それどころか上京したらもう会えない。そう考えると勉強すらも手につかず、抑えられない気持ちを頼りに彼女の元に駆け出し伝えました。 女の子同士だけど好きになったんだって。自分の気持ちに嘘はつけないって。  今、私は希望通り都内の大学に通っています。 青雲の下、構内を歩いていると、大学創立者矢代操のレリーフにふと目が奪われました。 「この人、私たちと同じ鯖江出身なんだよね」 「そうみたいだね! 意外な繋がり発見! ……千佳、故郷が恋しくなった?」 「……ちょっぴり。でも、今は妙がいるから」  そう言うと、妙は笑顔で私の手をとりつなぎます。恥ずかしいけど安心する、不思議な気持ちになりました。そして夢でも見ているかのように、妙と過ごした高校生活を思い出し、次に未来のことが頭に浮かびました。 「私たちの恋は少し特殊で、いろんな壁が待ってるかもしれないけど、いつかは恋の手本になるんだよ」  私が生真面目に言うと、妙はからかいます。 「ふふっ、突然どうしたの?」  言葉とは裏腹に、妙がわずかに握る力を強めたのがわかりました。 「なんでもないよ。ただの文学少女の戯言」 「好きだよ、そういう一途なところ。黒い髪も、眼鏡も」 「あ、ありがとう」  私と妙の新生活は始まったばかりです。
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