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薔薇の伝言
五月雨の終日。
窓ガラスを叩くのは梅雨の生温かい雨だった。人肌のような、吐息のような、まるで空の体液のような。
迫田渉はチェアーに座り、伸びをした。事務局が残していったメモに対応し、書面の起案をし、もろもろの事務作業を終える頃には時刻は十九時を回っていた。
迫田はジャケットを羽織り、バッグにパソコンを詰め、早々に帰り支度を始めた。
エレベーターホールに向かうと、後輩の飯塚がこちらに気付いて頭を下げた。六つ下の二十五歳。同じ大学出身という事もあり何かと可愛がっていた。
「お疲れ様です」と、飯塚は言った。「一日中雨で嫌になっちゃいますよね」
「気が滅入るよな」
「ですよね」と、飯塚は言った。「そういえば、昼のクライアントの件どうでした?」
「他の奴に回したよ」
「つまらない案件だったんですね」
エレベーターが着き、二人はカゴ内に入った。飯塚は1Fのボタンを押した。
「このあと飯でも食いに行くか?」と、迫田は言った。「近くに美味いカレー店があるんだよ」
「すいません、帰ってから書面の起案があるんで」飯塚はそう言い、申し訳なさそうな顔をした。「また今度誘って下さい」
エレベーターは四階を降り、三階を降りていった。
「迫田さん、あの話し聞きました?」二階に差し掛かった時、飯塚はそう言ってきた。「赤城さんの話ですよ」
赤城雄一郎は、四月付けで退職した迫田の元上司だった。
四十代半ば、政治家や官僚とも仕事をする優秀な仕事人だった。独身で交友関係が広く、遊び好きな一面もあった。
赤城は破天荒な男だった。彼の突然の退職に、上司ならずスタッフ全員が驚いた。
「少し前、事務局の奴が赤城さんを見たそうなんです。医療センターで」と、飯塚は言った。「やつれてて、目がぎょろっとしてて別人みたいだったって」
「じゃあ、辞めた理由は健康問題か」と、迫田は言った。赤城とは昔よく飲み歩いた仲でもあった。「有能な人だったのにな」
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