離脱

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「それだけのものではないです。例えば、今日のお料理を亭主に、ご確認いただく時も、板場では、『うん、いいね。』という亭主の一言があるか、ないかだけでも全く違うんです。 お褒め頂けたら、それだけでもまた頑張ろう、という気になれるんです。」 楠田が驚いた顔をしていた。 『くすだ』では、その日の料理を亭主が板場で確認する。 フルコースで出すわけではなく、小さな欠片を少しずつ口に入れるのだ。 そこで、感じ取ったことを亭主はお客様に、ご案内するのである。 確実な舌がないと出来ないことでもあるし、的確に指摘出来ないと、板場も困る。 亭主はお客様だけのものではない。 沢木はそう言ったのだ。 それは、絋も初めて聞いたのだろう。 近くで、驚いた顔をしていた。 「そうか…そんな風に思ってくれているのだね、」 楠田の柔らかい声がその場に落ちる。 「『くすだ』にとって亭主はかけがえなく、私達を導いてくれる光の様なものでもあります。宝、なんです。」 「褒め過ぎだ。」 「褒めているんではないです。事実です…。そういう意味では、かけがえのない存在なのですが…もしも、それを今代わりに出来る人がいるとしたら、絋しかいないです。」 「誠…、僕には、荷が重い…」 「では、『くすだ』を閉めるつもりですか? 亭主がいなければ、回せないです。それが、『くすだ』ですよ。」 絋と沢木の、そのやり取りを大藤は、黙って見ていた。
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