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美味しく頂きました
大藤に案内されたのは、個室が用意されたフレンチのお店だ。
「フルコースでしょうか…」
「可能性はありますね。」
ワンピース、着てきてよかったぁ、と心から思う由佳だ。
場違いかも、と承知していながら、その場に居続けることほど、気の向かないことはないからだ。
「まあ、あなたは気楽にしていて、お食事でも楽しんでいてください。面倒な相手は私がしますから。」
「ありがとうございます。」
確かに、なかなかに敷居の高そうなお店だし、あくまでも身代わり、というか代理なのだから、気軽にしていればいいか。
「受け答えも私がしますから、あなたは適当に誤魔化していいですよ。」
「分かりました。」
さほど、大変なことを押し付けられるわけではなさそうだ。
それならば、高級フレンチを楽しむのもあり、なのだろう。
ギャルソンに案内されて、部屋に通される。
中には、貫禄のある男性がいた。大藤を見て、席を立つ。
「よく、来てくださいましたね。ああ、あなたが、彼女かな?すみませんね、急にお呼びだてして。」
とても、感じのよさそうな人だ。
「いえ。こちらこそ、お招きありがとうございます。彼女まで。ねぇ?由佳?」
ふぇっ?!
打ち合わせでは由佳さん、と呼んでいたし、ずっと、敬語だったのに、いきなりタメ口の呼び捨て。
しかも、小首を傾げるその優しげな、甘い仕草はなんでしょうか。
けれど、敬語のさん、付けよりも明らかに親密感はある。
呼び捨てに動揺はしたけれど、由佳は笑顔を浮かべる。
「久信さんと、あまりこんなところ、来ないから、嬉しいです。」
「へえ?そうなの?彼とはいつも、どういうところに行くのかな?」
「居酒屋とかー。」
「大藤くんが、居酒屋とは…なんだか意外だねえ。」
大藤が言い返さないのをいいことに、遊び出す由佳だ。
動揺したらいいのよ。
そんな、イタズラ心が芽生えた由佳を横目に見て、大藤が眼鏡を押し上げ、笑みを見せる。
「仕事で、なかなか会えなくて。あとは彼女の家で、手料理をご馳走になったりしますよ。彼女、こう見えて、とても家庭的なんです。」
もう、投げられた玉は、暴投以外のなにものでもない。
こいつ…。
もうすでに心の中では、こいつ呼ばわりの由佳だ。
先程の仕返しに違いなかった。
「そうなんですか、それはいいですね。今日はお二人共楽しんでいってくださいね。」
「ありがとうございます。」
2人はにっこり、と笑顔を返す。
(居酒屋…ですか。)
(手料理―?)
ひそひそと、やりとりをする2人を微笑ましげに、男性は見守る。
食事がスタートして、ワインが振る舞われ、その高級フレンチに由佳は舌づつみを打つ。
見た目にも、手の込んだ料理だ。
大藤には、食事を楽しんでいていい、と言われたので、気楽なものだった。
それにしても…。
大藤の食事の仕方は格段に綺麗だ。
カトラリーも、ほとんど音を立てないし、ナイフとフォークにも慣れている。
エスコートも完璧だし、スマートな見た目。
その瞬間、『遊びはしていないですよ。本気ではなかっただけ。』
あの時のひんやりとした空気が脳裏に浮かぶ。
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