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「本当に?由佳…?」
耳から肩を通って、背中に触れた指が、そっと、由佳の背を押し大藤に抱き寄せられる。
香水の青っぽい爽やかな…、けれど、大藤らしい、やや官能的な香りに、由佳はくらっとした。
お願いだから、やめて…無理…抵抗なんて、できない…から…。
大藤に肩を抱かれて、通りに出ると、彼は手を挙げてタクシーを止めた。
そのまま、マンションに入る。
部屋の玄関を入ったすぐの廊下で、身体を引き寄せられる。
「こんなところまで、ついてきてしまって…。」
「…あ…。」
はしたないって思われるかも…。
けれど、この機会がなかったら、もうこの人との接点なんて、もう、ないから。
引き返さなくては、と思う気持ちと、もっと触れたいと思う気持ちがせめぎ合う。
整った冷たい相貌、綺麗なスーツの着こなし。
フレームレスの眼鏡から観察するような、表情。
「ごめんなさい…やっぱり…。」
由佳は、大藤の胸辺りを両手で押し返す。
「今更、帰ります…とかですか?」
返す言葉は、ない。
由佳は廊下の壁に身体を押されて、大藤は両手を壁についている。
顔はもう、触れそうなくらいに近い距離だ。
「今から、10数えてあげます。その間はこの距離を保ちますよ。私はあなたに触れない。けど、カウント後もあなたがそこにいたら、
…どうなるかは身をもって知ったらいいです…。」
彼の背が高いから、すっぽりと腕の中に収まりそうなのに、壁に手をついて、微妙な距離が保たれたまま、耳元を低い声がくすぐる。
「じゅう…きゅう、はち…なな…」
その声に耳をくすぐられて、由佳は背中辺りがぞくん、とする。
こえが…漏れそう…。
由佳はぎゅっと目を瞑った。
「ろく、ご…」
どんどんカウントが進んでいくにつれて、自分の心臓のばくばく言う音が、大きくなる。
怖いのか、期待しているのか、引き返したいのか、このまま攫われてしまいたいのか、自分の気持ちが分からない。
「よん…さん…」
くすっと耳元で笑う声。
「いいんですか?カウントは、あと2つ、ですよ?」
どうしよう…、どうしたら…
「に…いち、アウトです。もう、逃がしませんよ。」
顎を持ち上げられて、顔が近づく。
眼鏡の奥の瞳が煌めいていた。
意外なくらいにそっと、唇が重なる。
柔らかく重なる唇は、ひんやりしていて、そのくせ触れ方は官能的で、唇が重なっているだけなのに、由佳は膝が崩れそうだ。
「由佳…、綺麗です…。」
「あ…大藤、さん…」
「久信…でしょう?」
それは、もう終わったのに…。
何度も、何度も唇が重なって、由佳はぎゅっと大藤のスーツの襟元を掴んでしまう。
「…ふ、喧嘩じゃないんだから…。」
くすくすと笑いながらも、くすぐるように唇は重なって。
時間をかけることも、大藤は厭わないようだった。
「あなたが…逃げなかったんですよ…。」
立ち去らなかった由佳が悪い、とでも言いたげだ。
楽しそうでありながら、気だるげで。
冷たく見えるのに、情熱的な…。
相反する二つをもっていて、それが魅力的で、惹き付けられる。
由佳は、大藤に柔らかく、舌先で唇を突かれる。
「…っ、あ…」
その瞬間、抑えていたはずの声が、口から盛れてしまう。
その由佳の戸惑う様子すら、楽しそうに大藤は見ていた。
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