お菓子

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お菓子

アイツと始めて会ったのは、小学二年生の夏休みだった。 お母さんからお小遣いをもらって友達と駄菓子屋に行った。欲しいお菓子をどんどんカゴに入れて、ワクワクしながらレジのおばちゃんに渡した。ピッ、ピッ、と機械音がするたびにあのお菓子の山が自分のものになるんだと期待にヨダレが口に広がる。 「七百円だよ」 おばちゃんの声にビックリした。恐る恐る私は握りしめていた手を開く。中には思ったとおり、コインが一枚だけ。大きなコインの真ん中には五百円と書かれている。 「あら〜。足りないわね。二百円分戻しておいで〜」 私の落ち込んだ顔から手持ちがコレしかないと知って、おばちゃんはお菓子が入ったカゴを返してきた。 トボトボと、私は店内を回って多かった分のお菓子を返していく。だけどあと十円のところで手が止まった。これ以上諦められるものがない。悩みに悩みに悩んで……ラムネ味のガムを選んだ。選んだけど、やっぱり諦めきれなくて……私はガムの棚の前で止まってしまった。 そんなとき、ヒュッと、現れたアイツは何も言わずに、当たり前のように、自然にポケットへそのお菓子を突っ込んだ。そして私の顔を見て不気味な顔で笑ったんだ。 お前もヤレばいいじゃないかって…… 友達はレジに行っていて見ていない。店員はそのレジを打っているおばちゃんが一人だけ。今ならアイツと同じようにヒュッてやれば手に入る。 手に入る…… よぎった考えを振り払い、私はガムを棚に投げ返す。ついでにアイツの分もポケットから取り上げて棚に返した。睨み付けてやると、アイツはどこかへ行った。不気味な笑顔をしたまま。 それからときどき私はアイツと出会うようになる。 まさか同じ学校の同じ学年にいるなんて知らなかったから、夏休み明けに学校でみつけたときは驚いた。 アイツはいつもニヤニヤと笑って私を見ている。気持ち悪くて出来るだけ目を合わせないようにした。でもアイツはわざとらしく私の視界に入ってくる。しかも、そういうときに限って、必ずアイツはあの日のように悪さをしていた。 中学の頃は、テスト中に目が合った。アイツは前の席の答案が机からはみ出ているのを指差して、カンニングを勧めてきた。絶対にやらないと、逆に決意した。 高校の頃は、あるクラスメイトが階段の手すりに座っていたとき、アイツはニヤニヤ顔で彼女を突き落とす動作をしてみせた。もちろん無視してやった。 大学でもアイツは飲酒や喫煙、バイトのズル休みなど、小さな悪い事を大丈夫だと唆してくる。それもことごとく無視してやった。 どうしてアイツは私に付きまとうのかわからない。それでも長年付き合ってくると、最初の嫌悪感は薄れてきた。アイツは私をからかっているだけだ。いつも悪事をけしかけてくるけど、私が首を振ればいなくなる。実際に行動に移しているところは見たことがなかった。 今日もアイツを見た。同僚のプレゼン資料を盗もうと誘ってきたけど、私は興味がなくて営業に出かけた。 (いったいそんな悪いことばかりしてどうすんのよ) アイツが見ようとしていたのは社内向けプレゼン大会の資料だ。もし採用されれば大口顧客を任せて貰え、営業の成績もグッと上がるチャンスを掴めるプレゼン大会が開かれる予定になっている。 同僚は一昨年が二位で、去年に一位で優勝をした実力のある社員だ。そんな彼の資料を盗んだら好成績は間違いないだろう。 だけど、そんなことをしても甘い汁は一瞬だけ。実力が備わっていないのだから失敗する。そしてすぐに後悔と虚しさと罪悪感に押しつぶされて辛くなる。そうなるってわかってるんだからやらない方がいいに決まっている。 「はぁ〜……」 営業先に向かうバスの中で、私は流れる景色を見ながらため息を吐いた。どうしたらアイツとの縁を切ることができるのだろう。高校の頃から悩み始めて、いまだに答がない。 私には昔からこれといった特技も苦手も無かった。ぼーっとしていても最下位になることはないし、だけど努力したからといって一位になるわけでもない。営業の成績だって中の中だ。プレゼン大会では入賞したことはないけど、不評になったこともなかった。 そんなんだからアイツから離れることができないのかもしれない。特技があったら、アイツが追いかけられないところに行けたかもしれない。逆に何の才能もなかったら、アイツは見放してくれていたかもしれない。どっちでもないからアイツは私の側にずっといるんだと思う。 「はぁ〜……」 もう一度、さっきよりも大きなため息が溢れる。 それが聞こえて不愉快だったのか、前の席の男性が動いているバスの中で立ち上がり、前の方に行ってしまった。 (そんな嫌がらなくてもいいじゃん) 余計にため息が出た。 いつまでもアイツのことを考えても仕方がない。仕事に切り替えようと、バックからペンと手帳を取り出したそのとき、急にバスがブレーキを踏んだ。 「きゃー!」 何人かが悲鳴をあげる。私は前の座席にぶつかって、手帳を落としてしまった。他の人たちも通路に倒れたり、座席に捕まって座り込んだりしている。 痛みを我慢しながら手を離さなかったペンを胸ポケットに刺して、足下に落ちてしまった手帳も拾った。鼻が痛い。赤くなっているかもしれない。鏡を見たくて、カバンの中に入れてある化粧ポーチを探す。 (運転手の下手くそ〜!何で急ブレーキなんかかけたのよ!) 心の中で悪態を吐きながらポーチを開けてコンパクトを取り出す。 「きゃーーー!!」 女性の大きな悲鳴が車内に響いた。うるさいなと思ったが、誰かが大怪我をしたのかもしれない。そう思って、私は化粧ポーチを片づけて声の元を探すために立ち上がった。 すると、前の方で、さっき私の前に座っていたとらしき男が仁王立ちしている。男は黒い帽子に、青いウェアを着ていた。ザッと見渡しても同じ組み合わせをしている人はいないので間違いないと思う。そして、その男は左手に何かを持っていた。車窓から差し込む日光を受けて、それはキラキラと光っている。先端に向けて段々と鋭利になっていくそれは、ナイフのように見えて……男はそれを運転手に向けていた。 「騒ぐな!!」 男が叫ぶ。その怒声で私は現実世界に引き戻された。周りの乗客たちはまだ半信半疑な人たちもいる。 だって、こんなこと……漫画の世界だけの話だと思うだろう。 バスジャックの人質になるなんて夢にも思わない。 犯人の指示で乗客全員が手を上に上げた状態から下ろすなと指示される。座席のない乗客は通路に座って同じポーズをしていた。たいして混雑していなかったため、詰めればほぼ全員座れて、三人だけが通路に座らされている。全員細身の女性で、犯人に摑みかかろうなんて勇気はなさそうな人が選ばれていた。 バスは何事もなかったかのように普通に走っている。男の指示で走らせているため、どこに向かっているかはわからない。 誰か周りの車が気付いて通報してくれたらいいんだけど……社内にいる私がいまだに受け入れられていない現実を外から見た人が察知してくれるだろうか。 チラリと見える外の世界は普通の日常が流れていた。 背中に嫌な汗が浮かぶ。どこに連れて行かれるのかっていう不安もだけど、何よりこの体制が意外とキツくて辛い。 「おい!前から四番目の女!下げるな!!」 「うっ……」 通路を挟んだ隣の女性が少し下がった腕を頑張って伸ばす。ちょっとでも手が下がると今みたいに犯人の罵声が飛んできた。 でも、体力は人によって違う。時間が経てば経つほど、耐えられなくなる人が絶対に出てくるだろう。 そうなったらどうなるか……まだ考えたくない。 だけど、ジャックされてから数十分も経ち、とうとうさっき怒鳴られた女性の手が震えはじめた。頑張って伸ばしているが、少しずつ手が落ちていく。 「おい!誰が下げていいって言った!!」 「ごめんなさい、ごめんなさい……」 消え入りそうな声で女性が泣き出す。ちょっと腕が上がったと思うが、元の高さには程遠い。もう体力が限界なんだ。 「おい!上げろって言ってんだろ!!」 ナイフを持った男がどんどん近づいてくる。誰も男を止めることができない。自分に被害がないことを祈るしかないんだ。 「ヒッ!ごめんなさい!ごめんなさい!!」 女性はボロボロと泣き出した。守るように自分の体を抱きしめている。 彼女がどうなるか……最悪の場面が頭に浮かんで寒気がした。 そんなとき、いつもの声が聞こえてきた。 「やっちゃおうよ」 囁くような小さな声、隣を見るとアイツがニヤニヤ笑っていた。 だけど目だけは冷めていて、その目線を犯人に向けている。 「できるでしょ。コレを使って。アイツはそのか弱い女性を殺そうとしてるんだよ?」 犯人が女性の胸のあたりを掴み怒鳴っている。私には犯人の背中と女性の絶望した顔が見えた。今なら、アイツの言う通りコレを使って脅すことができる。でもそうしたら女性は…… 「1人を見捨てることで他の全員は助かるよ。それに……どっちみちそいつは彼女を殺すつもりなんだよ?むしろ、早く動いたら助けられるかもしれないよ」 他の全員を助けられる。しかも、私が動こうがどうしようが、犯人は彼女を殺すつもりだ。アイツの言う通り、もしかしたら彼女を助けられるかもしれない。 (……助けるため) 良いこと……だよね。 アイツの意見に始めて同意できる気がした。隣を見ると、アイツは大丈夫だと励ますように頷いてくれた。私も、頷き返す。 あとは、身体が自然に動いた。アイツは胸ポケットにあるボールペンを取り出し、犯人の背後に立った。そして首を掴み、動脈にボールペンの先を当てる。 「テメェ!」 「刺すよ」 まさかこんな事をされるとは思ってなかったのか、犯人の動きが一瞬止まる。しかし、犯人は女性を掴んだままで、私に怒鳴りながら刃先を彼女に向けた。 「離れねぇとコイツを殺すぞ!」 男が怒鳴る。脅してきた。 その行動とセリフが予想通りで、場違いに口元が緩む。おかしくてたまらない。 「いいよ」 私がそう言うと、今度こそ犯人の動きが止まった。そして、周りの人たちも同じように固まった。何より、目が合っている女性の顔が悲惨だった。 あ〜……おもしろい。 犯人はさっきの怒声が嘘のように少し震えた声で私に話しかけてくる。 「お、俺はやるぞ!」 「いいよ」 私の少し笑いを含んだ声が静まった車内の空気を揺らす。 みんな、何でそんな顔をするんだろう。 「ほ、ほんとに、やるぞ?」 コイツも、何を躊躇っているんだろう。 「やりたいならやりなよ。そしたら、次は私が刺すから」 そうすれば私は殺人犯からさらなる被害者がでないように守ろうとしたってことにできる。単なるバスジャックを殺すより、体裁がいい。 「な、なに言ってんだよ!」 そのまんまの意味なのに、何でわからないんだろう。もしかして、コイツの頭の中はお花畑なんだろうか。 しょうがないからコイツが満足するまで説明してあげよう。 「あなたが、彼女を刺したら、私が、あなたを刺す、って言ってるの」 犯人の身体が小さく震えた。 「人殺しを殺してもいいでしょ?正当防衛じゃない。次は自分が殺されると思いましたって」 「んなウソが……」 「あなたが人を殺したら、周りは次は自分かもって思うのは当たり前だと思うんだけど?違う?」 アイツがそう言った。 私の口を使って、そう言った。 「フザケンナ!」 「ふざけてない。だって、私……一度はやってみたいって思っていたから」 あの夏の日、盗んでしまえばいいと思った。きっと子供のしたことだって、許してもらえる気がした。でも、悪いことだからやめた。 中学の時、カンニングしたかった。あと一問だけがわからなくて、そしたら前の奴の答案が丸見えで、チャンスと思った。でも、それは悪いことたがらって良心に逆らえなかった。 高校のころは、ありもしない悪口を言われて傷付いた。自分よりバカなくせにって悔しかった。そのバカな女子生徒が危険だとわからず階段の手すりに座っていたから、突き落としてしまいたかった。あんな女なんか、いろんな人の悪口を言っていて嫌われていたから、落ちても誰も心配しなかっただろう。でも、そんなことをしたら死んでしまうかもしれない。それは、ダメなんだろう。きっと私の味方はいない。一般的に人殺しは悪いことだ。だから、諦めた。 大学でも、悪い事だからって良心で押さえつけて飲酒も喫煙もできなかった。 本当は全部やってみたかった。どんな感覚がするのか味わいたかった。特に、あの女の背を押す感覚を想像したときは身体が歓喜で震えた。 やってみたい。『悪いこと』をやってみたい。特に、そうそう味わうことができない殺人をやってみたい。 だけど良心が止める。全てが無くなるよ?誰も味方なんてしてくれないよ?犯罪者になるよ?家族にも迷惑をかけるよ? その言葉にずっと押さえつけてきた。 でも、今回は、違う。殺しても、悪い事じゃない、他のたくさんの人たちを救えるんだ。 「私は殺せて、周りの人は無事に解放される。あなたを殺したら、得しかない。あなただっていいでしょ?人を殺してみたかったからこんなことやったんでしょ?殺せるよ?しかもそのあとは監獄に入れられて、裁判とかやって、労働とか無理やりやらされるのが死ねばしなくていいんだよ?あなたにも得でしょ?良いことだらけじゃない?」 だから、いいじゃない。あなたも殺せて、私も殺せる。殺したら殺されてもしょうがないし、どうせ死刑かもしれないんだし。 良いことづくめで、可笑しくて笑えてくる。 「う、うわぁぁ!!」 私が笑ってると犯人が暴れ出した。ナイフを投げ捨てるから、私も仕方なく離れる。 殺さないんじゃ殺せない。 犯人はそのまま先頭まで走って行き、バスを止めて飛び降りた。 車窓から逃げていく犯人の背中を全員で見送っる。 (つまらないね) アイツがそう言った。それに心の中で頷いて、私はその場に崩れ落ちる。 座り込む私に声をかける人はいなかった。 ま、普通そうだよね。 「……たす、かった」 安堵の言葉が漏らしてみる。そして、犯人に刺されそうになっていた女性に優しく、そして自分も泣きそうな震える声で話しかけた。 「あなたも大丈夫ですか?怪我はありませんか?」 「え……は、はい」 女性は私を見て震えている。そりゃそうだ。自分のことを殺してもいいとか言っていた女なんだから。 「よかった……怖かったですよね」 「えっと……」 「さっきのは演技ですよ。私、演劇部だったんです。でも、良かった……あなたが無事で……」 「え、えんぎ?」 「はい。昔、狂った女性の役をやったことがあって……そのときの台本みたいにみんなが怖がってくれたらと思って……」 そう言うと、女性の緊張もほぐれたのか、あとはワンワンと泣き出した。私はそんな彼女を抱きしめる。そして、同じように涙を流してみせた。 そこでやっと車内の空気も動き出しす。 ある人は私の演技を褒めてくれたり、私たちにハンカチを渡してくれたり、運転手は警察に電話をしてくれたりした。また、乗客全員でそれぞれの無事を確かめ合った。 すぐに警察と数台の救急車が駆けつけてくれた。そして事情聴取を受け、その時に他の人から話を聞いたのか、私のしたことは褒められたことじゃないと注意を受けた。でも、よくやったと、少しだけ褒められた。面白くて、笑った。 犯人は私たちの証言もあってすぐに逮捕された。噂では、少し精神を患っているらしい。ちょっと面白いから一度面会にでも行きたいな。 アイツは、まだ私のそばにいる。あの事件の日は同情するように「残念だったね」と、言っていた。 アイツだけが、私の本心を知っている。 アイツこそが私の本性なんだから。 今回の事件で、アイツに全てを委ねる快楽を私は知ってしまった。 また、同じ事が起きないだろうか。 ボールペンを首に突き立てる想像が、まだ消えない。 end
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