第11話 手のひらから伝わる

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第11話 手のひらから伝わる

 写真に見入っているうちに、いつの間にか本物の夕暮れがやってきたみたいだ。  私も谷崎くんも、部室も全部、窓から差す朱色に染まっている。  その景色に見とれながら、何気なくついたての後ろにある黒板に目を向けたとき、写真らしきものが貼りつけられていることに気づいた。  ほかの展示写真とは違った場所に、しかも一枚だけマグネットでくっつけてある。 「黒板にも何か貼ってあるよ。あれも蒼くんの写真?」 「いや、それは知らない。あんなのあったかな」  私より近い位置にいた谷崎くんが、先に確認しに行く。 「……やられた」  谷崎くんは写真を一目見ると額に手を当て、この世の終わりのような声を出した。  何だろう。後ろから首を伸ばし、私もその写真を見てみた。  その写真には、二人の向かい合う人物が写っている。私と、谷崎くんの姿だった。 「これって、この間の……」  写真の中で、私と谷崎くんが笑い合っている。私たちの後ろにはバスケットゴールが写っていた。  どうやら、私がバスケットの練習をしたあと、谷崎くんと話をしていたときの写真みたいだ。写真の片すみにある日付も、それを証明している。  この写真を撮ることができたのはたぶん、話していた私たちのもとへ、台風のように現れた人…… 「加藤か」  苦々しい口調で言うと、谷崎くんは写真をぎろりとにらみつけた。  確かに谷崎くん、イベントで小学生の先生役をしなくて良かったかも。今の谷崎くんなら、私だって怖くて逃げちゃいそうだよ。 「で、でも、蒼くんだってあのとき、私を黙って撮ってたじゃない。同じことされても怒ったりできないよ」  おそるおそる、谷崎くんが棚に上げていたことを指摘してみた。私だって、あのとき恥ずかしかったんだから。 「まあ、そうだけど。……ってか、それとこれとは違うだろ」  谷崎くんは顔を赤くして反論してくる。だけど私は首をかしげるばかりだ。どこがどう違うんだろう。  もっと突っ込んで尋ねようとしたとき、どこかから携帯が震える音がした。  谷崎くんはポケットから携帯を取り出すと、ちらりと見ただけですぐに戻した。 「写真を撮った当人から連絡だ。部員が校門まで戻って来てるらしい」 「じゃあ早く片づけないと!」 「ああ、加藤に文句言うのは、あとだな」  私たちはあわただしく後かたづけをした。  谷崎くんが言っていたとおり、写真を貼り付けた布をたたむと、あっという間にいつもの写真部室に戻る。  ついたてや机もきちんと直し、写真展の形跡が残っていないことを二人で確認してから、そそくさと部室をあとにした。  そう言えば、谷崎くんと二人で写っているのって、この写真が初めてかもしれない。  谷崎くんの少し後ろを歩きながら、私はこっそりとさっきの写真を眺めていた。谷崎くんの笑っている顔をこうして保存しておけるなんて、嬉しすぎるよ。  だけど谷崎くんはまだ不機嫌そうで、加藤くんに対する文句を、口の中でぶつぶつと言っていた。  そんな対照的な私たちだったので、部室棟を出たところで加藤くんに再会したときも、反応は全く逆だった。  逃げだそうとする加藤くんの首根っこをつかみ、容赦なく冷たい視線と言葉を浴びせかける谷崎くん。  一方で、加藤くんのフォローをするべきか悩みつつも、嬉しさを隠せずにいる私。  もっとも、私が自分の表情に気づいたのは、谷崎くんに指摘されてからだった。 「なんか、気が抜けた。真純がにやけた顔してるから」  私をちろりと見た谷崎くんは、そう言うと加藤くんの上着から手を離し、苦情を訴えるのもやめてしまった。 「ええっ、私、そんな顔してた?」 「してた」  うう、きっぱりと言い切られてしまった。  恥ずかしさにうつむく私のそばで、加藤くんは「原田さんは命の恩人だ」と、拝みそうな勢いでお礼を言っていた。大げさだなあ。 「だ、だって、蒼くんは怒ってるけど、私は嬉しかったんだもん、この写真。二人で一緒に写ってるの、初めてだったから」 「ほらー、谷崎聞いた? 原田さん嬉しいって言ってるじゃん」  谷崎くんは、得意げな顔をしている加藤くんをぎろりとにらみ、あっちに行ってろ、と言いたげにぐいぐいとひじで押した。そのあと私に向き直る。 「二人で写ってるから恥ずかしいんだろ」  すねたような顔の谷崎くんを見て、やっと彼が怒っていた理由がわかったような気がした。そうか、これはただの隠し撮りじゃなくて、私たち二人の関係を撮られたものだったのか。 「え、あ、そっか。でも私は嬉しいよ。いつも撮る側の谷崎くんが写ってる写真なんて、貴重だもん」 「いや、俺が写ってても面白くないし」 「そんなことないもん。私は楽しいよ」 「……俺を見てどうやって楽しむんだ」  言い合いになった私たちの横で、加藤くんは暇そうにぶらぶらとしていた。 「何だよー、俺ってばまたお邪魔なの?」  私と谷崎くんが答えたのは、同時だった。 「ううん、そんなことないよ」 「その通りだ」  また、意見が正反対になってしまった。加藤くんは「どっちなんだよ」と口をとがらせている。  私と谷崎くんは顔を見合わせたあと、なぜかおかしくなって吹き出した。加藤くんもつられて笑う。  私たちの足下にある影も、楽しげに揺れていた。  明日もその先も、きっと楽しいことが待っている。そう伝えてくれているみたいに、長く、長く伸びていた。  結局、二人で写っている写真は私がもらえることになった。  私がお礼を言うと、加藤くんは「こっちこそ、原田さんにお礼できてよかったよ」と笑い、谷崎くんのベストショットが撮れたら、また提供すると約束してくれた。  すごく嬉しい。私の部屋に谷崎くんの写真を飾るスペースを用意し、首を長くして待っていることにしよう。  ほかにも、嬉しいことがあった。  谷崎くんの写真展から二日後、体育の時間だ。その日の授業は、私が楽しみにしていたバスケットボールだった。  私と同じチームのリオは、ボールを持つと果敢にドリブルで攻め込んだ。  敵を多く引きつけたところで、斜め後ろを走っていた私にボールをひょい、とパスする。  リオの意外な動きに驚きながらも、何とかボールをキャッチできたけれど、その直後、頭が真っ白になってしまった。これから、どうすればいいんだっけ。  そのとき、リオが大声で叫んだ。  その声は、体育館を駆け回るみんなの足音や、周りの応援の声にも負けず、まっすぐ私の耳に飛び込んでくる。 「真純、練習通りだよ。落ち着いて!」  瞬間、リオと二人で練習していた時間に戻った気がした。そうだ、あの通りに落ち着いてやれば、大丈夫。  私はリオにうなずいて見せ、ドリブルでゴール前に向かった。  ある程度近づいたところでボールを手に持ち、三歩目でゴールに向かって右腕を伸ばす。ボールはかろうじてゴールの端にぶつかり、ネットをくぐった。 「やったあ!」  ボールが入ったと同時にリオは叫び、私のもとへ駆け寄ってきた。私もリオに飛びつき、二人で喜び合う。  クラスの子たちは、まだ試合中なのに盛り上がりすぎ、と呆れつつも、一緒に喜んでくれた。  布野さんや祥子ちゃん、野本さんもやってきて、「頑張ったね」と私の背中を優しく叩いてくれた。  嬉しい。今日は体育で初めてバスケットをして、シュートを決められた、記念すべき日だ。  ただ、シュートが成功したのはその一回だけで、あとは失敗してしまった。  けれど、前よりも自分にがっかりしなくなった気がする。  たとえ上手くできなくても、私がこれからも体力づくりを続けていくことに、変わりはない。そう思うと、自然とあせる気持ちはやわらいでいった。  その日の放課後、久しぶりに谷崎くんと一緒に帰れることになった。嬉しいこと、もうひとつ追加だ。  イベントが終わったばかりの写真部は、みんなが羽を伸ばしているらしく、部会と称しておしゃべりに花を咲かせているらしい。  谷崎くん曰く、 「加藤の奴が、何でか俺にカメラ向けてくるから、さっさと出てきた」  のだそうだ。加藤くん、本当に谷崎くんの写真を撮ろうと頑張ってくれてたんだなあ。私は心の中で加藤くんにお礼を言った。  帰り道、私が体育のことを話すと、谷崎くんは珍しく顔いっぱいの笑顔を見せてくれた。 「よかったな、真純」 「うん、ありがとう」  私はくすぐったい気持ちになって、手にした鞄を前後に大きく振った。 「真純がシュートしたとこ、撮りたかったな。今度、松原と練習するとき、撮りに行っていいか」 「うん、いいよ! じゃあ蒼くんもバスケ、一緒にやる?」 「俺がやったら撮れないだろ」 「そしたら今度は、私が蒼くんを撮ってあげるよ」  ここまで言ったとき、何かおかしな感じがした。首をかしげ、その理由を黙って考えてみる。 「あれっ、私、蒼くんのこと蒼くんって名前で呼んでるよ? いつの間に!」 「……自分で言ってて、どうして気づかないんだ。この間からずっと、名前で呼ばれてたぞ」 「む、無意識だったよ。もっとこう、色々と頑張りながら呼ぼうって思ってたのにー」  くやしがっている私を、蒼くんは「何だそれ」と言って笑い飛ばした。それから落ち着かせるように私の手を取り、そっと握った。  蒼くんの手は、温かさや勇気、色々な思いを私にわけてくれる。  私が泣いていても落ち込んでいても、黙って全部受け止めてくれるから、また頑張ろうって思えるんだ。  蒼くんの手のひらは、本当に不思議だ。
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