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1
手すりを乗り越えて屋上の淵を踏みしめた。
見下ろす地上では米粒のような人々が何気ない今日を営んでいる。季節外れの寒波に切りつけられてコートの襟を立てている中年が背中を丸めて這うように歩いている。
空を見上げると鉛の天蓋が光を覆い隠している。寒気と共に薄暗い世界がより一層、希望を萎えさせる。空は泣くわけでも、笑うわけでもなく、ただただうすら寒い虚ろ。四月二十日。桜も散った本日は絶好の自殺日和だろう。
もう一度地上を見下ろした。この高さなら死に損なう心配もないだろう。
だから話は簡単。俺はあと一歩踏み出せばそれですべては事済む。生きる未練など何もない筈なのに、それでも原始的な死への恐怖が這い上がってきた。
決断を下す前の逡巡。一度だけ瞑目して本当に未練はないかと考えた。
検索結果はゼロ。この世で生きながらえたい理由は何一つなかった。俺には迎えたい明日なんてなかった。生きる意味なんて何もない。
想起した記憶の断片が膿んだ心の傷跡に突き刺さった。悔しくて、悲しくて、込みあがってきた怒りに歯を食いしばった。
必死に考えないようにしていたことが脳内を支配する。
奴らにされた仕打ちがフラッシュバックしてくる。
母親に否定の言葉ばかり浴びせられたこと。親父に黙殺されたこと。同級生にいじめられたこと。それを好きな子に見られ笑われたこと。教師にもそれを嗤われたこと。
鼻先で鈍痛が弾けて視界が微かに滲む。
畜生、どいつもこいつも死んじまえ。
だけれども現実は奴らは人生を謳歌して負け犬の俺だけが負けたまま死んでいく。
ああそうだ。世界は奴らで溢れている。世界は奴らの物で、俺の居場所なんてどこにもない。
だから速やかに退去しよう。
俺はビルの屋上から飛び立った。俺になんの慈悲も与えてくれなかったこの世界から。
灰色の虚空で感じる浮遊感は一瞬で直ぐに重力に捕まり落下していった。
もう、それでいい。
居場所も生き場所もどこにもないのだから。
胸の奥で微かに疼く未練から目を反らしたまま、俺は終わりを受け入れた。
気がつくと俺は草原に横たわっていた。暖かな風に頬を撫でられて起き上がった。
あたりを見回すとそこは豊かな自然と穏やかな日差しに恵まれた楽園のような地だった。
「……天国?」
そんな考えが脳をよぎる。俺は現代の日本で死んだはずなのだ。それが意識をもって立っているのならあの世と考えるのが自然だろう。
状況を飲み込めないまま少し歩くとやがて雑木林があった。
するとその中から絹を裂くような悲鳴が届いた。
誰かいる。
そう思った俺は迷わずに駆けだした。
しかし、ハテ。俺はそんなにも勇敢な性格だっただろうか……?
やがて俺は少女が羆のような獣に襲われている現場に遭遇した。腰を抜かして羆に震えている少女は俺に気付くと助けを求めてきた。
「た、たすけて……」
その声と同時に羆は俺へと視線を寄越してきた。口元から獰猛に吐息を漏らし、鋭い爪を煌めかせて俺を威嚇してきた。
「ッ!!」
全身に緊張感が走り、身がこわばった。しかし不思議と恐怖は無かった。こんな獣に狙われたら普通は少女のように腰を抜かしそうなものだが……?
むしろあるのは怒りだった。
なんでここでも、と。
俺は負けた。何者にも成れずに惨めに自殺した敗北者だ。だというのにそんな逃げ出した俺が何でまたこんな危機に陥らなければならない。
世界は死んでも尚、俺の安寧を黙殺するのか。
込み上げてきた激情に身が震え思わず羆を睨みつけた。
やがてその姿が両親と重なった。
俺に何の愛情もくれず、黙殺した両親と。
多分、世間一般ではよくある話なのだろう。親父は家族が欲しかったのではなく、家庭持ちというステータスが欲しくてお袋と結婚したのだろう。その証拠にあの人に何かしてもらった記憶はない。言葉を交わした記憶でさえ、もう何年前だろう。
お袋は周囲はすべて自分の装飾品としか考えていない人だった。だから自分よりも仕事を優先した親父を憎悪し、彼への憎しみを俺に吹き込み続けた。そしてだからこそ俺を支配するために俺の行動を管理し、俺を支配欲求の奴隷に仕立て上げた。
でも、俺は死んだ。彼らから逃げ延びたはずなのに。
それなのにまだ、あんたらは俺が塵屑でなければ気が済まないのか?
ふざけるなよ。
どいつもこいつも死んでしまえ。
次の瞬間、羆は爆発四散した。
呆気にとられる俺に一瞬の間の後、少女が詰め寄ってきた。
「すごい!!」
どこか熱のある目を輝かせて俺への感謝と称賛の美辞麗句を並べ立てた。
ここまで露骨なら俺でも分かる。
要するに、俺は異世界転生したのだ。
獣を殺したのはその際に付加された何らかの特典能力だろう。それにしても指一本動かさないで他者の命を奪うことが出来る力。
「悪くない」
思わず口元が歪んだ。
「あの……」
そんな俺を少女が怪訝そうに見上げてきた。
「よく頑張ったね」
努めて柔らかな表情を作って彼女の頭を撫でた。すると少女は笑えるくらいに顔を紅潮させた。
異世界転生したというのならこの後の流れは分かっている。自慢じゃないが相当な数を読み込んだのだから。
少女からそれとなく世界観を聞き出した俺は案の定、存在している『冒険者ギルド』なるシステムを利用して冒険者となることにした。
少女に道案内を頼んだところ、こちらもやはり快諾された。長い付き合いになりそうだから人当たりの良さそうな態度を装っておいた。顔立ちも都合の良い位、好みだった。
やがてギルドの支部が置かれている最寄りの街に到着した。すぐにギルドで登録を行うとやはり俺の能力は図抜けていたらしい。職員の女性は小便を漏らさんばかりの勢いで驚愕した。そしてあんまりにも持ち上げてくるものだから逆に居心地が悪くなって謙遜したら少女まで「それだけの力を持ちながら謙虚ですごい」なんて持ち上げてきた。
悪くない、悪くない気分だ。
そして直後に予想を寸毫も裏切ることなく。俺をやっかむ大男に絡まれた。なんでもギルド内で上から二番目の位階に属する凄腕らしい。
そんなことを少女は俺の腕を掴んで語り、目に涙を浮かべて俺の身を案じた。可笑しくなって少し吹き出してしまったが取り繕う様に心配してくれたことへ礼を述べた。すると少女は触れれば溶融しそうな表情で下がった。
ギルドの表で大男と向き合った。いきり立ちながら大斧を構える彼を睨みつけた。その顔立ちが学校の同級生に似ていることに気付いた。
俺をイジメていた連中の主格に。
すると心に怒りが込み上げてきた。俺が受けた痛みと屈辱をこいつに――
そこでハッとなった。
さっきの羆との戦いを思い出した。あの時も怒りや憎悪を抱いた。つまり俺のもつチートとは睨みつけた対象への憎悪を攻撃にする能力。
頭を軽く振って心を落ち着かせた。さすがに人間を爆発四散させるつもりはない。手足の一本でも骨折するくらいに留めておこう。
改めて比較的、軽い怒りで睨みつけた。すると突然大男は大斧を取り落とした。
見るとその右腕の半ばが青痣になって膨らんでいた。
大男は捨て台詞を吐いて逃げ去っていった。
その背を見送ってると少女と女性が俺の胸に飛び込んできた。抱きとめて頭をなでた。官女らに不安にさせたことを詫びると彼女らは俺への好意が見え隠れしている態度で頷いた。
悪くない、悪くない。
悪くない人生がようやく訪れた。
冒険者として俺は大成した。他人が二の足を踏むような難しい依頼も受けた。一度だって苦戦しなかった。どんな怪物も化け物も一瞥しただけで粉々になった。心の奥に堆積している憎悪はいくらでもあった。
無敵だった。ギルドで俺は最強の名をほしいままにした。周囲から尊敬され羨望の眼差しを得た。少女や女性からの愛情を得た。他者との競争に打ち勝ち地位名誉を得た。
かつて得ることが出来なかった全てを得た。
そうだ。かつての俺は間違いだ。これこそが俺のあるべき姿なんだ。
異世界転生して俺はようやく俺になれたんだ。
肥大化する自負と矜持が心の傷跡を覆い始めた。だがその下ではまだジュクジュクに膿み腐っている。
そんなある日、国王に呼び出された。
王様は最強の冒険者である俺に『魔王』の討伐を依頼してきた。
『魔王』というのはこの世界における人類種の最大の敵対者であり、かつて何人もの勇士を返り討ちにしている怪物だという。奴の打倒こそが人類の悲願なのだ。
もし討伐した暁には王様は俺を貴族に取り立てるといった。そんなものに興味はないが、と言いながら依頼を受けた。内心では承認欲求が餌を求めて喘いでいる。認められたいし、他者を踏みつけて優越感に浸りたい。心はまだ飢えているし渇いている。満たされる時を待ち望んでいる。
魔王は陰鬱な寒冷地の森の奥に居城を構えているという。
魔王の居城の近くまで送ってもらい、そこからは一人で行った。王様の護衛を用意してくれたが断った。少女と女性も同行を申し出たが断った。
俺一人だけでいい。
栄光を浴するのは。分割されてたまるものか。
何、苦戦する余地はどこにもない。腹の底で憎悪は燃え盛っている。ならば一瞥しただけで終わりだから。
楽観視していた、慢心もしていた。だけど自信も矜持もあった。
それらすべては塵屑のように踏み砕かれた。
魔王の居城には拍子抜け程あっさりと侵入出来た。門番や見張り、それどころか人っ子一人おらず最初、俺は廃墟なのかと思った位だった。
やがて最上階にある魔王の間にたどり着いた。ネームプレートがあったから間違いない。
鉄の扉を開くと中には痩せ型の地味な男が一人いた。面食らう俺に彼は露骨に面倒くさそうな顔をした。
「あー、はいはい。君が今度の転生者ね。どうも魔王です」
「……は?」
「うん。じゃあ、始めようか?」
彼はへらへらと笑いながらこちらへと歩み寄ってきた。
何やら少し腹が立った。魔王というこの世の邪悪にこんなフランクな態度を取られると何か俺の英雄譚を馬鹿にされたような気分になる。
容赦不要、一瞬で惨殺してやると憎悪を滾らせて睨みつけた。
しかし俺が魔王を視界に納めるより早く、俺は地面に倒されていた。
そう、魔王は俺が知覚すらできない速さで俺を蹴り飛ばしたのだった。
うつ伏せのまま、頭を踏みつけられた。
「ぶっちゃけね。君みたいなの多いんだわ。恵んでもらった依怙贔屓に胡坐かいてそのままってパターン。あ、勘違いしないでね。別に責めてないよ。今まで底辺を奴隷みたいに這いつくばってた奴が突然、無双上等のインチキを公認されたらそうなるって。君は悪くないよ。まあ雑魚だけどね」
軽い調子で魔王はそう言った。まるでクラスの一番カッコいい奴が意識すらせずに俺を見下すかのように。
「違う。俺は雑魚じゃない。俺は……」
「雑魚だよ。ごくごく平均的な雑魚」
当たり前のように魔王は言った。
「いやね、僕も魔王やって長いから転生者との戦いも長いのよ。で、一応、魔法で相手の過去を読み取ってから戦うんだけどね。強い奴って大抵、転生前も一角よ」
その言葉に心が軋んだ。だって彼はこういっているのだ。弱い奴は転生して依怙贔屓を恵んでもらっても塵屑なのだと。
「まあ、あんまり人を甚振る趣味とかないから安心して、なるべく苦しめないようにころしたげる。しかし、まぁ……」
呆れる様に魔王は鼻を鳴らした。
「君は随分とまあエグい苛めにあってきたのね。拷問並みじゃん」
同情するような言葉に血がカっと頭に昇った。
「表通りで裸に剥かれて尻穴に……」
絶叫が喉から迸った。
気がつくと森の中を駆けていた。
どうやって逃げ延びたのかは分からない。だけれどもとにかく走った。とりあえず街に戻って体勢を立て直す。そして再び魔王の元へ行き今度こそ奴を殺す。
そうだ絶対に殺さなければならない。
双眸から熱い飛沫が噴出した。
自殺した時でさえこれほど惨めな思いはしなかった。
「おや、思ってたほどメンタル弱くないのね。感心したよ」
不意を突いてやろうと俺なりに隠密に動いたつもりだったが奴はあっさりと俺の気配に気づいた。
仕方なく柱の陰から出ていった。すると奴は俺の顔を見るなり溜め息を吐いた。
「はぁ、全く君は駄目駄目だなぁ……」
その顔が腹立たしくて憎くて、消してやろうとして――……
――また俺は地を這っていた。
「まさかの無策でリベンジとは……。魔王さんちょっと今戦慄してるよ」
「そんな目で俺を見るなぁッ!!」
激昂して叫ぶが勿論、顔は見えていない。うつ伏せに倒されている。だけれどもその声色で奴の表情は手に取るように分かった。
「最強の俺を見下すなんて、許さない、許さない、ふざけるなよ塵が、屑が」
再び背中に小さな溜息が落ちた。
「駄目だよ。そんな風に言っちゃ。他人はね。自分の装飾品じゃあないんだから」
「ッ」
「彼女たちにもそんなこと言ったの?」
街に帰還した俺は少女や女性、王様たちに迎えられた。初めての敗北に打ちひしがれた俺に彼女らは優しかった。
でもその身を案じるような目が俺を苛立たせた。
だってそうだろう俺は強くなったのに。異世界転生して無双になったのに。そんな風に見られたらまるで何も変わっていないみたいじゃないか。
誰よりも強く偉くなって勝てなければ、生きている意味がないじゃないか。
「なんていうかさ」
魔王は残念そうに呟いた。
「なんで虐げられた人ほど他人を虐げることに執心するかね」
「何?」
「いや、ね。分るよ。人より高みにいるから人は人に優しくできるって。『衣食足りて礼節を知る』だっけ、君の世界のことわざ。いや全くその通り。でもさ」
魔王はまた息を吐いた。
「それで鍍金が剥がれた時に、周りに当たり散らすようだと、余計に惨めじゃないのかい?」
その言葉はまるで槍のように心臓を射抜いた。そうだよ。その通りだよ。惨めだよ。悔しくて腹立たしく惨めだよ。
「全部、お前のせいだろうがぁッ!!」
叫んだ。吹き出す涙と鼻水で顔面はドロドロになっている。無様で仕方ないがそんなことに気を遣う余裕はない。
「なんで死なないんだよ。なんで俺の思い通りにならねえんだよ。ふざけるなよ。おかしいだろうが!!」
「おかしい?何がだい?」
本当に意味が分からないといった奴に断末魔のような叫びをあげた。
「いじめられっ子の俺が異世界転生したんだぞ!!だったら全部が俺の思い通りにならなきゃおかしいだろうがッ!!普通ならよぅ!!」
「君は……」
魔王は一回言葉を切った。その言葉からは奴のいかなる感情も伝わってこない。
「君は可哀想だな」
そして俺は蹴り飛ばされて魔王城から吹っ飛ばされた。
もう、奴を生かしておけない。奴が生きていたら俺は狂ってしまう。
奴は奴らと同じだ。
その思いで三度仕掛けた襲撃で奴はあっさりと倒れた。
俺が倒した訳じゃない。これまでと同じように俺はあっさりと倒された。
しかしその直後、魔王は血を吐いて倒れた。
「なっ!?」
「おやおや、回数切れかい。これはうっかりしていた」
血を吐き倒れこみながら魔王はそれでもへらへらと笑った。
「……回数切れ?」
「うん。君の粘り勝ちだ。僕の首を持ち帰って名誉を得るといい」
迷う余地なんてない。何よりも憎い敵が倒れたのだ。俺は勝利したんだ。ならそれを踏みつけて更に上に昇るのみ。
魔王の傍らに立ち、腰から王様にもらった剣を抜いた。なんでも国に伝わる宝剣だとか。しかしそれを見て魔王は愉快そうにけらけらと笑った。
「回数切れと言っただろう。そんなものは不要だよ。間もなく僕は死ぬから」
「回数切れって何だよ?何言ってんだよ」
「ん?魔王は転生者を相手に一定回数勝利したら死ぬようになっているんだ。あまり一個人が長い間君臨していると世界として不健全だかね。まあ、元々、魔王なんて討伐されるための生き物なんだからその前に殺される方が多い。天寿を全う出来た僕はダイブ幸せな魔王だね」
一定回数勝利したら死ぬ?なんだそのどうあがいても勝つことが出来ない生態は。いや、それよりも。
「だったらなんで……」
涙が流れそうな激情と共に叫んだ。
「何で、俺を見逃したんだッ!!」
魔王は不思議そうに小首を傾げた。
「だってそうだろう。普通に考えて。俺を殺しておけばアンタはまだ生きられたんだろう。なのに何で……」
「いったじゃん。君が可哀想だと思ったから」
「え……」
再び魔王は悪戯っ子のように笑った。
「世界のどこにも居場所が無くて、世界の全てが敵だったんだろ?同じじゃん僕と。そういうところにシンパシー感じちゃってさ。しかも僕と違って君は未練や欲しいものアリアリじゃん。いやぁ、さすがに気の毒かなって」
「何で、あんたは明日が欲しくないのかよ」
「うん」
あっさりと答えた。
「普通は欲しいんだろうね。でも、僕は要らない」
「え……」
気がつくと暖かな雫が頬を伝っていた。
「今を生きる僕には明日なんて要らない」
「あんたは悔しくないのか。こんな理不尽が」
「別に現実程度いつもボコボコにしてやってるかね。毎朝、僕は今日を生きられるか現実と勝負している。そして毎晩寝る前に勝利を噛み締めている。全戦全勝、生まれてこれまで負けたことない。だから今更ラッキーパンチで一敗したところでそんな誤差が何に何のよ?」
魔王はそれに、と続けた。
「それに勝ち負けなんてその程度でいいのよ。何の価値もない。戦うのも逃げるのもホントは等価、笑うしかないような理不尽なんて笑い飛ばしてヘラヘラ笑いながら逃げればいい。勝ちか負けかなんて自分で全部決めりゃいいのよ」
「で、も、俺、は……」
そうは思えなかった。思えなかったんだ。
「だから自分で決めなよ。自分を助けてくれない普通なんて捨てちまえ。『普通』の奴隷になってんじゃねえよ」
それだけ言うと彼は五体を投げ出して瞑目した。
「さあ、好きに決めなよ」
俺は――……
「大丈夫か!?」
男の緊迫した声に目を開けると心配げな中年の顔とその向こうに灰の空が広がっていた。
そうか、俺は死に損なったのか。
「大丈夫です。すいません、今朝から貧血で……」
地面に倒れていた弁解をして早々に立ち去った。
頭の芯に鈍痛が残る。長い間、気絶していたみたいだ。
力なく空を見上げる。相変わらずの曇天、春先の肌寒い自殺日和。
今更、もう一度飛ぶ気にもならずに当てもなく彷徨った。
そうだ、何も変わらない。
親父が突然、家族愛に目覚めたりはしない。
お袋が突然、寛容さを獲得したりはしない。
苛めっこたちが慈悲に目覚めることもないし。
教師たちが誠実になったりしない。
普通ならばやっぱり死んでおくべきだろう。
だから俺は選ぼう。戦ったり逃げ出したりを。
何も救いは無い。
昨日は礎というよりもむしろ呪縛、明日には光などなくむしろ苦役。
だけどこの足は今を踏みしめて前へと進んだ。
なぜか今日は
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