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「ねえ、あなた! 早く来て! とってもいいお天気よ! 最後のデートにはぴったりね! 」
「そんなに急がなくても市役所は逃げないよ」
「えー! でも、早く行きましょうよ。私ずっと楽しみにしてたのよ」
やれやれ、彼女は今日も元気いっぱいだ。しかし僕は1ミリも楽しくなんかない。なぜなら僕らは今から離婚しに行くからだ。
僕が彼女に離婚を切り出されたのは数ヶ月前に遡る。
その日の彼女はいい意味でも悪い意味でもいつもどおりだった。
「あなた、お願いがあるの。やりたいことがあるから手伝ってくれない? 」
彼女が僕に何か頼みに来ることは珍しくない。彼女はいつも「一度きりの人生なんだからやりたいことは全部やりたい! 」と言って蝶々を捕まえに行きたい! のように小さなことからバンジージャンプをしたい! のようなことまで自分が興味を持ったことには片っ端から挑戦している。やりたいことを思いつく度に彼女は僕にこうやってお願いしにくるのだ。少しくらい毎回付き合わされる僕のことも考えて欲しい。と言いつつ彼女に甘い僕は毎回言いくるめられてしまうし楽しそうな彼女を見るのが好きなのでまんざらでもないのだが。さて、今回はどんなことをしたいのだろうかと考えながらその日もいつものように彼女の話を聞いてみた。もし、過去に戻れるのならば僕はこの時の呑気な僕を殴りに行きたい。
「あのね、私離婚してみたいの! だから離婚しましょう! 」
「え?」
「だから、離婚してみたいの! り! こ! ん! 」
「いや、ちゃんと聞こえてるよ。どうしてまた急にそんな……」
「だって、離婚って一生に一度できるかわからないものじゃない?せっかく結婚ができたんだもの。離婚も経験してみたいなって」
「理由はわかったけど本当にしたいの? 今しなきゃダメ? 」
「今じゃなきゃダメ!このマンネリとした日常に刺激が欲しいの!日常に変化が欲しいの!」
「一般的に考えて離婚って君が思ってるような良いものじゃないと思うよ……? 」
「えー、やだ! やりたいもん! 離婚したい! 」
こうなった彼女は言うことを聞かない。それは何回も経験してきた僕が一番知ってる。さて、どうしたものか……。
そして数か月間に及ぶ説得もむなしく、見事に言いくるめられてしまった僕は上機嫌な彼女と一緒に離婚届を書いている。なんで失敗してしまったんだ。離婚が決まってからは僕を置いてどんどん話が進んでいった。彼女のやりたいことに対しての気合いは本当にすごい……。僕は彼女を少し甘く見ていたようだ。彼女は離婚が決まってご機嫌だが正直に言って僕は離婚なんてしたくないし納得もいってない。僕が大好きな彼女と別れないといけないなんてたまったものじゃない。でも、それ以上に僕はそんなことを言って彼女を困らせたり悲しませたりしてしまうことの方が堪えられない。僕は彼女のお願いを聞き入れることしかできないんだ。
「私、離婚届書いてみたかったのよね! はい、次はあなたの番よ」
自分の分を書き終えた彼女は笑顔で僕に離婚届を渡してくる。大好きな彼女の笑顔ですら今日は悪魔のように感じる……。
「ねえ、君は本当にこれでいいの? 」
「もちろん。だって本当にやりたかったことですもの! 実はね、離婚は私のやりたいことのステップなの。私ね、全てのしがらみを捨て去って旅に出たいの! 」
「念のために聞くけど他に好きな人ができたとか僕のことが嫌いになったわけじゃないんだよね? 」
「好きな人? そんなものできてないわ。私はあなたが一番大好きよ。だって、あなた以上に私のことをわかってくれる人なんていないもの」
両思いなのに別れないといけないなんてこんなに辛いことがあるだろうか。出会った時から彼女は変わっていない。一度だって僕は彼女のやりたいことに勝てたことなんてないんだ。結婚できたのが奇跡だと思う。
「そんなに泣きそうな顔しないで。何も一生会えなくなるわけじゃないんだから。あのね、本当は言うつもりなかったけど他にも理由があるのよ。私、昔からあなたのこと振り回してしまっていたでしょ? だから私に邪魔されないところであなたにものびのび過ごしてもらいたいの。それにあなたったら私のこと大好きすぎるんですもの。もし私が死んじゃったら後追い自殺とかしちゃいそうなくらいに。だからあなたには私のいない世界でしっかり自立して暮らせるところを見せてもらいたいの」
僕が彼女のことを思うように彼女も僕のことをこんなにも思ってくれていたんだ。彼女の真意に気付けなかったなんて僕は何をやっていたのだろう。
「はあ……。本当に君には敵わないよ、僕の負けだ」
彼女は最初と変わらず僕に微笑んでいる。本当に敵わないなあ……。
ずっと好きで彼女に振り回されてきたんだ。最後まで彼女に振り回されてあげよう。僕は彼女との離婚をおとなしく受け入れることにした。
その後、僕も離婚届の記入をして1か月後の休みに一緒に提出しに行くことになった。
ずっと一緒に暮らしているはずだったのに彼女と夫婦として過ごした最後の1か月は新たな発見でいっぱいだった。お互いの気づかなかった癖を見つけたり知らなかった好みを知ったりとずっとこの時が続けばいいと思うくらい幸せな1か月だった。
この1ヶ月で実感したことだが彼女に言われた通り僕は自分が思っている以上に彼女が大好きで彼女に依存していたようだった。僕は自立して暮らせるようにならなければいけない。本当、彼女にはいつもたくさんのことを気付かせられる。
そして、そんな幸せな時間が長くも続くはずもなくあっという間に提出の日はやってきた。彼女は離婚届を提出しに行くことを楽しそうに最後のデートと呼んでいた。なんでも楽しんでしまうあたり実に彼女らしい。
その日の彼女はいつになく上機嫌だった。遠足を待つ子供のように前の晩から楽しみにしていたのだからしょうがない。特別な時にしか着ないお気に入りのワンピースを着ていつも以上におめかしした彼女は言葉には表せられないくらい魅力的だった。これが最後だなんて本当にもったいないと思うが僕との最後の時間を大切にしてくれて嬉しくも思う。
市役所までは少し距離があったけどせっかくだからと二人でのんびり歩いて行くことにした。
「こうしているとなんだか結婚した時を思い出すわね」
「確かに、懐かしいね」
そう、あの日もこんないい天気の日で二人で市役所まで歩いて行ったんだ。あのときの僕たちから何も変わっていないように感じるのにあの時とは逆のことをしに行こうというのだから不思議な感じだ。そんな昔の話やたわいもない話をしていたらあっという間に市役所についた。
離婚の手続きをするのはあっという間だった、もっと厳重なものかと思っていたからあまりにもあっさりと終わってしまって拍子抜けしてしまったくらいだ。あんなに大事に思っていた結婚生活も終わるときはずいぶんあっけなかった。もうこれで彼女との関係もなくなったことになる。少し寂しく思っていると彼女が話しかけてきた。
「ねえ、最後に行きたいところがあるんだけど付き合ってくれる?」
彼女が僕を連れてきたのは付き合ってた頃によく来た公園だった。
彼女は公園に着くと迷わずブランコに向かい漕ぎ始める。彼女の動きに合わせてスカートが揺れる。昔何度も見た光景だ。彼女は昔からブランコが好きで公園を通るといつもブランコに乗りたがった。昔と同じようにブランコで揺れながら僕に話しかける。
「ここ、何度も来たよね。待ち合わせしたり夜中にあなたを呼び出したり。楽しかったなあ」
「僕もよく覚えているよ。あの頃みたいにまた僕のことをいつでも呼び出していいからね」
少しでも彼女との関係を繋ぎとめておきたくて困らせたくないのについこんなことを言ってしまう。
「うふふ、ありがとう。もちろんこれからもこまめに連絡するわ。私もあなたと話せなくなったらつまらないもの。それに、旅に出るんですものお土産もたくさん送るわね! 」
「君はどこに行っちゃうの? 」
「うーん、どこに行こうかしら。アメリカはハネムーンで行ったしイギリスとかフランスとか定番なところは行ってみたいのよねー」
彼女は楽しそうに話しながらブランコを漕ぐ。
ああ、この時間が永遠に続けばいいのに。と思っても人生はなかなかうまくいかない。
「そろそろ時間切れだわ、もう、私行くね」
「うん、また会おうね。いってらっしゃい」
「うふふ、あなたも元気でね! 行ってきます」
いつものように弾んだ足取りで彼女は行ってしまう。人生を全力で楽しむ彼女は本当に素敵だ。最後まで彼女のやりたいことに勝てなかったな。でも、彼女と別れたことで僕にも未来への目標ができた。今度はやりたいことよりも僕を優先したくなるくらい好きにさせて振り向かせてみせるから覚悟しててね。
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