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過去
ヴァイオリンの稽古なんて、苦痛でしかなかった。
ボクがもう行きたくない、とママに言おうとすると、ママはボクの頬を両手でぎゅっと挟んで、「ユウト、あなたは優秀な人。諦めないで」と目尻に涙を浮かべた。
別に諦めようとしているワケではないんだけど、ママがボクの名前に込めた願いを思うと、無下にするワケにもいかなかった。
ボクの名前は優人と書いてユウトという。
――優秀な人。
優秀なコ、ではなく人。そう呼ぶことで、ママは誰かに復讐するみたいだった。
例えばボクらを捨てた父親みたいな。
ママは、ボクをパパと同じ一流のヴァイオリニストにしたいのだろう。それが掴めない幻を追うことであっても。
その日も稽古を終え、ボクは柵の向こうに流れる川を見つめていた。
正直、死にたかった。
ボクを担当するヴァイオリンの講師は、ボクが失敗する度に、ボクを四つん這いにさせてお尻を叩く。
それだけならまだ耐えられるんだけど、その後ボクのおちんちんをクニクニいじるのだ。
前のズボンのチャックに手を入れて、ボクがアヘアヘ言うまでしごくこともある。
ママには言えない。
ボクは最近、パンツに変な液体がつくことがあって、おちんちんがだまにびっくりするくらい膨れ上がることがあって、でもなんとか、自分で洗ったり隠したりして、誤魔化したりしていた。
ボクの講師の先生は、それを「イヤらしいことだ」と言って詰め寄り、言うとおりにしないとママに言うぞ、と硬いムチをふるう。
だからボクは言うことを聞くしかなかった。本当は死にたいくらい嫌なのに。
川を見つめて、ぼんやりとそれらのことを思い出していると、ボクの足は吸い込まれそうに柵の前まで進んだ。
そして冷たい手すりに手をかけた。
――死ねるかも知れない。
いくらママでも、死んでまでボクにヴァイオリンを習えとは言わないだろう。パパと同じ優秀な人になれとは言わないだろう。
死んで、名前と一緒にこんなカラダ手放してしまいたい。そして次に生まれ変わったら馬鹿になりたい。粗野で単純で、ママが顔をしかめるような馬鹿に。
と、そこまで考えていると、ふと傍らに人が佇んでいる気配を感じた。
「……なにしてるの」
軽蔑するような低い声。
見ると男の子だった。ボクより少し歳上くらいの。
「!!」
ボクは慌てて逃げ出そうとする。
が、その時、方向転換したボクの背中のヴァイオリンが、柵に引っかかり、ボクのカラダは奇妙にひっくり返った。
目の前が川に向かって突進する。
「! 危ない!!」
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