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「君に契約をしてほしいんだ」
服を戻して両手を広げ、悪魔は続けた。
「君の願いをなんでも叶える代わりに、ボクに魂をくれない?」
即答などできなかった。目の前で起こっていることが飲み込めない。その場に立ちすくむ俺を、悪魔はいやに優しく抱き締め、耳元に囁く。
「欲に身を任せちゃえばいいじゃん。君は何がしたい? 何がほしい?」
「……でも俺に、感情は、ない」
「嘘つき」
悪魔は文字通り俺の目の前で、嘲るように笑った。睫毛と睫毛、唇と唇とが触れそうな距離。
「そんなの、目を見ればわかる」
「やめろ……」
必死に力を振り絞り、顔を背けた。悪魔は構わず、のんびりと言う。
「それにさぁ。君に拒否権なんてはなからないって。ボク、君のお父さんに前金をたーくさんあげたんだ。もし断るなら、不本意だけどボクは代わりにお父さんの魂を貰って地獄へ帰ることにするよ」
「なら、もってけよ。あんなの、前々から消えてほしいと思ってた」
悪魔は俺の制服の内側に手を滑りこませ、へそのあたりを指でくるくるとなぞった。触れられた部位から、ぞっ、と妙な感覚が全身に広がる。
「いいの? そうなったらボク、君のお父さんの魂をいじめにいじめ抜いて、地獄の底で永遠に『普通に死んだ方がマシだった』って思わせ続けちゃうけどな。君は一生良心の呵責に苛まれる。あとでどれだけ幸福な人生を得ようと、その事実はきっと、枷みたいについて回る」
「……」
それでも別に構わないと思った。あのゴミ虫みたいな親父など、地獄でいくら苦しんでも足りるということはない。交通事故で死んだ天国の母も、それでようやく安らかに眠れるだろう。
「お前と契約してもいい」
そう言うと、俺の体を弄る手が引っこめられる。
「ほんと? やったぁ」
「でも親父の魂は返さなくていい。お前にやるし、地獄でもどこへでも持っていけばいい。ただしその代わり、一つ頼みがある」
「なーに?」
「安原由樹と……俺の母親と、もう一度だけ話をさせてくれないか」
悪魔は頷いた。
「オッケー。生き返らせる、とかはさすがに君自身の魂を掛けなければ無理だけど、死人と会うくらいなら、君の肉親の魂でギリギリやれるはず」
パチン、と指を鳴らす音がしたかと思うと、背後に懐かしい気配を感じた。たまらず振り返ると、そこには昔のままの母が立っていた。
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