死のターゲット

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「嗚呼、どいつもこいつも分かってくれない・・・」  真夏の平日の朝方、公園のベンチにぽつねんと座り、汗をじわりと掻きながら辛気臭くぼやく壮年の男。嘗て彼はイケメンの花形スター議員だったが、ちょっとしたスキャンダルが発覚して議員を辞職すると、どう見たってこの世は野無遺賢ならぬ在野遺賢だとケチを付けるような男で、その後、すっかり零落して今は作家を目指して小説を書いているのだが、一向に評価されない。ナルシストでもある彼は生前、驥も櫪に伏し、全く報われなかった宮沢賢治に自分を擬してみるのだが、気休めにしかならない。  こうなると信心していなくても神頼みするもので、「神様、どうか自分が日の目を見られますように・・・」と男は祈ってみた。  すると、突如として上空に冪々と不気味な黒い雲が立ち込めて来て辺りが薄暗くなった。  男は驟雨を予感したが、雲の切れ間から薄明光線の柱がたった一本、降り注いで来て、それに滑り棒を伝って降りる消防隊員のようにしがみ付いてハイスピードで降りて来る者があった。  その者は男の目の前に降り立ったかと思うと、藪から棒に言い放った。 「わしゃ神じゃ!」  見ると、修験者の身に着けるような白装束がぼろぼろに解れ、手足がくたくたに萎び、白髪がぼさぼさに伸び、無精髭がぼうぼうに伸び、顔がしわしわに弛み切った如何にも浮浪者を思わせる老人であった。  男は驚愕し、放心した儘、瞠若たらしめられ、現人神とはこういうものかと腑に落ちなくもなかった。 「何を恾として見ておる。さっき何か願っておったじゃろ。遠慮なく言ってみろや!」  そう言われて男ははっとして我に返り話し出した。 「はい、あの、私は今、作家を目指して小説を書いているのですが、全然、認められませんので私が日の目を見られるようにしてくださらないでしょうか?」 「そういう本人の努力で成し遂げることを楽させて実現させるのは神の仕事じゃない。他に何か願いはないか?」  そう言われて男は行く末の絶望を改めて感じたが、ふと青年時代に願ってやまなかったことが思い出されて吐露した。 「それではアイドルだった頃の松田聖子に会わせてくれませんか?」 「ガッハッハッハ!それは面白いよい願いじゃ。是非とも実現させてやろう」 「ほんとうでございますか?」 「うむ。ではのう、3日後の午後5時にフジツボというデリヘル店に電話してセイコという嬢を指名してみろや、さすれば、ばっちり予約が取れようぞ!」 「えっ、あの、そのセイコ嬢というのが松田聖子なのですか?」 「いや、松田聖子ではないが、アイドル全盛時代の松田聖子に生き写しなんじゃ」 「はあ、そうなんですか?」 「そうじゃ、信用しろや」 「はあ、分かりました。では3日後の午後5時でございますね」 「うむ、今週の12日の木曜日じゃ、間違えるでないぞ」 「はい、御親切に、どうもありがとうございます」 「うむ、じゃ、さらばじゃ!」  老人はそう言うや否や樹木の幹に抱き着くコアラのように光芒に抱き着き、猿のようにそれをよじ登って行って遥か上空で黒い雲諸共雲散霧消してしまった。  夢か幻か、男は呆気に取られ、狐につままれた思いがしたが、明るくなった空と同様に何年かぶりに明るい気分になった。  男は帰宅後、インターネットでフジツボ店の電話番号を調べ、老人に言われた通り12日の木曜日の午後5時にフジツボ店に電話してセイコ嬢を指名したところ、彼女は予約が丁度空いたとのことなので希望時間を問われると、肌の露出度アップを期待して態と熱い最中にするべく明日の午後2時に自宅に来てもらうことにした。  翌朝、男は家の中をざっと掃除した後、昨日、予約をしてからしたようにユーチューブでアイドル時代の松田聖子の動画、殊に「夏の扉」を唄っていた時の黄色の2段フリル付きミニスカドレスを着た、ひよこ聖子ちゃんと呼ばれた松田聖子を見まくりながら青年時代に自分が思い描いた松田聖子に思いを馳せた。それはぶりっこには違いないが、中身も可愛い良き女性であった。  男は昼食後になると、松田聖子の動画に見入りながら松田聖子といちゃついたりエッチしたりする妄想を膨らませて行き、そうして待ち焦がれた予約時間の数分前に慌てて寝室に全所有の3台の扇風機を結集して暑さに備え、身なりを整え、時間を長く感じながら僅かな時が過ぎるのを待つことにした。けれども、まだ来ない。男は本当に来るのか本当に来るのかと上がり框に突っ立った儘、焦れる気持ちを焦げた秋刀魚を更に焼く様に焦がしに焦がして待っていると、2時3分になった所で引き戸の磨り硝子越しに正しく女の人影が現れた。その途端、胸が期待と希望で波立ち、玄関を離れ、立ち所にインターホンの前に立った。と、呼び鈴が鳴る。通話ボタンを押す。 「はい」 「フジツボ店のセイコで~す!」  確かに少しハスキーがかった松田聖子らしい声だったので男はときめいて、「はい、今、開けます!」と張り切って言って再度通話ボタンを押すと、玄関目掛けて駆け出して三和土に降り立ち、引き戸をがらりと開けた。  すると、なんと奇しくも、ひよこ聖子ちゃんと同じ格好をした松田聖子にそっくりのセイコ嬢が立っていた。 「こんにちわ、初めまして」  男はそのセイコちゃんカットで決めた可愛い顔は言うに及ばずハイヒールを履いた足の足首の細さやミニスカートのフリルから覗くぴちぴちした太腿や細い肩紐しかかかっていない露出した肩や首や腕の綺麗なラインに心を奪われた。それに対しセイコ嬢は目元口元に冷ややかな笑みを浮かべ、尚且つ頭一つ下げず、チョーだっせー家!と言わんばかりに眉を顰め唇を歪めた。  男は一気に幻滅し、含羞の塊と化し、「こんにちわ、むさくるしい所ですが、どうぞ中へ入ってください」と然もばつが悪そうに言って、お邪魔しますとも失礼しますとも言わないセイコ嬢を招き入れた。  男は花形議員だった頃は高級マンションに住んでいたのだが、今は一戸建ての手狭な古色蒼然たる借家住まいなのだ。  定めし、まともな住まいの所に招き入られれば、こんな態度にはならず、媚びて良い子に振舞うであろう現金なセイコ嬢を男は寝室へと案内し、「ま、汚い所ですけど」と無気力に言ってみすぼらしいベッドの縁に座らせ自分もその隣に座った。その際、セイコ嬢が矢張りお願いしますとも何とも言わず、明らかに顔面に嘲笑の色を表していたので男は羞恥心に苛まれながら切り出した。 「あの、暑い中、よく来てくれました。あんまり可愛いんで、びっくりしました」 「いえいえ、そんなことないですよ」とセイコ嬢は切り口上で返事を済ませ、世間話すらしようともせず、派手なけばけばしい手提げ鞄に向かうと、携帯を取り出しながら、「お客さん、予約通りのコースで良いの?」とタメ口で聞いた。  その失敬なつれない態度に男はそっちがその気ならこっちはと少々自棄を起こして、「じゃあ、お得な三十分コースで」と冗談めかして言うと、「アハハハ!」とセイコ嬢は顎を外さんばかりに大笑いした。 「チョー受ける!あたしテン上げになっちゃった!アハハ!お客さん、顔に似合わずふざけたこと言うじゃん!」  セイコ嬢は借家に来た時から男を蔑んで嘗め切っていたが、先程の答えを聞くや、箍が緩んで完全にリラックスして羽目を外したのであった。猶も扇風機に煽られたセイコちゃんカットを気にしながら、「三十分なんてコース端からねえし~みたいなあ~っつうか、三十分じゃ、金になんないし~みたいなあ~アハハハ!お客さん、ほんと、面白いわ、草生えるって感じ!アハハ!しかし、時化たとこに住んでんね、ほ~んと冴えないでやんの。大体、何なの!扇風機三つも置いちゃって!あっ、そっか、エアコンないんだあ~今時、珍しくね?っつうか、しょぼくね?っつうか、暑いんですけど~!おまけに髪ぼさぼさになっちゃう~!もう、やだ~!それに何~!あの置物!あれも、しょぼくね?っつうか、うざくね?っつうか、きもくね?っつうか、ださい感はんぱなくね?っつうか、最&低って感じ!アハハハ!」  何なんだ、こいつは、異星人か!と男は呆れ返り、言葉遣いも心遣いも礼儀も態度も何もなってない!全く話しにならんと呆れ果てる。それを尻目に相変わらず独りで受け捲っているセイコ嬢に、「あ、あの、ちょっと聞きたいことが有るんだけど」とそれこそ異星人に呼び掛けるかのように警戒しながら男が聞くと、セイコ嬢は両手で口を押さえ何とか笑うのを堪えて、「なあに?手短に言ってよ」 「君は生活に困ってる訳じゃないんだろ」 「何、聞いてんの?!当ったり前でしょ!お客さんとは違うわよ!」 「へへへ、君は歯に衣着せず言える子だねえ、全く呆れるんだけど、君は自分の体を売ってでも金を稼ぎたいのかい?」 「何~、そんなこと急に聞いちゃって・・・あ~、分かった、お客さん、綺麗事言って説教する気なんでしょ、つまりさあ、生活に困ってないんだったら普通の仕事して慎ましく生活しな!みたいなあ~、それとか、貞操観念持ちな!みたいなあ~」 「そう分かっていながら淫らな仕事を進んでするのは、金を稼げば稼ぐ程、幸福になれると、そう思ってるからじゃないのかい?」 「そ~ね、そんな所かな、それが悪いって言いたいわけ~幸福は金では得られないんだぞ~!みたいな~、また、そんな、ど陳腐な綺麗事を言いたいわけ~」 「どちんぽな綺麗事じゃない!」と男は真に迫る真剣な顔で言った。「私は本気でそう言いたいんだ!」 「え~!何マジになっちゃってんの?!マジうざいんですけど~!マジ引くんですけど~!マジ怖いんですけど~!」 「あの、君は知らないだろうけど、嘗て三木清という立派な哲学者がいてね、幸福は徳その物だって言うんだよ。徳というのは君が年がら年中している欲得勘定の得じゃないよ。道徳の徳の事だよ。現に古代中世のモラルの中心が幸福であったのに現代のそれが成功になっちゃったから君みたいな人間が出来ちゃうのであってだねえ、本来から言えば、君みたいに幸福になる為に徳を積まずにギャラが良いからってデリヘルで金を稼ぐというのは本末転倒なんだよ!」 「わあ~!何だか知らないけど身の程知らずにも講釈垂れちゃってる~お客さんがそんなこと言っても何か説得力ねえし~みたいなあ~アハハハ!」とセイコ嬢は一笑に付した。「あのねえ、折角こんな風に生まれて来たのにこれを利用しない手は無いって思わな~い?どうせ一度の人生だもん、出来るだけ利用できるもんは利用してお金稼いで豪華にパーと遊ばなきゃ~!」 「君の体は商売道具だと言うんだな。君みたいに女としての誇りを捨て尊厳を捨て、そんな不道徳なことで幸福になれると思うのか?」 「幸福?う~ん、なんか、かた~い!ハッピーって感じ!アハハハ!」 「そうか、時に聞くが、君はこの仕事をしていて恥ずかしい思いをしたことがあるかい?」 「あるわよ、そりゃあ・・・」 「それで自分に恥ずかしい思いをさせた客に気持ちよがって見せて愛想よくしたか?」 「そりゃあしたわよ、お客さんだもん」 「そうか、恥ずかしい思いをさせる下劣な者に気持ちよがって見せて愛想よくして金を稼ぐ、よくよく考えてみればサイテーなことじゃないのか!」 「アハハ!さっきからお客さん、何聞いてんの?サイテーどころか気持ちよくなれてお金稼げるんだから、よいちょまるって感じ!アハハ!」 「実に即物的だ。そういう考え方をする奴が腐るほどいるから類は友を呼ぶで君は友達が一杯いるんだな」 「そんなの、当ったり前って感じ~!みんなといるとマジ卍って感じ!アハハ!」 「では、その友達の中に知識人とか文化人とか哲人とか思想家とか芸術家とか道徳家とか隠者はいるか?」 「え~何それ!そんなのみ~んな知らな~いみたいな~」 「だろうな、だから君の友達は皆それら以外の俗物だと思うよ」 「え~!ぞくぶつってなあに~?」 「俗物も知らないのか、それとも惚けてるのか、君のことだよ」 「え~!なんか、やだ~!最&低って感じ!アハハ!」 「確かにやがるのは分かるよ。一言で言えば、おしまいの人間だからな」 「はぁ?おしまいの人間?」 「ああ、ニーチェがいみじくも言ったよ。義に喩り自分の中に確固たる価値観倫理観を創造することなく、利に喩り俗な価値観に囚われた儘、俗物の枠の中からストレイシープのように迷い出ることもなく食み出さないように同調して只々惰性でマンネリに生きる、そんな生き方しか出来ないおしまいの人間に囲まれて生きてるんだから全く君は不幸だ!」 「何言ってんだよ!」とセイコ嬢は遂に切れた。「大人しく聞いてりゃあ、訳の分かんない御託ばっかり並べちゃってさあ、お客さん、マジで親爺臭かったよ、ほんとにうざいんですけど~!そっちが決めつけるなら、こっちも決めつけてやるからね!お客さん、あんた、お金もなければ友達もいない癖に何、イキがって偉そうにほざいてんのよ!この底辺親爺!」 「ああ、確かに金もなければ友もいない。しかし、嘗て俺は花形議員で金が有って嫌でも人が寄って来たが、今は金が無くて誰も寄って来なくなった。全く大金持ちから一文無しになった杜子春さながらだが、現金な信用できない煩わしいものがなくなってさばさばしていいものだよ。そう感じる俺は、少なくとも俗物以外の者だから君よりは幸福だ」 「ハハハ!全く話になんねえ、聞いて呆れて見て呆れる。さあ」とセイコ嬢は言いしな話を切り上げるべく手提げ鞄に向かい、「無駄話は無用、無用、お金、お金、連絡しなきゃ、連絡しなきゃ、今のあたし、てんばってね?」と忙しそうに言いながら携帯を取り出し操作し、「どうせ、お客さんはチョ~短縮バージョンの六十分コースでやんしょ!」と相変わらず馬鹿に仕切って言って勝手にしろと言わんばかりに頷く男を横目に電話を掛け、「あっ、お疲れ様で~す。セイコで~す。今着きました~は~い、え~と、お客さんは予約通り六十分コースを希望してま~す。は~い、分かりました~失礼しま~す」と極めて軽い調子で電話を済ませ、男からこの時だけ有難そうに料金を受け取って、「あざま、あざまる水産って感じ!アハハ!さてと、お客さん、バスルームっつうかあ、お客さんの場合は風呂場だよねえ、だよねえ、だよねえ、そうだよねえ~みたいなあ~アハハハ!なのでえ、あたし、まず風呂場でえ」と言い掛けた所で男が口を挟んだ。 「あの、私は風呂場のサービスは良いから、ここでまず、すまないけど脱いでくれないか」 「えー!ちょっと何それ~!有り得ないんですけど~この展開!マジやばいんですけど~このおじさん!」 「いや、やばいって君はデルヘル嬢だよ。脱ぐのは当たり前だろ。況して客である私は君の体を味わう権利が有るのであってだねえ、それだけでOKと私は言ってるんだ。観賞させてもらって優しく触るだけさ。だから、良いだろ」 「だめ~!そんなの!」とミサキは言下に拒否した。「あたしがおじさんを触って、気持ち良くさせて、いかせるのがデリヘルの仕事っつうものなの!」 「いや、私はとてもじゃないけど君に体を許す気にはなれないんだよ」 「えー!何それ!何それ!何それ!それじゃあデリヘル呼んだ意味ねえじゃん!みたいなあ~っつうか、デリヘル呼ぶ資格ねえし~みたいなあ~っつうか、もう、意味分かんな~い!」  男は嘗て松田聖子のファンだったから、ここまでセイコ嬢の侮辱的な発言、態度を必死に我慢して来たのであるが、到底、この女には話が通じないと諦観するや、セイコ嬢を完全に軽侮して彼女に興味索然となり鼻白んだ顔を伏せたかと思うと気色ばんだ顔を上げ、「もういい!もう分かった!その儘、何もしないで良いから一時間経ったら出てけ!耐えられないならもう出てっても構わんぞ!」 「うわあ!めっちゃ切れてる~!ちょ~怖いんですけど、このおじさん!言われなくっても喉乾いてタピりたかったし、汗かいてフロリダしたかったから出てっちゃおうっと」とセイコ嬢は言うが早いか、ベッドから蹶然として立ち上がり、「ばいなら!あたし、店長に告げ口して、てめ~をブラックリストに載せちゃうもんね~だ!だから、てめ~は生きてるより親爺狩りにでも遭ってくたばっちまった方が増しなんだもんね~だ!」とデリヘル嬢と遊べなきゃ生きてる価値が無いようなことを言いながら部屋を後にした。 「確かにあんなのみたいな堕落した者と巧く付き合いが出来ないと世知辛くなるばかりだし、だからと言ってあんなのと巧く付き合う気には毛頭なれないからくたばっちまった方が増しだ」と男は思うのだった。「確かに俺は命を絶つ良い潮時を迎えたんだ。作家では食っていけないからって一般企業に就職して生き続けようとすれば、俗物に妥協し迎合し同調しなければならない必要に迫られ、そうすれば、狷介不羈な魂を持ち、孤高を持する俺にとって沽券にかかわるとても卑しい見苦しい生き方になり、日を曠くして久しきに弥る、そうした無駄に惰性で生き、馬齢を重ねる自分の虚しい堕落した為体を想像してみても命を絶つべきなのは火を見るよりも明らかだ」  そう覚悟した男は13日の金曜日の夜半、潔く自殺した。彼は武士道とは死ぬことと見つけたりと悟って切腹した侍と同様にニヒリズムの根を絶とうと自殺したのであって、それは意義あることだったのだ。こうなることを見込んで死のターゲットとして男に白羽の矢を立てた老人は、亡骸の傍でほくそ笑んで呟いた。 「死に急ぎよった。わしの思惑通りに・・・」  老人はあの神と名乗り、またセイコ嬢に憑依してセイコ嬢をひよ子聖子ちゃんに変身させた死神の化身だったのだ。
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