THEバケモノ

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 皆さんのお陰。確かに一握りの成功者には良い意味で当てはまるが、多くの失敗者には悪い意味で当てはまる。そう言っても良いのではないだろうか。然るに「皆さんのお陰です」は素より「皆さんの為にしたいと思います」だの「皆さんが幸せになることを祈ってます」だの「皆さんの笑顔が世の中を明るくします」だの「皆さんいい人ばかりです」だの「だから前向きに笑顔で生きましょう」だの「そうすれば将来が明るくなります」だのと言うのは概して綺麗事に違いないのであるが、這般の事を殊更に笑顔で言う同僚がいた。  俺はそいつをいい人、明るい人に化けたバケモノだと思っていた。しかし、俺にとってバケモノでも大抵の奴には受けがいい。取りも直さず俗受けする。この手の奴は小賢しくて要領が良くて世渡り上手なのだ。巧言令色鮮し仁。正にその通りで常に空気を読んで歓心を買おうと装っている。恰も良心がないかのように少しも悪びれずに平気でこなすのだ。バケモノに違いないじゃないか。  俺は或る昼休みの時もそいつの化けの皮を何とか剥がしてやりたいと思いながらオフィスビル回りをぶらぶらと散歩していた。  すると、背後から、「お前さんは見込みがありそうだ」と何者かに声をかけられた。  顧みると、古代ローマ人が纏っていたトガのような一枚布を纏い、白い髪と口髭と顎髭を茫々に生やした老人が藜の杖を突いて立っていた。  だから、まるで仙人みたいだと俺は不可思議になり、その思いで心身ともに凝り固まってしまった。 「ふむ、ふむ。お前さんはいい人、明るい人に化けたバケモノの化けの皮を剥がしたいと願っておるな」  ESP能力を持っているのか!?まるっきり図星を差していたので俺はやっぱりこの爺さんは只物じゃない、マジで仙人かもと思って尊敬の念を込めて答えた。 「はい、そうです」 「うむ、うむ。ではな、手を出しなされ」 「えっ?」 「わしはな、いい人、明るい人に化けたバケモノの化けの皮を剥がしたいと願っておる者にしか効き目がない薬を掌に塗ってやろうと言っておるのじゃ」 「塗るとどうなるんですか?」 「塗るとな、お前さんがバケモノと思っておる者の顔に手を当てるだけでその者の面の皮を剥がしてしまうことが出来るのじゃよ」 「えー!ほんとですか!」 「ああ、わしは見ての通り仙人じゃ。じゃから信用するがよい」 「はあ・・・」と俺は言いつつ、矢張り仙人かと諒として信じる気になった。「しかし、面の皮を剥がすって何処まで正体を暴くことが出来るんですか?」 「そうではない。面の皮とは比喩ではなくて皮膚、皮膚そのものを剥がすのじゃ」 「えー!そ、そっちかい!」 「そっちかいってタメ口で言うでない」 「あっ、す、すいません、そちらの意味ですか!」 「そうじゃ、顔の皮膚を全部剥がしてしまうのじゃ」 「そ、それは凄いことですが、そこまですると、ほんとにバケモノになってしまいます」 「よいではないか、バケモノの名に相応しい者にはそれ相応の罰が当たって当然じゃ」 「はあ・・・」 「何を躊躇っておる。手を出しなされ」 「はあ・・・」 「まだ躊躇うのか、わしはお前さんを見込んで神の力を授けようとしておるのじゃ。それを断ると言うのか!」  仙人が並み並みならぬ気合を込めて言うので俺はとても断ることができなくなった。で、掌を表に向けて右手を差し出した。 「うむ、それでよい。では塗って進ぜよう」と仙人は言うと、懐から薬を取り出して俺の掌に満遍なく塗った。「これでよし。さあ、では早速、バケモノの名に相応しい者の所へ行って顔に手を当ててやりなされ」 「はあ、分かりました」  俺は気合いの籠った仙人の前で気後れして承知するしかなかった。  仙人の言うことが本当ならとんでもないことになると俺は当然、危ぶんだが、騎虎の勢いでエレベーターで上がって行き、5階の職場にあるバケモノのデスクの前に立った。 「どうしたんです?もう仕事が始まりますのに」とバケモノが切り出した。  こいつは憚りながら誠実な俺を不実に蹴落として課長に昇進した矢先だから冷ややかに薄ら笑いを浮かべていやがる。  俺は胸糞が悪くなりバケモノが顔を向けたのを潮に右掌を迷うことなく、その顔に当てた。  すると、ずるっとバケモノの面の皮が剥けて表情筋やら血管やら赤くてぎとぎとした生々しい物が剥き出しになったものだから俺は思わず、「正真正銘のバケモノだ!」と絶叫してしまった。  で、周囲にいた同僚たちもバケモノに注目して、「うわあ!ほんとにバケモノだ!」だの「きゃー!グロい!」だの「ぎゃー!きもい!」だのと声を上げたのでバケモノは自分のことかと思って倉皇としてデスクの抽斗から手鏡を取り出して自分の顔を映すと、「ひえ~!確かにバケモノだ!」と叫ぶや気が動転したらしく意味不明な事を喚き散らした後、絶望したらしく腰窓の方へ駆けて行き、勢い窓を開けて下框を踏み越えて飛び降り自殺してしまった。  同僚たちがバケモノの変容について怪奇現象と捉え、どよめきながらバケモノが飛び降りた腰窓の袂で屯して下を覗き込む中、バケモノの火の玉つまり魂を掻っ攫って空を浮遊する者を俺は窓越しに確と目撃した。  そいつが親しげに俺に手を振るものだから俺は何者だと思ってよくよく見ると、あの仙人と名乗った爺さんだと分かったので、あれは仙人ではなく死神だったのだと悟った。
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