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その昔、東北のさる国に不細工な嫁と住まう男がおった。
名を太吉と言って寝ても覚めても、せめて十人並みならなあと嘆いておった。
或る日、太吉は樵の仕事を中断して切り株に座って休んでおると、上空の巻雲が集まって厚い雲を形成して行き、辺りが段々と薄暗くなって来た。
それで俄雨に見舞われるのではないかと太吉が心配しておると、前方六間ほど先の鬱然と茂っておる草木から老人らしき者がひょっこりと姿を現し、そこから助走もなしに超人的にピョンと一飛びして太吉の目の前にやって来た。
こんな曲芸以上のことが出来るからには人間ではないのじゃが、見るからに風変わりな翁の姿をしておって頭がつるつるに禿げ上がっておる代わりに鍾馗髭をぼーぼーに生やしており、身なりは紅白の取り合わせが際立っておって白装束の上に赤いちゃんちゃんこを羽織っておる。何にせよ、妙ちくりんな格好であること夥しい。
「何か浮かない顔をしておるなあ。」
出し抜けに言われた太吉は、呆気に取られた儘、答えた。
「そ、そうか?」
「お前さん、不満なんじゃろ。」
「えっ・・・」
「顔に書いてあるぞ。」
「えっ、何が言いたいんだ。」
「上さんじゃよ。」
「ああ、へへへ、よ、よく分かったねえ・・・」
先程の超人的な現れ方、そして人の心を読み取ることが出来る、この爺さんは一体、何者なのだろうか?
太吉が不思議の感に打たれておると、翁はにたにたしながら言った。
「その気持ちは痛い程、分かるよ。じゃから何とかしてやりたい。そこでじゃ、いい女に会わしてやろうか?」
「えっ、へへへ、冗談言うなよ。お前さんみたいな爺さんがどうやっていい女に会わせられるんだよ・・・」と太吉は言いかけたところで、でもこの爺さんは普通じゃないと思い直した。じゃが、結局、悲観して、「ま、仮令、会わせてくれたところでどうなるもんでもなし・・・」
「そんな夢のないことではいかんぞ。さっき見て分かったじゃろ、わしは人間じゃない。仙人じゃ。じゃから絵空事のように聞こえても砂上の楼閣のように聞こえても、わしの言うことを真剣になって信用して聞け!今晩、非常に冷え込む、よって吹雪になるが、お前は上さんより早く寝るのじゃ。然すれば、お前が眠っておる間に上さんが物凄い美人になる。但し、眠ってる間に起こることを見ては悲劇を目の当たりにすることになるから、この眠り薬をやろう。」
差し出された一粒のトカゲの糞のような物を太吉はまじまじと見た後、翁を嘗めまわすように見てから言った。
「確かにあんたは普通の人間ではないようだが・・・」
「躊躇うところを見ると、信用しとらんようじゃな、信用しんのなら、これはやらん。そして上さんはブスの儘じゃ、それでもよいのか?」
「んー・・・」
太吉は暫く腕組みして考えておったが、これが人生最大の好機に思えて来て、これを逃しては流星光底長蛇を逸すことになると思った時には、翁を仙人として信じることにした。
「分かりました。あなた様を仙人と信じます。ですから、それをお譲りください。」
「うむ、それではこれをやろう。」
翁は太吉に眠り薬を渡してから胸の前で両手を智拳印のように結んで、「忍法隠れ身の術!」と言ったかと思うと忽然と姿を消してしもうた。
これを目の当たりにしたからには寸毫も疑う余地がなくなった太吉は、翁を仙人として完全に信用した。それが正しいかの如くその晩、翁の言った通り吹雪になったので何の迷いもなく眠り薬を呑んで上さんより早く寝た。
太吉が囲炉裏の横座で上さんのお千代に掛け布団を掛けてもらって昏々と眠りに落ちておる頃、吹雪が外障子を叩いて障子さすりの音が頻りにしたかと思うと、トントントンと玄関の引き戸を叩く音がした。
「今時分、而もこんな吹雪の中を誰だろう?」
お千代は不思議に思って引き戸の前へ行き、どなたさまですかと聞いてみると、若い女の声でこう言った。
「吹雪の中、独り道に迷ってしまいました。このままでは凍え死んでしまいます。どうか中へ入れてください。」
女が独りで弱っているようなので危険はないとお千代は判断すると、不憫に思えて来て何の躊躇いもなく女を入れてやることにした。
「今直ぐ開けますから。」
お千代はそう言うと、つっかえ棒を外して引き戸を開けた。
見ると、白装束を身に纏い、肌もそれと見紛うばかりの真っ白な美しい女が吹雪で極寒の中だというのに生気に満ちた赤々とした唇を際立たせて震わせもせずに立っておった。
「まあ、寒かったでしょう、むさくるしい所ですが、さあ、どうぞ、お入りなさい。」
「ありがとうございます。」
女は礼を言って玄関土間に踏み入るなり熟睡しておる太吉を見て妖しく微笑んだ。
明朝、太吉は目を覚ますと、囲炉裏の嬶座に不細工なお千代の代わりに雪をも欺く白い肌をもった美しい女がお千代の服を着て座っておるのを目の当たりにしたものじゃから天地が引っくり返るほどの衝撃を受け、「うわー!」と思わず驚嘆の声を上げた。「成程、そうか!」
太吉は翁の言葉をすぐに思い出したのじゃ。その途端、無上の喜びがふつふつと湧いて来た。
「おはようございます。」と女が鈴を転がすような声であいさつする。
「お、おはよう、お、おめえ、見違えるほど綺麗になったな。」
「あら、まあ、起きて早々煽てなさって、何を今更、ほめていらっしゃるの?」
「い、いや、煽ててるんじゃない・・・それに声も言葉遣いも綺麗になって・・・」
「そんなこと、どうでもいいじゃありませんか、さあ、朝ご飯が出来ましたよ。」
見ると、お膳にいつものご飯やお吸い物やお漬物の他に目刺しや里芋の煮っ転がしまで載っておった。
「今朝は随分と奢ったね。これじゃあ、晩飯と同じじゃないか。」
「ふふふ、夕ご飯はそれとは比べものにならないくらい豪勢にして差し上げますわ。」
「それは結構なことだが、財布の紐は堅く締めておかないといけないよ。」
「大丈夫ですよ、今日くらい、ふふふ。」
女は子細顔で意味ありげに笑ったのじゃった。
入相の鐘が鳴る頃、太吉は杣山から下りて仕事から帰って来た。
「お帰りなさいまし。」
「ただいま。」
「ご苦労様です。さぞ、お寒かったでしょう。」
太吉は上がり框にどっかと腰を下ろすと、かんじきを外し、藁沓、笠、蓑を次々に脱ぎながら愉快に話した。
「確かに積もった雪の所為で足は冷えたが、天気が良くて風も穏やかで何より、おめえの作ったおにぎりがとっても美味くて昼間は本当に良い心持ちだった。」
「ふふふ、そうでしたか、それは良かったですね、さあ、さあ、夕ご飯と熱燗を用意しておきましたからまずは囲炉裏の火に当たってあったまってください。」
太吉は女にどてらを着せられながら囲炉裏へと向かった。
見ると、自在鉤に吊るした鍋に巻繊汁がぐつぐつと煮立っておって、その横の灰の上には湯煎するべく酒の入った徳利が3本浸けてある鉄瓶があって、いつもの夕食が載せてあるお膳の横には尾頭付きの鯛がもう一つ用意したお膳の上に載せてあった。
じゃから太吉は横座にいそいそと腰を落ち着けながら言った。
「今晩はめでたいことでもあるのか?」
「はい、あなた様の晩酌のお相手が出来ると思うと、そしてその後のことを思うと、朝から浮き浮きしていましたの。」
この言葉を聞いて太吉は酒を飲む前だというのに茹蛸のように顔が赤くなって、でれでれになってしもうた。
女は自分に酌をしてもらいながら酔いが進んで陶酔鏡に至った太吉を見て潮時が来たと秘かににんまりした。
自明のことじゃが、実はこの女は雪女で昨夜、太吉の家を訪れた際、お千代に向けて白く冷たい息を勢いよく吹きかけ、お千代を立ちどころに全身凍り付かせて殺してしまい、その亡骸を囲炉裏の火に当て服を溶かして脱がし、自分も脱いで白装束を経帷子として亡骸に着せ、自分はお千代の服を身に着けると、亡骸を外へ運び出すなり口から吹雪を出して冬山の向こうの遥か彼方へと吹き飛ばしてしまい、それを氷の微笑を浮かべながら見送って家の中へ入って来て引き戸を閉め、何事もなかったかのようにお千代が座っていた嬶座に腰を下ろしたと、まあ、こういう次第じゃ。そして雪女にとって太吉が完全に自分に心を奪われ、酒が程よく彼の体に染みわたった時、最も味わいのある男の精を吸い出すことが出来るからにんまりした訳で、「さあ、坊や、そろそろ私とおねんねしましょうね。」と雪女が言うと、太吉は子供のように嬉しくなって無我夢中で雪女に震い付いた。
すると、余りの雪女の冷たい体に太吉は震え上がって、コチコチに体が凍り付いて身動きが取れなくなってしもうた。
その隙に雪女は自分の唇と太吉の唇とをくっつけて然もおいしそうに太吉の精を吸い出して吸い尽くした時には太吉を干からびた骨と皮だけにしてしもうた。
この一部始終を窓の格子から覗いていた翁は、柄にもなく身の毛がよだちぞっとしたもののほくそ笑んだ。
と言うのも、この翁は雪女と結託した死神の化身だったのじゃ。
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