じっと我が手を見る

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2月4日 今日は朝に降ったスコールのせいで道がぬかるみ、作業は中止になった。 あれ以来、私は仕事が手に着ていない。 何処かボゥとして、ヘマをしそうで怖い気がする。 『アルマが宮殿に上がる』 キイキイの言葉通り、次の日には炊場からアルマの姿が消えた。 神官の家に入り、仕来りや作法を学んで宮殿で仕える準備をするのだ。 宮殿に上がるというだけで、それは大変な栄誉だ。与えられる金も跳ね上がる。炊場でパンを配るのとは訳が違うのだ。 それだけではない。 もしも後宮でファラオの眼に止まるような事になれば、『世継ぎ』を産む可能性すらある。 今のファラオにも子供は居るが、病弱だと聞いた事がある。 なので『もしも万が一』ともなれば、彼女は次期ファラオの母親としての地位に就くかも知れないのだ。 そうなれば、キイキイだって親方職に留まる事はあるまい。 次期ファラオの祖父として、宮殿での要職を与えられるだろう。まさに大出世だ。 そう。これは『良いこと』なのだ。 ‥‥この私を除くのならば。 何という事だろう。 雨だれの滴る軒先を眺めながら溜息をつく。 私が頭の中で描いていたものは、夢で終わるのだろうか。 いつか、アルマと一緒になって二人で新しい生活を始めるという『夢』。 私はふと立ち上がり、奥から鹿革の小袋を持ち出して、中身を確かめてみた。 袋の中には、今まで働いて貯めた金粒が入っている。 賭け事も贅沢にも興味が無い私は、こうして金を大事に持っている。何時か、新しい生活の為に役立てようと、そう思っていた。 此処にあるだけで、何年分なのだろうか。 少なくとも1年2年の時間ではない。10年以上を掛けて貯めた、その結晶だ。 だがそれでも。その量は、これから先にアルマが手にするであろう金の総量に対して、比較する事すらおこがましい程の少なさではないか。 とてもこれでは「宮殿に上げず、私にアルマを任せてくれ」と言えるものではない。 「金が出来るまで待ってくれ」と言えるだろうか? 「出世して財を成すまで待ってくれ」と。 ‥‥もしも念願かなって『そうなった』としても、それは何年後の話なのだ? とても、現実的ではあるまい。 袋の口を閉じて、私は考えた。 私は、何のために働いていたのだろうかと。
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