兄・春苑惟人の帰国

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 兄の依頼以外にも霊鎮めの仕事を抱えている。  惟人が家に住みだしてから四日目、その日は耀が手を挙げたので、紬は耀と魂鎮めを行った。祖父の家から送られていたべっ甲櫛の魂鎮めが終わると、紬は彼にこう尋ねた。 「私ね、そろそろ自分でも九十九を示現させたいって思うんだけど、耀はどう思う?」  九十九の誕生には二通りある。  自然と生まれるのが一つと、陰陽師が人間でいう産道を紡いでやるのがもう一つ。  どちらでも生まれることを『示現』といって、例えば後者の秋津丸は、祖父の名津彦が蜻蛉鍔から示現させた九十九である。  魂鎮めは、陰陽師の技量によって効率が変わる。  仲介の際にロスがなければ、使役する九十九の霊気を無駄に奪わなくて済む。それでも完全に百から百を移すことは難しいので、名津彦を含めてみな気を遣うのだ。  九十九が消耗しすぎないか。  惟人の言葉で言ってしまえば、使い潰さないか。  数が多ければ負担も分割できる。  今回の神像はこれまでで最も骨が折れる案件で、三人に負担がかかりそうなので、紬はあらためてそう考えたのだ。  九十九の意見をうかがう紬に、耀はさらっと答えた。 「必要ない。……って俺が言っても、いずれやるんだろ」 「わ、私そんなに頑固かな」 「頑固だろ。現に何日経っても兄貴に折れない」 「あれはお兄ちゃんがよくないよ」 「言っていることはわかるだろうに」  なだめるような口調に、紬はむっとした。 「わかるけど、同調したくない。新しい九十九を迎えたいのも、私の未熟さで耀たちに余計な負担をかけたくないからだよ」 「負担でもなんでもないんだけどな。心的にだって――いや、なんでもない」  自分で言っておきながら、耀は怒ったように口の端を下げた。  そのとき、障子戸が音を立てて開いた。  紬が振り返ると、夜の中庭を背にした惟人が立っていた。 「九十九、増やすのか」  聞いていたんだ。  兄の問いに、紬は声を凛と澄まして言った。 「みんなに負担かけたくないから、できれば増やしたいと思ってるよ。もちろん、その九十九が望めばだけど……嫌そうだね、お兄ちゃん」  惟人は中指で眼鏡の縁を抑え、大きな溜息を吐いた。 「お前はもう少し、九十九を恐れろ」  そう言って顎を上げた。顔の角度が変わると、部屋の行灯(あんどん)の光が差し込み、銀縁の辺が冷たくまたたいた。 「これらは、お前が生まれたときから何も変わってない。その姿のまま、成長することも老いることもない。俺たち人間とは違うんだ」 「成長はしているわ」 「そう見せているだけだ。紬、お前は(たぶら)かされているんだよ」 「……ひどい言い方」  紬の胸でパキン、と何かが折れる音がした。  繊細な貴金属品の、大切な部品が欠けるときと同じ。  あっと気付いたときにはもう遅い、落胆の音。  胸に満ちるのは怒りではない。だから声は荒げず、淡々と彼女は言った。 「お兄ちゃん。それなら、どうしてお兄ちゃんは私を放ってあちこちを回ってるの? どうしてこの仕事を私に頼めるの?」  淡々だが、言い出したら止まらなくなった。 「本当、よく口出しができるよね。私、お兄ちゃんと過ごすよりずっと長く、耀たちと一緒にいる。九十九が嫌いでも、私が彼らといるのはいいんだ。仕事だってそうだよ。私がおじいちゃんの仕事を継いだのだって、元はといえばお兄ちゃんが」 「紬」  後ろにいた耀がそっと、彼女の腕に触れた。 「それは言ってやるな」  耀に止められたのが心外で、紬は口を動かすのをやめた。  耀に顔を向けられないのは、彼が惟人の方を庇ったから。  だがそうでなくても、きっと紬は惟人から目を離せなかった。  紬が見たことないほど、兄はショックを受けた顔をしていた。  正論に余計な武器は必要ない。  紬は言い放ってから、その殺傷力を自覚した。  惟人はまだ紬を見ている。しかしその目は揺れていて、実際は妹の姿を映せていないようだった。  彼はふらりとさまよい出すように、骨董たちの集う部屋を離れていった。
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