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鍔と忠誠と在り方と
梅雨明けが秒読みとなった七月の某日、春苑家にも盛夏の気分が漂い始めた。
朝の陽光を受けて、中庭に撒かれる清水が燦爛としている。
実ったトマトや茄子が飛沫を弾き、早く食べて、と周りにアピールをする。
よしよし、もう少し熟れろ。
そう、励ますように、甘やかすように、まもなく食べ頃の実に水をやるのはこの家の烏である。この家に畑をつくって三年目、ほとんど菜園の主人になっている男である。
「耀〜。出かけるけど欲しいものある? って、二人が聞いてるよ」
家の表側からひょこり、顔を出して紬が聞くと、
「ない」
と美男は涼やかな面で答えた。
「耀は欲しいもの、ないって」
紬は振り返って、門口で支度する二人にそう告げた。
着流し姿の耀がシャワーホースを振り回す一方で、家の表では、秋津丸と六花が外出しようとしていた。
「了解だよ」
バイクの後席にまたがりながら、六花が言う。
シートの前にはすでに秋が乗っていて、
「長袖暑いけど、日に焼けるのはもっと嫌ー」
「日に焼けるんですかね、我々」
などと話しながら、慣れた手付きでヘルメットを頭に付け、ヘッドセットの電源を入れる。
「それではお嬢、行ってまいります」
「うん、ゆっくり行ってらっしゃい。気を付けて」
紬が明るく手を振ると、秋は小さく一礼してからバイクのエンジンをかけた。
秋の服装は、夏用のライダースジャケットを主役にしたシックな系統。
背格好がよいのでビシッと決まるし、そうでなくても頼もしい。
突然欲しくなったネイルパーツの買い出しとか、中距離のお出かけとか。
最寄りではないけれど、電車に乗るのが面倒なとき、秋とこのバイクは活躍を見せる。
六花は体格が小さめなので、大型のバイクは後ろにしか乗れない。
耀の場合、体格は問題ないのだが、彼はいくらか機械音痴の気が(本人はけして認めようとしないけれど)あるので運転部には触らないし、紬もまたパッセンジャー。
よって、実質このバイクは秋津丸専用といえる。
「新宿回ってくるから、遅くなるかも」
「ゆっくり遊んできていいよ」
六花と紬がそう交わす間に、秋の操作するバイクはゆるりと動き出し、やがて車道に出ていった。
紬はきびすを返して、玄関の戸を開ける。
耀のネイル、新調させてもらおう。
そう思うと同時、庭から聞こえていた水やりの音が止んだ。
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