鍔と忠誠と在り方と

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「夜分遅くにすまない……!」  東京とはいえ郊外なので、町は暗く、眠りに落ちている。  玄関前の置き石に突っ伏すような勢いで、片倉一和は頭を下げた。 「えっと、たまたま起きてたから大丈夫です。顔を上げてください」  紬の家に備え付いた一昔前の玄関灯が、彼のうなじを白く浮き上がらせていた。それに向かって紬が声をかけると、 「こんな時間におなごの家に赴くなど、俺だって普通ならばしないのだ。ただ、こやつがどうしてもと」  と一和は刀の鞘を掴んで弁解した。  彼は元の姿勢に直ると、心底申し訳なさそうな顔で紬と秋津丸を見た。 「鍔がなければ探索に出てはならぬとうるさくて……しかし、そう早くには決まらないか」 「秋津丸の意見を聞いてから決めたいと思っています」  うなずきながら、紬は一和の刀身へと視線をやった。  鍔を求めるのがその九十九の性質にしろ、それで主人を動かすとは。 「そういう判断に、九十九を関与させていいものなのだな」  紬の心配の届かぬところで、一和は棘のない口調で言った。  彼にとっては純粋に馴染みのない考え方のようで、一和は紬の方をしげしげと見てから、秋津丸へと目を転じた。 「刀は武士の魂というが……その刀には鍔も含まれる。一度は放してしまったが、片倉家の魂は、あれ以来欠けたままなのだ。蜻蛉鍔」  その強い呼びかけは、勧誘ではなく懇願だった。  紬は秋津丸の顔でなく、あえて手指の方を見る。  お客人気の高い綺麗な指が、らしくなく揺れている。迷っている。  紬は彼に話しかけようとした。けれど、顔を上げ、口を開きかけたところで、 「一和様!」  と、石塀の向こうから誰かが叫んだ。 「見つかりました! (くだん)の刀です!」 「場所は!」 「横浜の鶴見と!」 「また旧街道! 西に向かっているのか? ――直ちに向かう!」  一和ははきはきと返事をすると、急ぎ身をひるがえした。 「すまない、この話はまた後で頼む! ……おい、仕方ないだろう! あまり騒ぐな、じゃじゃ馬め!」  彼は前半の言葉を紬たちに、後半のはおそらく刀身に浴びせると、石塀の影へと消えた。  間もなく過ぎていった車の後部座席には、慌ただしく何かを指示する一和の姿があった。 「秋」  秋の腕を、紬はひしと掴んだ。  一和が場を去るとき、一瞬だけれど、秋は彼を追いかけようとした。使い手の有事に足が反応して、なおかつそれを、彼は紬に隠そうとした。  紬は秋の背を押した。  まごついている秋の体をぐいぐいと追いやって、強引にバイクの方へ歩かせた。  それからヘルメットを渡すと、紬は自分の分のそれをかぶって、先に後ろに飛び乗った。 「秋津丸! 行こう!」  叱咤すると、秋の体は弾かれたように動き出した。  彼は返事をせずにバイクにまたがり、黒い機体をうならせる。  午前二時。  鬼が通る丑三つ時。  二人は一和を追って、夜の街へと飛び出した。
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