229人が本棚に入れています
本棚に追加
「夜分遅くにすまない……!」
東京とはいえ郊外なので、町は暗く、眠りに落ちている。
玄関前の置き石に突っ伏すような勢いで、片倉一和は頭を下げた。
「えっと、たまたま起きてたから大丈夫です。顔を上げてください」
紬の家に備え付いた一昔前の玄関灯が、彼のうなじを白く浮き上がらせていた。それに向かって紬が声をかけると、
「こんな時間におなごの家に赴くなど、俺だって普通ならばしないのだ。ただ、こやつがどうしてもと」
と一和は刀の鞘を掴んで弁解した。
彼は元の姿勢に直ると、心底申し訳なさそうな顔で紬と秋津丸を見た。
「鍔がなければ探索に出てはならぬとうるさくて……しかし、そう早くには決まらないか」
「秋津丸の意見を聞いてから決めたいと思っています」
うなずきながら、紬は一和の刀身へと視線をやった。
鍔を求めるのがその九十九の性質にしろ、それで主人を動かすとは。
「そういう判断に、九十九を関与させていいものなのだな」
紬の心配の届かぬところで、一和は棘のない口調で言った。
彼にとっては純粋に馴染みのない考え方のようで、一和は紬の方をしげしげと見てから、秋津丸へと目を転じた。
「刀は武士の魂というが……その刀には鍔も含まれる。一度は放してしまったが、片倉家の魂は、あれ以来欠けたままなのだ。蜻蛉鍔」
その強い呼びかけは、勧誘ではなく懇願だった。
紬は秋津丸の顔でなく、あえて手指の方を見る。
お客人気の高い綺麗な指が、らしくなく揺れている。迷っている。
紬は彼に話しかけようとした。けれど、顔を上げ、口を開きかけたところで、
「一和様!」
と、石塀の向こうから誰かが叫んだ。
「見つかりました! 件の刀です!」
「場所は!」
「横浜の鶴見と!」
「また旧街道! 西に向かっているのか? ――直ちに向かう!」
一和ははきはきと返事をすると、急ぎ身をひるがえした。
「すまない、この話はまた後で頼む! ……おい、仕方ないだろう! あまり騒ぐな、じゃじゃ馬め!」
彼は前半の言葉を紬たちに、後半のはおそらく刀身に浴びせると、石塀の影へと消えた。
間もなく過ぎていった車の後部座席には、慌ただしく何かを指示する一和の姿があった。
「秋」
秋の腕を、紬はひしと掴んだ。
一和が場を去るとき、一瞬だけれど、秋は彼を追いかけようとした。使い手の有事に足が反応して、なおかつそれを、彼は紬に隠そうとした。
紬は秋の背を押した。
まごついている秋の体をぐいぐいと追いやって、強引にバイクの方へ歩かせた。
それからヘルメットを渡すと、紬は自分の分のそれをかぶって、先に後ろに飛び乗った。
「秋津丸! 行こう!」
叱咤すると、秋の体は弾かれたように動き出した。
彼は返事をせずにバイクにまたがり、黒い機体をうならせる。
午前二時。
鬼が通る丑三つ時。
二人は一和を追って、夜の街へと飛び出した。
最初のコメントを投稿しよう!