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二日後、つくも堂の営業時間中に一和が訪れた。
店の裏で話すかと思えば、
「今日の予約状況とコースを教えてくれ」
と彼は切り出した。きちんとネイルのお客として来店したのだ。
彼は小一時間待って、秋津丸を指名した。
「爪を世話してもらうというのは、なかなか気持ちが引き締まるな。爪を研いで機に備える。慣用句の通りではないかと、初めて実感した」
「うちの店では、男性では初めてのお客様でした」
帰り際、秋津丸の他に紬が顔を出すと、同い年の二人はそんなやり取りをした。
「さすが専門家だな」
会計を終えた一和が、そう言って自分の爪を見せてくれた。
彼が秋に頼んだネイルはベージュのワンカラー。
ごくシンプルなデザインだが、仕事上派手なネイルができないOLの間では人気がある。
一和もまた、目立つものはできないか、あるいは本人が好まないのだろう。
秋もワンカラーであることが多いのだけれど、二人はその一致に気付いているのだろうか。
紬がこっそり見比べていると、一和と秋は互いに似通った手を差し出して、固い握手をした。
「遠距離ではあるが、また来たいと思う」
一和は二人に向かって笑いかけると、カーディガンのポケットからメモを取り出した。
先日と同じ用紙。紬は一瞬緊張したが、そこに書かれていたのは交渉の値段などではなく、
「俺個人の連絡先だ」
と彼は爽やかに言った。
目を通してみると、この間とは違う電話番号とメールアドレスだ。
「蜻蛉鍔……秋津丸は、誰の所有であっても、どこにいても俺の愛しい品である。それに、春苑には恩ができた。数代かかっても返しきれぬ、春苑は片倉家全体の恩人だ」
「恩なんて。頑張ったのは秋津丸です」
「両方に感謝している」
一和は紬に連絡先を手渡すと、窓ガラスの向こうをちらりと見た。
どうやら迎えの車が来ているようだ。
「何かあれば、片倉一門総出でお助けしよう。今後ともよろしく頼む」
「そんなに大げさじゃなくてもいいんだけど……よろしくお願いします」
店を出たところで、紬はぺこりと頭を下げた。
仙台まで運転手が付くんだ。お坊ちゃんだなぁ――紬はそう考えながら、宮城ナンバーの車に一和が乗り込むところを見送って、店内へと戻った。
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