なごり風花

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 少女が一人でつくも堂を訪ねてきたのは、その日の正午のことだった。  ちょうど昼休憩中で、紬と六花がランチを買いに店を出ようとしたとき、玄関の前で佇んでいる彼女を見付けた。  つくも堂がどういうお店か知らないのだろう。小さな肩掛けバッグを下げた少女は、中に入っていいものか、結構な時間悩んでいたらしかった。  道端よりは怪しまれないので、紬は少女を待合スペースに案内した。  ガラス張りのここならば、家族が来たらすぐに気付いてもらえる。  黒髪を二つに結った、色白の可愛らしい女の子である。薄水色のズボンルックが爽やかで、身綺麗な格好をしている。  少女はソファにちょこんと座ると、 「市野(いちの)優花です。五歳です」  と丁寧に自己紹介をした。彼女は家が近所にあるらしく、 「お母さんは?」  と六花が聞くと、身をすくめてこう答えた。 「引っ越しの支度をしています。……わたしは、友達の家で遊んでくるって言いました」 「嘘じゃねぇか」  棚のわきから顔を出して、耀が咎めるように言った。不機嫌そうに眉根が寄っている。  怒るならくちばしを挟まないで。  紬は彼をたしなめようとしたが、少女は紬が注意する前に、しゅんと頭を下げた。 「いけないことだと思います。ごめんなさい」 「いや、私たちは大丈夫なんだけど……」  両手を左右に振りながら、紬は感心した。  とてもしっかりした子だ。  秋が三人分のオレンジジュースを持ってきてくれたので、それを飲みながら紬たちは話を続ける。  少女が店に来たのは、やはり朝のやり取りがきっかけだった。  少女は六花の方をまじまじと見つめると、すがるように確かめた。 「お兄さん、やっぱり春の……妖精さんじゃない、んですか」 「春がよかったの?」  たどたどしい敬語に六花が返すと、少女は遠慮がちにうなずいた。 「サクラ、もう一度咲かせてくれるかなって」 「桜」  六花は繰り返してから、自分の爪を見てああ、と納得したような顔をした。  少女は六花のソメイヨシノを眩しそうに見てから、先日自分にあったことを、少しずつ語り始めた。
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