つくも堂・二つの顔

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「お嬢。今晩は誰にしましょうか」 「んーと……耀」  閉店のときにああ言ったのだから、付き合ってもらおう。  紬が指名すると、耀は「了解」とだけ言って席を立った。  夕飯を終えた四人は、それぞれで使った食膳を下げ、のんびりと活動を始めた。  今日の夕飯当番だった秋が、 「では俺と六花は、ペイントの練習をしますね」  と話し、それから袖をたくって台所の流し台に体を向けた。 「秋! それなら僕に桜描いてくれない?」  食器を洗う水音に重ねて、六花が言う。 「もうすぐ花びらも散るし。その前に一回くらいはやりたいな」 「いいですよ。種類はどうしましょうかね」 「ソメイヨシノ」 「色味もあのままで?」 「ピンク強めにして、周りにラメを散らしたい。下のカラーは考えておく。ありがと。部屋で準備して待ってるね」  元々可愛いものが好きな六花は、その趣味を自身のネイルにも存分に反映させている。  六花は秋の質問にすらすらと答えると、上機嫌な歩みで部屋を出て行った。  紬もまた秋の背中に声をかけた。 「私も行ってくるね。耀、もう向こうにいると思うから」 「ええ、行ってらっしゃいませ」  半分ほど振り返るようにして、秋は丁寧に返事をした。 「洗い物ありがとう」  一言感謝して、紬は部屋を出た。  六花がそのままにしておいてくれたのだろう、廊下の明かりは付いていた。板天井に吊り下げるタイプの、紬には懐かしい電気灯だ。  長い廊下の片側は中庭に面していて、大きな窓が四季の庭を広く切り取っている。  小さな菜園の向こうには、背の高い石塀が立つ。  水回りのある部屋は洋室だが、その他、全体の半分以上は和室で占められた家だ。  慣れ親しんだ祖父の家に近い造りだったので、紬も九十九たちも決まったときは喜んだ。都心を離れれば、東京にもこんな一軒家があったのだ。  紬は家の奥に進み、目当ての一室に入った。  そこは裏仕事用の部屋だった。  見渡せば、骨董品がずらりと並んでいる。  他人から預かった文箱やかんざしの他、紬の家が所有している品も多い。  中には耀たちが宿っている物もあって、耀の(からす)屏風、六花の風花(かざはな)小箪笥、秋津丸の蜻蛉(かげろう)鍔は端っこの方に、少し区別して置いてある。  案の定、耀はすでに部屋の中にいた。  自分の屏風の前に腰を下ろしていた彼は、紬が来るとすぐに彼女の方を向いて、畳を擦って近付いてきた。  ほの暗い部屋にしゅるしゅると、衣擦れの音が響く。 「よろしく、耀」  紬は部屋の中心に座ると、行灯(あんどん)のろうそくに火を灯した。  電気灯とは異なるやわらかい光が、二人の白い頬を照らした。 「今日はこの文箱にするね」  紬は身をよじって、漆塗りの文箱を両手でそっと持ち上げた。動かして、二人の間に置いてみる。  一目見て耀が、 「江戸後期の作品か」と言った。 「おじいちゃんがそう言ってた」  さすがだな、と思いながら紬は労るように文箱を撫でた。  年月を経た朱塗りには、落ち着いた美しさがある。見かけは綺麗。ただ、これは少し()()()()()。 「始めるね」 「おう。いつでも来い」  耀の返事が頼もしかったので、紬は安心して手を伸ばした。  文箱に触れるのとは反対の手で、彼の前髪をかき分け、下の額に触れる。  すると、紬の両手がかっと熱を帯びた――。
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