229人が本棚に入れています
本棚に追加
/105ページ
「お嬢。今晩は誰にしましょうか」
「んーと……耀」
閉店のときにああ言ったのだから、付き合ってもらおう。
紬が指名すると、耀は「了解」とだけ言って席を立った。
夕飯を終えた四人は、それぞれで使った食膳を下げ、のんびりと活動を始めた。
今日の夕飯当番だった秋が、
「では俺と六花は、ペイントの練習をしますね」
と話し、それから袖をたくって台所の流し台に体を向けた。
「秋! それなら僕に桜描いてくれない?」
食器を洗う水音に重ねて、六花が言う。
「もうすぐ花びらも散るし。その前に一回くらいはやりたいな」
「いいですよ。種類はどうしましょうかね」
「ソメイヨシノ」
「色味もあのままで?」
「ピンク強めにして、周りにラメを散らしたい。下のカラーは考えておく。ありがと。部屋で準備して待ってるね」
元々可愛いものが好きな六花は、その趣味を自身のネイルにも存分に反映させている。
六花は秋の質問にすらすらと答えると、上機嫌な歩みで部屋を出て行った。
紬もまた秋の背中に声をかけた。
「私も行ってくるね。耀、もう向こうにいると思うから」
「ええ、行ってらっしゃいませ」
半分ほど振り返るようにして、秋は丁寧に返事をした。
「洗い物ありがとう」
一言感謝して、紬は部屋を出た。
六花がそのままにしておいてくれたのだろう、廊下の明かりは付いていた。板天井に吊り下げるタイプの、紬には懐かしい電気灯だ。
長い廊下の片側は中庭に面していて、大きな窓が四季の庭を広く切り取っている。
小さな菜園の向こうには、背の高い石塀が立つ。
水回りのある部屋は洋室だが、その他、全体の半分以上は和室で占められた家だ。
慣れ親しんだ祖父の家に近い造りだったので、紬も九十九たちも決まったときは喜んだ。都心を離れれば、東京にもこんな一軒家があったのだ。
紬は家の奥に進み、目当ての一室に入った。
そこは裏仕事用の部屋だった。
見渡せば、骨董品がずらりと並んでいる。
他人から預かった文箱やかんざしの他、紬の家が所有している品も多い。
中には耀たちが宿っている物もあって、耀の烏屏風、六花の風花小箪笥、秋津丸の蜻蛉鍔は端っこの方に、少し区別して置いてある。
案の定、耀はすでに部屋の中にいた。
自分の屏風の前に腰を下ろしていた彼は、紬が来るとすぐに彼女の方を向いて、畳を擦って近付いてきた。
ほの暗い部屋にしゅるしゅると、衣擦れの音が響く。
「よろしく、耀」
紬は部屋の中心に座ると、行灯のろうそくに火を灯した。
電気灯とは異なるやわらかい光が、二人の白い頬を照らした。
「今日はこの文箱にするね」
紬は身をよじって、漆塗りの文箱を両手でそっと持ち上げた。動かして、二人の間に置いてみる。
一目見て耀が、
「江戸後期の作品か」と言った。
「おじいちゃんがそう言ってた」
さすがだな、と思いながら紬は労るように文箱を撫でた。
年月を経た朱塗りには、落ち着いた美しさがある。見かけは綺麗。ただ、これは少し病んでいる。
「始めるね」
「おう。いつでも来い」
耀の返事が頼もしかったので、紬は安心して手を伸ばした。
文箱に触れるのとは反対の手で、彼の前髪をかき分け、下の額に触れる。
すると、紬の両手がかっと熱を帯びた――。
最初のコメントを投稿しよう!