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なごり風花
耀の言った通り、終わりかけだった桜の花びらは一夜で散った。
翌朝は晴天だったが、嵐の過ぎた跡が道路のあちこちに残っている。青空を映す水たまりに、白色の花びらが身を寄せ合って、水面の雲が去るのを見送っている。
そこに自身の手のひらを透かして、六花が小さく肩を落とした。
銀色の髪をした少年が、
「僕の爪、乗り遅れた桜になっちゃったなぁ」
と往来でいじらしく憂うと、数人の男女がはっとしたように振り向いた。
紬は周囲の反応に、気持ちはわかる、とうなずいて、それからあらためて六花の姿を見守る。
高校生の年齢で通しているだけあって、六花の見かけの歳はそのくらい。
服装も流行りのものを選ぶ彼は、紬よりもお洒落で、ネイルをしているといささか華美で。
そんな美少年なものだから、六花の存在は街中ではかなり目立つのだ。
自分の手元を見下ろしていた六花は、
「でも。乗り遅れたといっても」
と明るく振り返った。
「これはこれで、名残桜みたいでいいよね。秋、すごく上手。ギリギリまで大切にする」
「恐縮です」
九十九の先輩に褒められて、秋の口角が嬉しそうに持ち上がる。
秋によってあしらわれた満開桜は、紬も見て惚れ惚れした。
専門誌に載っていてもおかしくない、見事な出来映えだ。
間もなく店に着くというときだった。
そうやって話しながら通勤している最中、紬は慌てて声を上げた。
「六花。前」
「え? ……わわっ」
六花が浮かれていたのもあるし、相手が死角を歩いていたこともある。
六花はつんのめるような形で、行く手に現れた小さい子にぶつかった。
「ごめんなさい。大丈夫?」
相手は五、六歳くらいの女の子だった。
六花はしゃがみ込んで謝ったが、女の子は返事をせず、六花の全身のあちこちを眺めている。
「どこか打った?」
紬が体を屈め、皆で心配していると、雑踏をかき分けて母親らしき女性が走ってきた。
「優花! どこに行ったかと思ったら……!」
ふいにいなくなった子どもを追いかけてきたらしい。
六花がぶつかった場面を見ていたようで、母親は息を切らしながら頭を下げた。
「すみませんでした。ほら、優花も一緒に」
「……ごめんなさい」
女の子はひょこりと首を垂らしたが、その目はずっと六花に向いたままだった。浮世離れした六花の銀色を瞳に映しながら、少女はぽっと口を開いた。
「お姉さん……お兄さん?」
確かに判断が付きにくい。
六花は目線の高さを少女と同じくしたままで、ふふっと微笑んだ。
「お兄さんだよ」
「お兄さん。もしかして、お花の妖精さん?」
「惜しいなぁ」
眉を下げて六花は答えた。
「僕、六花って名前なの」
「リッカ?」
「そう。六つの花って書くんだ。雪のことなんだよ」
優しく教える言葉に、女の子は目を瞬かせた。それから「雪……」と呟いて、地面の水たまりに目を落とした。
散った桜が寂しそうに漂っている。
その後は母親とも話して大丈夫ということだったので、四人は少女と別れ、目前だったつくも堂へと向かった。
「びっくりした」
他の人には聞こえない、店の前に来たところで紬が息をついた。
「九十九ってわかったのかと思った」
「子どもはそういうの、敏感だからな」
玄関の錠を開けながら耀が言った。
扉を引くとすぐにカラン、とドア鈴の音が鳴って、店内の清々しい匂いが溢れてきた。
紬が振り返ると、女の子の視線の先はまだ六花の方にあった。
今の一瞬で六花に恋をした……というよりは、どこか残念に思っているような眼差しだった。
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