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きれいすぎる男
キャップを目深にかぶるのに、たいして理由はなかった。
かぶり始めたのもいつからだったか、その記憶も今はさだかじゃない。
でも最近は、自分の顔を誰かに覚えてほしくなかったんじゃないかという気がしていた。
顔がきれいすぎると面倒だという事例を目の前でいつも見ているせいかもしれない。
その事例はというと、カウンターの端、いつもの定位置で背中を寄りかからせて飲んでいる。
未成年だというのに、堂々と。
店には目をつぶらせてしまっていることへの遠慮もなく。
腹の底に響く大音量の音に微動だにせず、フロアの赤や青や緑のライトにまみれた喧騒を見つめるその目は空洞のように冷ややかだ。
「春ー!」
「ヒロぉ! もう足いったあい! つっかれたあ」
揺れて熱気さえ立ち昇っているような人だかりから2人の女が大声できゃあきゃあと笑い合いながら駆け寄ってきた。
「自分でナメときゃ治る」
勢いのまま抱きついてこようとした女の頭を手のひらで押し戻した。
「ヒロは冷たい!」
ぶうっと頬をふくらませたミツキを適当にあしらう。
隣で件の事例に抱きついたジュリがミツキに「ミツキぃ、優しくしてもらうなら春じゃないと、ねえ?」と媚びるように、春と呼ぶ相手に露出度の高い体を密着させた。
月島春。
顔が壮絶にきれいすぎる男。
まだ高校生のくせに、若者が集う夜のクラブでそこそこ名前が知られた男。
飲んでいたテキーラがこぼれないようにグラスを上に避難させ、春は抱きつくジュリに動じず、もう片方の手でスマホをいじっている。
まったく当事者意識がないというか、他人事というか。
「ねえ春ぅ、このあとうち来ない? ご飯も寝るとこも自由に使っていいからぁ」
ジュリの甘えた声に、春は、ちらりとジュリの胸に目をやった。
このクラブの常連で、しかも巨乳女子大生として男の下心に火をつけまくっているジュリは年下の春にぞっこんだ。
「もちろん私のことも、好きにさせてあ・げ・る」
ジュリがHカップと自慢する巨乳を春に押し付けながら囁いた。
春はテキーラをくっと飲み干してショットグラスをカウンターに置くと、ジュリの耳に2言3言囁いた。
ジュリが嬉しそうに、その大きな目を潤ませた。
「帰る」
春は前を通り過ぎざまそう言って、人の波を縫うようにして出ていく。
そのすぐ後ろをジュリは輝くばかりの笑みを浮かべながらついていった。
「あーあ。ヒロもあれくらい女に興味もってくれればいいのに、つまんなあい」
その姿を羨ましそうに見送ったミツキは、当てつけのように言い捨て、またフロアに戻っていった。
その背中にため息をつき、店のなじみのスタッフを呼んだ。
「悪いけどミツキの、全部オレに回しといて」
事情を分かってるスタッフは無言で頷いた。
女を拗ねさせておくと結果的に痛い目を見る。
彼女らを味方にしておくにこしたことはない。
スタッフがそばを離れるのを見計らったように、隣に男が音もなく近づいてきた。
20代の中肉中背、品のいいシャツにチノパンというなんでもないスタイル。
バーテンダーにビールを適当に頼み、そのまま体をくるりとフロアの方に翻した。
「あいかわらず、春はモテるな」
「っすね」
返事をすると、男は鼻を鳴らした。
「10代からあんまり染めさせんなよ。戻れなくなんぞ」
「オレが決めることじゃないっすから」
男は残り少ないハイボールに口をつけた自分を見ることもなしに、フロアを眺めながらビールを同じように飲んだ。
「最近、ちょっとうるさいんだわ」
男はDJが流すクラブミュージックに靴先でリズムをとりつつ、何気なく言った。
「……まあ、しばらくはおとなしくしてますよ」
感情をこめる必要もない声に、男はようやく顔をこっちに向けた。
「いろいろ面倒かけるわ」
「別に面倒じゃないっすから」
「ハハ、お前はな。ただ、……まあオレから言うことでもないけど、あいつはそろそろ離してやれや」
諭すような物言いに、ざわりと胸の奥がムカついた。
「オレが未練たらしく引き止めてる的な言い方やめてくださいよ。あいつは……春は、今の暮らしをそこそこ気に入ってる」
ハイボールのジョッキをカウンターに置いて、男に背を向けた。
なにか言いたげな顔が視界の端を掠めたものの、キャップの丸めのつばを深く下げて歩き出した。
肩がぶつかりかけて、「んだよ」と言いかけた大学生らしき男に、つばの下から視線をあげた。
チャラそうな金髪頭の顔がかすかに「あ」という顔をして視線をそらした。
人が揺れる波の合間を抜けるようにして、出口に向かった。
もはや大音量の重低音も慣れきって、体を揺らすほどの興奮には繋がらず、ただ揺れる、揺れる、その何十本何百本もの足に視線を落として歩いた。
あいつが、今の暮らしを気に入っている。
そんな嘘を白々しくつける自分が、ひどく虚しく、苛立った。
あいつが何かを気に入るなんてことは、これまでも、そしてこれからも、ない。
そう仕向けたのは、誰であろう、自分だ。
意図せずとも。
ジュリのような、いわゆるあっちの具合もいい女を抱いても、たぶん満たされることはない。
満ちる、ということをあの日に置き忘れ、そして、いつだって虚ろの体をただ生かしている。
緩やかな死に向かって。
それが月島春という、自分の片腕だった。
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